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晩夏の夕方、インターチェンジのラーメン屋は、トラック野郎みたいなちょっと強面な中年の男たちや、行楽帰りらしい小さい子供連れの家族、若いカップルたちなどであふれかえっていた。そんな店の片隅、僕ら、男二人、愛想なく黙々とラーメンをすすっている。
ふと視線を感じて見ると、右隣の家族連れの、小学校前ぐらいだろうか、小さな女の子が僕らのことを凝視している。僕が彼女を見返すと視線をはずすが、またしばらくすると、じっと見てくる。両親と彼女より少し年上の男の子が何事かおしゃべりしながら食べている中、彼女だけが、こちらをひたと見ていた。
また目が合った。彼女はびくっとしたように慌てて目をそらした。
「何?」
あいつが僕の目線を追う。
「いや――」
「食べないの?」
あいつが口をもぐもぐさせながらきいた。僕は言われて一口すする。
早朝からレンタカーを借り、二人とも少しかじったことのあるサーフィンに出かけていた。以前、7月の圭太の誕生日に行くはずが、僕のダブルブッキングのせいで延期にした約束だった。
海水浴シーズンは少し過ぎたとはいえ、海辺はまだまだ家族連れで賑わい、逆にサーフィンには波はちょっとおだやかだったけれど、それでもサーファーも多くつめかけていた。
駐車場で、たまたま隣あって車をとめた中年のサーファーの夫婦と知り合いになった。二人とも40代ながら、サーフィンはかなりの腕前で、ほぼ初心者の僕らにも、気よくアドバイスなどしてくれた。お昼には奥さんお手製のカツサンドに、ご主人が豆を挽き、簡易コンロで温めたお湯で入れたコーヒーなんかふるまってくれた。
4時過ぎ、もうひと波乗るというご主人とあいつを残し、僕は奥さんとたわいもない世間話などしながら、先に駐車場に戻った。
「ねぇ、幸裕くん……」
「はい」
僕は、彼女のサーフボードを、年季の入ったワンボックスカーに積み込むのを手伝っていた。
「圭太くんって、その……恋人?」
心臓が止まるかと思った。すぐには声が出なかった。
どうして?
呆然としている僕に、
「ああ、ごめん。変なこときいたよね。おばさんの悪い癖だね」
彼女は何か察したとでもいうようにそう言い、日焼けした顔に笑顔で、軽く、”ごめん、ごめん”と繰り返しながら、上げた車のバックドアから半身つっこみごそごそやりだした。
「あの……」
目の前が、霧が立ったように白っぽい気がした。
「俺たち、そんな風に見えますか?」
取り繕うこともできず、僕はそんな彼女の背中に向かって、やっと聞き返していた。
彼女は、ごそごそやりながら車から顔を出し、
「――ううん。大丈夫、そんな風には見えないから。全然」
と大げさに手を振ってみせる。
「じゃ、なんで!」
そんなつもりはなかったのに、僕は大きな声を出していた。彼女は僕のその様子に、片付けの手を止め、うん、うん、とうなづいて見せながら、
「そんな風には見えないよ。ただ、そのなんていうか、二人、色気があるっていうの?それってなんだか、恋でもしてるのかなぁって」
「”恋”?」
そこで彼女はちょっと口ごもった。
「全然、ほんと、そんなふうに見えるわけじゃないから。ほら、二人共イケメンで、仲良さそうだし、アタシの願望っていうの――」
そう言うと、からから笑い、今度は”大丈夫よ”と繰り返した。
”大丈夫”
俺たちは”大丈夫”?
あの娘がまた見るのがわかった。何かを探るような、見透かすような、無機質な視線。
僕は箸を置いた。
「圭太……」
「うん?」
あいつが目を上げる。今日一日で結構焼けたか。その頬に触れかける手をぎゅっと握った。
「俺たちさ―――」
黒目がちな目が僕を見つめる。
「別れるか」
一瞬、そう言った自分の声が聞えなかった。でもあいつには聞えたのだろう。口にもって行きかけていたあいつの箸がピタッと止まった。まるで、そのまわり、店全体の動きもろとストップしてしまったかのようだった。
あいつは、しばらくそうしてぼんやりしてから、急に握っていた箸をどんぶりに放り出すと、中腰に立った。そして、ジーンズのポケットからカギ束を取り出し、目の前に上げて確認すると、一つキーをはずしてテーブルの上に置き、人差し指でスーッと僕の方へ滑らせた。
「あと、おまえの部屋にある……」
いつものあいつの声だった。でも、なんだか遠くで話しているような感じがした。
「俺のもの……あ、でもいいか、いいよ。捨てちゃっていい……。あ、じゃ俺のカギももらっとくか――」
言われて、僕も同じようにポケットからカギ束を出すと、一つ外してあいつがしたようにテーブルを滑らせた。
でも、どちらも、目の前のカギにすぐには手を伸ばさないでいた。
あいつは気を取り直すように箸を持ち直したけれど、結局残りを食べることなく、また箸を放りだした。
そうして僕らは、幾分うつむいて、黙って座っていた。
「行くか……」
しばらくして、やっと僕は言った。あいつは少しはっとして”ああ”とうなづいている。
「圭太、車エンジンかけといてよ。俺、ここ払っとく」
あいつはまた”ああ”とつぶやき、
「よろしく……」
と言うと、少しためらってからテーブルのカギを取り上げ、ラーメン屋を出て行った。
僕もそろそろとカギに手を伸ばす。今の今まであいつが持ってた。
レジに向かいながら、僕はふと思いついて首をめぐらせた。
さっきのあの娘は、もう僕らの方を見ることはなかった。
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