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第119話 鳩
清子だった。
買い物袋を携えた彼女は凄まじい形相で硝子を睨んでくる。
血も心臓も、思考ですら凍りついて硝子は寒気に震えながら俯いた。
「な..なにも....散歩してただけ..」
「あの子は?話してたように見えたけど」
清子は広場の方を見つめながら呟く。
いつから見られていたのだろう。
「....挨拶しただけ..」
「変なのと絡んでるんじゃないでしょうね、硝子」
知らない人だよ、そう言わなければならないのに。
清子に腕を掴まれて硝子は死んでしまいそうに身体が硬直した。
その瞬間鳩時計がけたたましく鳴り出した。
2人は反射的にそちらを見てしまう。
16時を指した時計のドアが開き、バサバサと本物の鳩が飛び出した。
.....幸せになれる。
彼の話を思い出し、硝子は思わず青空へ飛び立つ鳩を凝視した。
「ああ、もうこんな時間じゃない。帰るわよ硝子!
ふらふらして、ご近所に見られたらなんて言われると思ってるの、
しっかりしてちょうだい、全く...」
母親はぶつぶつ言いながら硝子の腕を引っ張って歩き出した。
引きずられるように歩きながらも振り返ると
恭介が、見ました?今の!、そんな風にこちらを見たから
硝子は思わず泣き出しそうになりながら、見たよ、と微笑んだ。
それから、2度と彼を振り返らなかったのだけれど
硝子は泣きだすのを必死に我慢して、転けそうになりながら歩き続けた。
ずぶずぶと家に近付くたびに足がアスファルトに埋まって行くように足取りが重くなって
母親の怒鳴り声も遠く遠くに聞こえていた。
脳裏には彼の笑顔と、青空を行く鳩が。
自由に、優雅に、青い空を泳いでいる。
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