161 / 204

【約束】(1)

6月末のある晩… 大阪 繁華街 「まさか本当に会えるなんて思わなかったー! ゆーじくんに感謝だなぁ。 来てくれてありがとう!」 明るい色の巻き髪を揺らしながら微笑み、凪に握手を求めるのは流行りのアイメイクと甘い香水を纏ったいわゆる夜職の女性だ。 源氏名を"あやな"と言っていただろうか… 東京の店にいた時からLIT Jのギターゆーじのお気に入りらしく、久々の再会を機に凪に会わせて欲しいと頼まれていたようだ。 ゆーじはどうしても派手めの女性に惹かれるようで、でもなんと言うか…ゆーじに脈はなさそうだが…どうしてもと頼まれた凪はこうして彼女の出勤前の食事に応じた。 凪の自己都合による京都の長期滞在でLIT Jのスケジュールがギリギリになったため、ゲネプロ、レコーディングを急遽こちらでやることになったのだ。 メンバーにはだいぶ迷惑をかけているので普段なら軽くスルーする今回の件も頷く他なかった。 「いいえ。 …どうぞ、遠慮せずに好きなもの頼んで。」 貼り付けたような営業スマイルで凪はメニューを差し出した。 「えー、どれにしようかなぁ…! 凪くんのオススメは?」 「…今の時期だと鰹かな。」 美人だと思うし、会話のやり取りやテンポの良さはさすがだが、計算された距離の詰め方とまるでご機嫌を伺うような笑顔に気付いた凪は自然と身を引いた。 「そっかー! じゃあそれと、これと…あ、お肉も欲しいね。 あと…デザート…これにしようかな。」 「…飲む?ビールでいい?」 「うん!」 凪がオーダーを済ませるとすぐにビールが運ばれてきて、乾杯を済ませる。 ここ数日初夏とは思えないほどの暑さが続いているので、冷たいビールが旨い。 でも凪の頭はビール以上に冷えていてちっとも酔えそうになかった。 しばらく世間話というか他愛のない話をしたり、あやなのお店(キャバクラらしい)の話、ゆーじの話を肴に箸を進める。 「美味しいー! さすが凪くんのオススメだねー!」 あやなはご機嫌でお酒も進んでいるようだ。 「ゆーじくんとお店来てくれるんだよね? みんなめっちゃ喜ぶだろうなぁー! うちのお店、可愛い子いっぱいいるんだよ! 私が異動してきた時よりすごいレベル上がっててー」 「……。」 「ねぇ、今日はたくさん楽しい時間過ごそうね!」 アフターもチラつかせる発言に凪は切り出すことにした。 「あやなちゃん…、あのさ…。 食事だけって約束だったよね。」 「えー…、でももっと一緒にいたいしー! 楽しく飲もうよー! それとも…女の子との遊び方、忘れちゃった?」 その台詞と共に絡められた腕を払う凪の目にもう優しさはなかった。 あやなも一瞬ビクっと身体を震わせる程だった。 「今日…ここにはゆーじの顔立てて来てる。 …仕事仲間だし、一応先輩だからね。 2人がどんな付き合いをするのか…正直俺には関係ないけど、ゆーじの特別な好意を知っててこれ以上利用するのはあんまいい気しない。 それと…俺には大事なパートナーがいるから、悪いけど店にはいけない。…ごめんね。 …ここまでで勘弁して欲しい。 もうすぐゆーじが来るから…後は2人で楽しんで…」 「えー……。何それー…。 いいじゃん…、今日くらいー。 …あ、じゃあ分かった! ホント一杯だけ!お願い! お代もいらないし…! ってか、店のみんなに言っちゃって…来てもらわないと気まずいんだよねー! …あと、別にキャバクラくらい良くない?しかも言わなきゃバレなくない?」 紳士的にお願いしたつもりだったがあまり効果はないようで… 何が分かったんだよ、結局自分都合だろうと凪はため息をついた。 「…俺がイヤなんだよ。 俺のせいであいつに嫌な思いさせたり、暗い気持ちにさせるのがさ…。 …大事にするって約束したんだ。 …別に俺のこと悪く言うのは構わないから、店の子たちにはテキトーに言っていいよ。」 今夜のことはもちろん紅葉に相談して了承を得ている。 付き合いだから仕方ないよね…とは言ってくれ多くは追及してこなかったが、家を出る時に後ろから控えめにシャツの裾を引かれた。 その時点で改めて「絶対裏切ることはしない」と約束し、これは紅葉には話してないが店にも行かないと凪は心に決めていた。 でも今この瞬間も紅葉が不安な気持ちでいるのは間違いないだろう…。 紅葉にとってもこちらでの滞在も長くなり、負担をかけているのは事実だ。 両親や義弟は優しいが、元々新しいことを受け入れるのに難色を示す地域柄…。 紅葉は良くも悪くもそれなりに目立つというか目を惹く存在だ。 凪の知らないところで何か言われて傷付いているのかもしれない。 少し紅葉の元気がないように感じていて心配なのだ。季節の変わり目のこの時期は体調を崩しやすいし、気をつけてみてないとなと凪は改めて考えながらあやなの話を聞き流していた。

ともだちにシェアしよう!