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【小さなお客さん】(1)
「紅葉ー!
今どこっ?! 頼むから早く帰ってきてっ!」
電話口で恋人に早く帰れと促す凪。
因みに紅葉は大学の講義のため、数時間外出していただけで、別に今は夜中でもなんでもない。
「泣いてるの?」
そう訊ねる紅葉。
もちろん凪のことではない。
「いや…寝てるけど。
なんかもぞもぞしてそろそろ起きそうだし、泣きそうな気もする…!分からねーけど…!
え、手はずっと顔の横にグーにしてるけど、大丈夫なの? 冷えてない?」
「大丈夫だよー。
泣いたらとりあえず抱っこしたらいいよ。」
「無理無理っ!
首もすわってないんだぞっ?!
…ねー、まだ?」
「今スーパーの前だよ。
何か買って行くものある?」
「買い物なんていいから早く帰って!
タクシー使っていいから!」
必死な凪に対して紅葉は普段通りマイペースに「タクシーに乗る距離じゃないよー」と、のほほんとしている。
ストーカーの件が片付いて(聞いた話では犯人の関心は別のターゲットに移ったようだ)、平和と日常を取り戻した2人の元には小さな小さなお客さんが来ていた。
リビングに置かれたベビーラックで眠るのは愛樹(あんじゅ)と名付けられた光輝とみなの第1子。
名前の由来は紅葉の祖母が『赤ちゃんって本当に天使(Angel)よ。Angie(アンジー)ってどう?』と言っていたそうで、そこから付けたそうだ。
産まれた直後よりはだいぶ人間らしく(?)成長しているが、まだ生後1ヶ月半…!
何もかもがウソみたいに小さい…。
実は昨日、みなに今までなかったアレルギーが出てしまって、急遽入院することになり、光輝は彼女の付き添いと仕事があるので愛樹を預かっているのだが、凪は小さすぎる命を前に気が気でなかった。
バンドメンバー兼友人から何よりも大事な愛娘を預かり、その可愛さを感じる前に責任感というかプレッシャーがスゴかった。
愛樹はよく寝る子だと聞いていて、確かに寝ているが、途中で呼吸が止まらないかとさえ心配になり、やろうと思っていた家事も手につかない。
紅葉は弟たちの世話と、保育園にも実習に行って慣れているので普通にミルクをあげたり、オムツを替えていて思わず尊敬の目で見てしまった凪。
「世の中の母親ってスゲーわ…(苦笑)」
凪は母親の早苗に感謝しようと改めて思った。
愛樹を預かるにあたって愛犬たちの反応が心配だったが、全く問題はなかった。
平九郎は赤ちゃんに大興奮で愛樹のことが大好きなようだ。構いたくてずっと側で見守っている。
梅は普通…。一通り愛樹の匂いを嗅いだあとは少し距離を取っているが、別に吠えたり攻撃的にもならず、嫌いとかではなさそうだ。
愛樹がフガフガ言い始めたところで紅葉が帰宅してくれたのでホッとする凪。
「ただいまー!」
「お帰り!
…どーしたらいい?」
「とりあえず手洗ってくるね。」
「泣いてるんだけど…!」
普段爆音を奏でている凪にとっては一生懸命泣いてる愛樹の泣き声でさえとてもか弱く感じる。
「ラックをゆらゆらしてみてー!」
凪は紅葉の指示通り動くしか出来ない。
「あんちゃんただいまー!
ちょうどお腹すいたかな?
凪くん、抱っことミルク作りどっちがいい?」
「ミルク作ります。」
迷わず得意な方を選ぶ。
しかしミルク作りは調理師免許など役に立たない。
泣き声を背に焦るが、計量は正確に。
少量のお湯を入れて手早く混ぜて粉ミルクを溶かし、目盛りまでお湯を足す。
それから人肌くらいの適正温度に冷やす…。
手際良くやらないと我慢させて泣かせているのが可哀想で、必死だった。
親類のいない光輝とみなを手伝うつもりではいたが…それは食事の提供くらいかと考えていた凪。
出産時だけでなく、産まれてからもこんなにガッツリ関わることになるとは予想していなかった。
「凪くんあげる?」
「俺記録係で。
平九郎…!近いって!(苦笑)」
凪は光輝に頼まれたムービーを撮る。
ミルクを飲み終わると、ゲップをさせる紅葉。
縦抱きされた愛樹と目が合った。
純度120%の瞳は紅葉に似たダークブラウンで、やはり目元がみなに似ていると感じる。
「起きたねー。
お外見てみるー?」
紅葉が窓の方へ移動すると、
ひらり…と愛樹にかけていたタオルが落ちた。
梅が咥えて紅葉に渡してくれた。
「ありがとう、梅ちゃん。
優しいね。」
一見無関心そうに見えたが、ちゃんと面倒を見るのを手伝ってくれる梅。
ちょうど池波氏が散歩から戻ったようで、声をかけた紅葉。
「紅葉、水羊羹買ってきたぞ。
食べるか?」
「食べるーっ!
ちょっとおじいちゃんのとこに行ってくるね。
凪くん休憩しててー!
なんか疲れてるもんね?
平ちゃんたちもお庭行く?」
「行ってらっしゃい…!」
こうして紅葉は愛犬と愛樹を連れて出掛けた。
凪はどっと謎の疲れが出て、ソファーにだらっと座った。赤子と向き合うと時間も労力も使うものだと初めて知った。
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