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第3章⑱
ギターなんか触るの、何年ぶりだろう。ティン、ティンと適当にチューニングし、
「……C、G、Aマイナー……」
昔練習したコードを思い出そうと弦に指を置く。それで鳴らしてはみるけれど、なんだか調子はずれな音だけ響いた。僕はベッドに腰掛け、一人で苦笑しながら、何度か同じコードを鳴らしてみていた。
あいつのギターで。
年季の入ったアコースティックギター。ピックガードは剥がれて無く、ボディーにもネックにもところどころに傷がある。あいつがいくつか持っているギターの一つだった。
「忘れ物?」
週末にかけて、祥子が来ていた。
「何が?」
「ギター」
確か、また弾いてみようかな、なんて僕が気まぐれに言ったのを真に受けて、いつだったかあいつが持ってきたのだ。
僕はあきらめて、でたらめなコードでシャカシャカとギターを鳴らしながら、
「これは~~俺のさ~」
と節をつけて言った。服だったり、本だったり、あいつの物が、気がつくと、まだそこここにある。だけど――。
季節は、秋が深まり、冬に差し掛かっていた。
海に行ったあの日以来、あいつとは会ってない。連絡も取りあっていなかった。
そして、入れ替わるように、彼女が頻繁に僕のところに来ていた。
年明け、僕らは婚約することになった。あの夏の、還暦の祝いのときには、僕を気に入っている素振りなど1ミリも見せなかった彼女の父親から「ぜひに」と話がきた。驚いたけれど、彼女のことは好きだったし、付き合いも長く、気心も知れていた。断る理由なんかなかった。それはうちの親も同様で、またとない話だとすごく喜んだ。
当初は、「すぐにでも結婚を――」という話だったのだけれど、さすがにこれにはうちの親の方が恐縮し、就職したばかりで生活力もない息子では彼女が気の毒だからと、1年ほど婚約期間を設けようという話で落ち着いた。
なんだかひとごとのようだった。
「ユキくん、何か弾いて」
入れてきたコーヒーを彼女が机に置きかけるのを、僕はギターを脇に置いて受け取った。
「ダメ……」
「どうして?」
「――弾けないから」
彼女は僕の横に座りながら、なにそれ、と言って、ひとくちコーヒーに口をつけると、カップを机に置き、僕の傍らのギターをとった。そして、慣れない手つきで、弦を一つ二つと爪ではじいている。
「音、鳴らないもんなんだね、意外と……」
と、彼女が笑う。僕は目を伏せる。
「ユキくん、仕事、大変?」
ぼんやりしていた僕をギターを抱えた彼女が少し心配そうにのぞきこんでいる。
「なんで?」
社員になって、バイトの時にはなかった本社での会議や、別店舗での研修、営業だのやらされることはあった。でも、基本的な仕事内容は変わらなかった。ただ、朝から夜遅くまで店にいることが以前より増えたかもしれない。店長にも「そんなに店にいなくていいから」とあきれられた。でも、自分ではそんな実感はなかった。今までとそんなに変わらない。
「平気?」
彼女がじっと僕を見る。
「平気」
彼女からギターを取り上げ、壁際に置くと、彼女を抱き寄せた。そのやわらかな感触とあたたかさと甘い香り。
これを幸せというのかな。
そんなことを僕はまた、ひとごとのように考えていた。
ティン、と小さく音がし、壁際のギターが首を傾げるように斜めに傾いた。
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