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⑭
「正社員?」
小さなダイニングテーブルの向こうで、圭太が皿から顔を上げる。
「うん……」
「そんなのあるんだ?」
僕はちょっと笑って見せる。
「3年だっけ?バイト」
「いや、4年。」
祥子が来てからこっち、バタバタしていてゆっくり会うのは久しぶりだった。休みだったあいつのところで昼飯を食べていた。
「認められたってこと?」
「どうかな……」
「でも、正社員の方がいいんだろ?」
「うーん、仕事はあんまり変わらないんだけどさ」
「じゃ、何が変わるの?」
僕はちょっと考える。
「扱い……かな。」
「”扱い”?」
「年金とか保険とか、あ、ボーナスとか?」
「ふーん」
と軽く相づちを打ちつつ、あいつが僕の手元近くにある水差しに手を伸ばしかけた。僕はやつの代わりにそいつをとって、グラスについでやる。あいつは”サンキュ”とつぶやきつつ、
「いいじゃん」
と言った。
僕は、すぐにはうなづけないでいた。そして、自分のグラスにも、ついでのように水をつぐ。
「問題あるの?」
あいつが僕の顔色を伺うように訊いた。
狙っていた就職口は広告関係だった。昔から興味のあったことだったし、それなりの学校に成績、と自負もあった。それがかえって裏目に出たのかもしれない。希望した会社を片っ端から落ち、慌てて他業種にエントリーするも、付け焼刃が見透かされたのか、これもうまくいかなかった。
僕はグラスを取ると口をつけた。飲む気はなかったのに水が喉をすべっていく。結局、全部飲んでいた。
「このパスタさ――」
あいつの料理したパスタをフォークでつつく。茹でたパスタに、ツナのトマト煮。だけど、
「メチャクチャにんにく入ってるだろ?」
あいつはちょっとにやっとする。
「入ってる」
「ばっか!俺、これから本社で人に会うんだぞ。」
「知ってる」
「なんだよ、それ。にんにく……先に言えよ!」
僕が情けない声を上げると、あいつは”大丈夫だよ”と笑っている。
急に口の中がにんにくのにおいであふれ出したような気がして、空のグラスに水をつごうと、先の水差しに手を伸ばしかけた。同時に向こうであいつがすっと立ち上がる。そんなあいつを僕は反射的に見上げた。
はっ?
何が起こったのか一瞬わからなかった。チュッと音がした。
「におわねぇよ」
あいつがいたずらっぽく微笑んでみせる。
キスされた。
「バ、バカ!」
あわてて身体を引こうとした手が、水差しに当たり、まだ結構入っていた水ごとテーブルに倒れた。
「おい!」
あいつが叫ぶ。「何やってんだよ!」
水は、さぁーっとテーブルを侵食していく。あいつは流しから布巾をとって、水が広がるのを食い止めようとするけれど、水は、小さなテーブルの縁まであっという間に達し、テーブルの足を伝って床にこぼれだした。僕は、洗面所からタオルを持ってくる。
「おまえ、ほんとにウェイターやれてんのかよ。」
あいつが少しあきれて言う。
「うっせ。おまえが変なことするからだろが」
「なに、動揺してんだよ」
「してないし――」
本当だ。何を動揺してるんだ、俺。
そうか。
濡れた床を拭きながら、思い出したことがあった。
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