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 「正社員?」  小さなダイニングテーブルの向こうで、圭太が皿から顔を上げる。 「うん……」 「そんなのあるんだ?」  僕はちょっと笑って見せる。 「3年だっけ?バイト」 「いや、4年。」  祥子が来てからこっち、バタバタしていてゆっくり会うのは久しぶりだった。休みだったあいつのところで昼飯を食べていた。 「認められたってこと?」 「どうかな……」 「でも、正社員の方がいいんだろ?」 「うーん、仕事はあんまり変わらないんだけどさ」 「じゃ、何が変わるの?」  僕はちょっと考える。 「扱い……かな。」 「”扱い”?」 「年金とか保険とか、あ、ボーナスとか?」 「ふーん」  と軽く相づちを打ちつつ、あいつが僕の手元近くにある水差しに手を伸ばしかけた。僕はやつの代わりにそいつをとって、グラスについでやる。あいつは”サンキュ”とつぶやきつつ、 「いいじゃん」  と言った。  僕は、すぐにはうなづけないでいた。そして、自分のグラスにも、ついでのように水をつぐ。 「問題あるの?」  あいつが僕の顔色を伺うように訊いた。  狙っていた就職口は広告関係だった。昔から興味のあったことだったし、それなりの学校に成績、と自負もあった。それがかえって裏目に出たのかもしれない。希望した会社を片っ端から落ち、慌てて他業種にエントリーするも、付け焼刃が見透かされたのか、これもうまくいかなかった。  僕はグラスを取ると口をつけた。飲む気はなかったのに水が喉をすべっていく。結局、全部飲んでいた。 「このパスタさ――」  あいつの料理したパスタをフォークでつつく。茹でたパスタに、ツナのトマト煮。だけど、 「メチャクチャにんにく入ってるだろ?」  あいつはちょっとにやっとする。 「入ってる」 「ばっか!俺、これから本社で人に会うんだぞ。」 「知ってる」 「なんだよ、それ。にんにく……先に言えよ!」  僕が情けない声を上げると、あいつは”大丈夫だよ”と笑っている。  急に口の中がにんにくのにおいであふれ出したような気がして、空のグラスに水をつごうと、先の水差しに手を伸ばしかけた。同時に向こうであいつがすっと立ち上がる。そんなあいつを僕は反射的に見上げた。  はっ?  何が起こったのか一瞬わからなかった。チュッと音がした。 「におわねぇよ」  あいつがいたずらっぽく微笑んでみせる。  キスされた。 「バ、バカ!」  あわてて身体を引こうとした手が、水差しに当たり、まだ結構入っていた水ごとテーブルに倒れた。 「おい!」  あいつが叫ぶ。「何やってんだよ!」  水は、さぁーっとテーブルを侵食していく。あいつは流しから布巾をとって、水が広がるのを食い止めようとするけれど、水は、小さなテーブルの縁まであっという間に達し、テーブルの足を伝って床にこぼれだした。僕は、洗面所からタオルを持ってくる。 「おまえ、ほんとにウェイターやれてんのかよ。」  あいつが少しあきれて言う。 「うっせ。おまえが変なことするからだろが」 「なに、動揺してんだよ」 「してないし――」  本当だ。何を動揺してるんだ、俺。  そうか。  濡れた床を拭きながら、思い出したことがあった。

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