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「例の遠距離の彼女?こっち来てんの?」 「まあ、はい……」  店の閉店までまだ2時間近くある。祥子には、近所のコンビニで時間を潰すようには言っていたが、店長に事情を話し、店を上がらせてもらうことにした。 「……すみません」 「それはいいよ。こっちが突然残業頼んじゃったんだからさ。けど、彼女くるなら言ってよ――」  水臭いな―と店長に言われ、はあ、と僕は微妙な顔で応える。  申し送りや明日のシフトの確認など一通り終えると、バイト仲間たちから、「彼女、見たい、見たい」「連れてきちゃえよ」と軽く冷やかされ、それにも曖昧にこたえつつ控室に戻った。休憩中だった例の新人バイトが、お疲れさまでした、と慌てて立ち上がる。そして、 「――今日は、いっぱい失敗してすみませんでした!」  と肩までの髪をばさっとさせる勢いで頭を下げた。  落ち込んでいるかと思ったけれど、まだ声を張って謝れるだけの根性があるのは良かった。僕は少しだけ”バイトリーダー”の顔を緩め、 「がんばれよ」  とだけ言った。彼女は、はい!と大きくうなずいている。 「あの、リーダー……」  更衣室へ入ろうとしたところで、また彼女が声を掛けてきた。 「何?」  彼女はちょっと声をひそめ、 「……リーダーの彼女さんって、めっちゃ、美人ですね!」 「はあ?」  彼女は少しにやけた顔をすると、「ホールに戻りまーす!」と控室をさっさと出て行った。 本当に心配することなさそうだ、と僕は一人苦笑していた。  「ごめん……遅くなった」  手持無沙汰にコンビニの前に立っていた彼女に僕は小さくあやまった。彼女は、大きく首を振る。  突然たずねて来てしまったし、店がひける時間をちょっと聞きたかったのが、大げさになってしまって、だから――、 「――ごめんね」  彼女が言う。僕はそれには応えず、そのまま駅に向かって歩きだした。彼女は、後ろで一つに結んだ髪を左右に揺らし、少し小走りについて来る。  このあたりはカフェやレストランなどもあるけれど、基本、比較的静かな住宅街だった。駅までの道を右に曲がり、左に折れつつ、僕らは黙って歩いた。ふいに、背後が急に明るくなった。僕らは同時に振り返り、無遠慮なほどのヘッドライトと大きな車体のステーションワゴンをやり過ごすために、道の端に寄った。 「何かあった?」  僕は、車を見送りつつ唐突に聞いた。  傍らの祥子は同じように車を見送りつつ、ううん、とつぶやくように答えた。 「なんで連絡くれなかった?」  努めて平静に聞いたけれど、腹が立っていた。なぜか、あの、一瞬彼女が見せたよそよそしい顔が僕を苛立たせていた。  連絡は頻繁に取り合っている。でも、直に会うのは、ああそうだ、3ヶ月ぶりだ。 「ごめんね」  彼女はまた、ただ謝った。僕はそれには答えず、再び歩き出し、彼女も黙って従った。 そうして、二人、押し黙ったまま歩いた。駅でもホームでも電車でも、僕らは一言も話さなかった。  「コーヒー、いれるね。」  部屋について、やっと彼女が口を開いた。喧嘩をして折れるのは、いつも彼女の方だった。 でもそれは、“喧嘩はおしまい”の合図であり、彼女は、なぜ黙って訪ねてきたのかを言い訳するつもりも、理由を言うつもりもない、ということだった。僕ももうそれ以上、彼女を追及しなかった。追求したとしても、ただ、気まずい時間が長引くだけだとわかっていた。 「ユキくんの制服姿、久しぶりに見た」  コーヒーをすすりながら、彼女がふふっと笑った。 「なんだよ」 「ううん、かっこいいよ。ほんとのフランスのギャルソンみたい」  僕は鼻先で笑う。 「あの格好すれば、そう見えるよ、誰でも」 「そうかなあ」 「そう……ああ、でも、店長はどうかな――」 「店長さん?」 「化粧回しっぽく見えなくはない」  二人でちょっと吹く。 「続けるんだ、お店?」  少し声を落として彼女が聞いた。 「うん。とりあえずのところは」 「実家、帰らないの?」  そのことも考えないわけじゃなかった。彼女は短大を卒業後、地元に戻って、実家近くの会社に就職していた。 「うちの親はさ、地元じゃなお更仕事ないだろうからって、こっちでがんばるのに反対はしてないんだ」  僕が言うと、彼女は、そう、とだけつぶやいた。

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