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第105話 覚えていること
やがて母親らしき女が走ってきて、少女と女は抱き合った。
女は何度も頭を下げて、泣き止んだ少女と去っていく。
硝子は傍にいた茶髪の少年を見上げ、何かを話していた。
どこか嬉しそうにも見えるその横顔は、一度も見たことのない表情だった。
2人が去っていっても真一は暫くその場から動けなかった。
清子にないものを持っている。
むしろ、彼女以上に。
無性に惹きつけるものを持っているあの少年を
殺してしまいたい気持ちが、わかってしまう。
それはずっとずっと、彼が産まれる前から
2人の暗黙の、押し込めたい負の感情だったのに。
真一は自分の手を見下ろした。
殺してしまいたい、のに。
憎くて憎くて、仕方がないのに。
夏祭り
美しい文字と彼の横顔が、脳を蝕み始めていた。
硝子は家に帰り着くと、泣きながら浴衣を綺麗にたたんで鞄の中に入れておいた。
環先生に返さなければいけない。
夢のような時間は終わり、残ったのはみすぼらしい現実だった。
いずみくんを傷付けてしまった。
もしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。
でもこれでよかったのだ。
これ以上彼の側にいると、もう自分は元に戻れなくなる。
こんな何も持たない自分の側にいたいと言ってくれた。
料理が好きでペンギンが好きないずみくん。
硝子は彼の笑顔を思い出して涙を拭った。
少しの間でも、彼と話して笑いあって、一緒にご飯を食べて
それは本当に一生の思い出だ。
その一瞬の思い出で、自分はこれから罪を背負って生きていける。
「....ありがとう...いずみくん...」
浴衣を返したら、もう、図書室に行くのはやめよう。
きっともっと字が上手な人はたくさんいるだろう。
文字を書いたこともポスターが飾られたことも
ケーキも紅茶も、全部全部覚えていよう。
例え彼らが忘れても。
俺が生きている限りは。
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