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⑬
翌日の夕方、地元に戻る前にこちらにいる友達に会うという彼女を乗り換えの駅まで送っていった。そこは、奇しくもあいつがいつも歌っている駅でもあった。あれから結局、あいつには連絡できずにいた。
「いた」
駅前にある広場の、でかいクリスマスツリーみたいな鉄製のモニュメントの傍らがあいつの定位置だ。
まだ少し早いのか、あいつの前の人だかりはいつもほどじゃなかった。2曲ほど歌ったところで、あいつは、足を止めたサラリーマンと話し出している。
僕はときどき、少し離れたところから、こうしてこっそりあいつの歌を聞きにきていた。あいつは僕に背を向けて歌っているし、多分、気がついてはいない。僕も敢えて聞きに来ていると言うつもりはなかった。
初夏の匂いが溶け出し、軽く汗ばむ夕闇時、あいつの後ろ姿が、今日は少し遠くに見える。
「今度、いつ地元、帰ってくる?」
彼女と別れ際、駅で電車を待ちながら彼女が聞いた。僕は肩をすくめて見せる。
「なるべく早いうちに帰るよ」
うん、と彼女は小さくうなづいた。電車を伺うように向こうを向いた彼女のうなじが小さく、細く頼りなげに見えた。
「あのさ……」
僕は思い切るように言う。彼女がこちらを見た。
「昨夜のこと――だけどさ」
彼女は予想していたのか、にっこり笑った。
「大丈夫だよ」
「いや――」
「ああいうの、嫌いじゃないよ、私」
”ああいうの”
突然泣き出した僕は、あれから彼女の腕の中で泣き続けた。子供みたいに、ただただ、泣いた。おかげで今朝は目が腫れて、顔がひどいことになった。まだ、少し頭痛もする。
「――でも、ごめん。結局……」
できなかった――
ドドーという騒音とともにホームに入ってきた電車の音で、それはかき消された。
「私、ユキくんのこと困らせてる?」
彼女はそう訊きつつも、答えは聞きたくないとでもいうように視線をふっとそらした。僕は、全然、と首を振る。実際、胸の内はなぜかすっきりしていた。
電車のドアが開くと同時に乗降客が、慌ただしく僕らのそばを行き来する。
「ユキくん」
発車ベルが響き渡った。
「電話する。また、電話するから」
電車に乗り込む彼女を元気づけるように言った。閉まるドアの向こう、彼女は、微笑むと胸の前で小さく手を振った。
ジャカジャカと威勢よくギターが鳴り、あいつが再び歌いだしていた。常連の子たちでも来たんだろう。あいつのまわりがにわかに盛り上がり出している。
少しハスキーで、でも高音で伸びあがるファルセットが甘く、胸にぐっとくる。
そうしてしばらく聴き入っていると携帯が鳴った。僕は慌てて、その場を離れる。
「店長?はい。あ、今日は休み、ありがとうございました。はい、はい――」
背後では、1曲終わって、拍手と小さな歓声も上がっている。
そしてまた、ジャカジャカとギターが鳴った。
♪もう行かないで――
僕は思わずあいつを振り返った。あの曲――。
「――あ、すみません。はい、はい、大丈夫です――え?店長、それって――」
僕は思わず声を張る。
「――わかりました。はい、ぜひ。よろしくお願いします」
そのまま駅に入り、改札のあたりで軽く頭を下げ、僕は電話を切った。
――そばにいて♪
あいつの歌声が遠く、切れ切れに聞こえてきた。
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