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第15話
ちふゆは、ベッドのヘッドボードにもたれる形で座った青藍に、バックハグの体勢でホールドされていた。
ちふゆを抱えたままで青藍がゆらゆらと体を揺らしている。
完全に末っ子をあやすかのようなモードである。彼は七人兄弟の長男で、年の離れた弟妹に接するようにちふゆにもスキンシップをしてくることがあった。
子ども扱いしやがって、と思いつつも久しぶりの青藍の腕の中が気持ちよくて、ちふゆは唇を尖らせるに留 め、文句の言葉を飲み込んだ。
「それで? ちー、おまえはなにを怒ってるって?」
「だから、おまえが浮気したからだろっ!」
「いや、そこがわからないんだってば。俺が誰と浮気したって?」
「漆黒サンと、ベニトビさま?」
「はぁ?」
ピタリ、と体の動きを止めて、青藍が怪訝な声を上げた。
「なんでその二人が出てくんの?」
「なっ! しらばっくれんなよ!」
「いやマジで。俺が紅鳶さんとかに憧れてんのなんか、前からじゃん……いてっ!」
開き直りを見せた男の手の甲を抓 ってやると、青藍が悲鳴とともに手を振った。
「おまえは! 憧れてるからってチューまですんのかよっ」
顔を捻って青藍を睨み上げると、彼の犬のような目がまん丸になった。
「は? チューって、キス? 俺が? あのひとたちと??」
パチパチと瞬きをした青藍が、空中に視線を漂わせ……それから「ああ!」となにかに思い当たったように叫んだ。
「それだっ!」
「ど、どれだよ」
「それだよ、ちー。あ~、だから漆黒さんが素っ気なかったんだ」
なるほどな~、と青藍がひとり頷いているが、ちふゅはまったくなんのことかわからない。
もう一度青藍の手の甲を抓って、
「オレはなんもなるほどじゃねぇけど!」
と尖った声を発すると、青藍が肩を震わせてくくっと笑った。
浮気をしたのに笑い出すとはなにごとだ! ちふゆは怒り心頭で眉を吊り上げたが、青藍は猫の子を触るような手つきでよしよしと頭を撫でてきて。
「ちーが見たのって、あれだろ? 中庭の奥の四阿 だろ?」
軽い調子で問いかけた青藍が、また肩を揺すって笑う。
「あそこでさ、紅鳶さんたちと酒飲もうって話になってさ。俺あっという間に酔っぱらって全然記憶ないんだけど、あの後から漆黒さんがやけに俺たちを避けるから不思議だったんだよな~。なに俺あのひとにキスしたの? ウケる」
「う、ウケねぇよっ!」
ぎゃははと声を上げた青藍に、ちふゆは毛を逆立てて怒鳴った。
「酔ってても浮気だっ! ボーボーの奴が好みだからキスしたんだろっ!」
いくら酔っぱらっていても、嫌いな人間にキスするもの好きは居ないだろう。つまり青藍は紅鳶や漆黒のことが好きなのだ。ああいう、男らしくてシモの毛がボーボーなタイプが好みなのだ。
それを暴き立てたちふゆに、青藍が真顔になって「ごめん」と素直に謝った。
「ごめん、ちー。確かに俺は紅鳶さんや漆黒さんが好きだけど」
「ほら見ろっ!」
「でも、おまえに対するのとはまた全然違う『好き』だよ。俺はちふゆが一番だよ」
「じゃあなんでチューしたんだよ」
「ごめんって。俺、ほんとに覚えてなくてさ。もうあのひとたちとは飲まないようにするから。ちー、ちふゆ、許して?」
ことん、と小首を傾げて上目遣いにこちらを窺 ってくる様は、飼い主に叱られた大型犬のようで。
ちふゆは不覚にもキュンとしてしまった。
顔をずっと振り向けていることにも疲れて、ちふゆは男の腕の中で方向転換し、正面から向かいあうかたちとなる。
青藍がマットレスの上で正座をして、再びの謝罪の言葉とともに頭を下げた。
「本当にごめん!」
ちふゆは彼のつむじを見下ろしながら腕を組んで、不機嫌な声音でぼそりと答えた。
「まぁ、ゆるしてやってもいいけど……」
でもまだボーボーが好きなのではという疑惑は晴れていない。
それを問い質 そうと、ちふゆが口を開く直前に。
青藍が下げた頭を勢いよく上げて、今度は彼がちふゆをじろりと睨み下ろしてきた。
なんだ、逆ギレか。身構えたちふゆへと、青藍が半眼になり、じっとりとした視線を送ってくる。
「でもさぁ、ちーもひとのこと言えないよね?」
「は? なんでだよ」
「酒に弱いのはお互い様ってこと」
青藍が正座を崩して胡坐をかき、ちふゆの腕を掴んで自分の方へと引き寄せてきた。
「おまえも記憶失くしてんじゃん」
そう言いながら、男の手がちふゆの服をはぎ取ろうとしてくる。
「ちょっ、ま、まだ話の途中だろっ」
拒もうとするちふゆを易易《やすやす》と押さえつけて、ウエストに指を引っ掛けた青藍がちふゆのボトムスをずり下げた。
「おいっ」
「ちーのココ」
ちふゆの抵抗を余所に、青藍がてのひらでちふゆの陰部を撫でた。
育毛剤を塗っても、一本の毛も生えてこない、無毛の陰部を。
「おまえが前に怒ってたのって、ココにマジックで毛が描かれてたからだろ?」
「おまえ知っててしらばっくれてたのかっ!」
「あれを描いたのは確かに俺だけど、ちー、俺に描けって言ってきたのはおまえだよ」
「…………は?」
あまりに意外なことを言われ、ちふゆはピタリと抵抗を止めた。
「そんなわけないだろ」
「そんなわけあるんだよ、ちー。おまえあの日の晩、俺がやめとけって言うのも聞かずにお酒飲んだよな? 慣れない日本酒を」
青藍の指摘に、ちふゆはあの日の記憶を引っ張り出してみた。
翌朝の陰毛落書き事件が衝撃的すぎて、前日の出来事などすっかり忘れていたけれど、確かに思い返してみればちふゆはあの日日本酒を飲んだ。
というのも、さらにその前日、いつもは忙しく時間の合わない父が珍しく夕食の席を共にできていて。
母親と二人でなにやら高級そうなお酒を酌み交わしていたのだった。
ちふゆくんも呑むかい、と訊かれていそいそとぐい吞みを取りに行こうとしたちふゆへと、
「だめよ」
と母の待ったが掛かった。
「歳だけはとっくに成人してるけど、お子様舌なのよ、この子。こんないいお酒は勿体ないわ。ちゃんと味がわかるようになるまで、あなたは甘い缶酎ハイで充分よ」
その母の言葉でちふゆに火がついた。
そして淫花廓を訪れた際に青藍へと愚痴を放ちまくり、そのついでに男衆にお酒を持って来させて……それをガブ飲みしたのだった。
ちふゆは当時の様子を思い出し、「あっ」と声を上げた。
「お、おまえも一緒に呑んでたじゃねぇかよっ! あのときは全然酔ってなかった! 酒に弱いとか嘘つきやがって!」
「客の前で酔っぱらったらペナルティで罰金なんだよ。ちーも一応お客様にカウントされてんの。だから俺が呑んでたのはほとんど水。淫花廓 では男娼へのお酌は全部男衆がするだろ? あれはたまに変な薬物を持ち込む客が居るから、それの防止のためと、あとは俺みたいにアルコールに弱い男娼のために、こっそり水で薄めてくれてるんだよ」
「…………」
整合性のとれている青藍の説明に、ちふゆは押し黙った。
口から出まかせの言い訳をしているようにも見えないし、ということは紅鳶たちとのキスも泥酔の上での過ちというのは事実なのだろう。
ぐ……と言葉に詰まったちふゆの下腹部へと、青藍がまた手を這わせてくる。
先ほどよりもいやらしい手つきに、体がビクっと跳ねた。
「ちょ……おいっ」
「あの日、ベロベロに酔ってたのはおまえの方だよ、ちー。全然覚えてないんだろ?」
「な、なにを」
「男衆にマジック持って来させて、毛が生えてる感覚を味わいたいからココに毛を描いてくれって、おまえが言ったんだよ」
ちふゆは頭から血の気が引くのを感じた。引いた分の血が、今度は恥ずかしさにカ~っと上ってくる。
「う、嘘だろ」
「ほんと。最初は男衆に描かせようとするのを俺が必死に止めてさ。そしたら、じゃあバカ青藍が描けよって酔っ払い丸出しで絡んできて。やめたほうがいいって、俺はちゃんと止めたんだけど」
けど、と強調して、青藍が足の付け根から性器にかけてのきわどいラインを指で辿りながら、あの日の真相を語った。
「俺が一本二本描いたところでやめようとしても、自分もボーボーになるんだ~つって、もっと描けもっと黒くしろって言うこと聞かないからさ、俺は仕方なく酔っ払いの奇行に付き合ってあげただけなのに……それで翌朝誰かさんにベッドから蹴り落される羽目になったんだからさ~。ひどい話だと思うだろ、ちふゆ?」
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