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第5話 【平成】布団部屋の秘密

 取りこんだばかりの洗濯物特有の石けんの匂いがした。ひどく懐かしい気持ちになる匂いだ。手探りで壁にあるスイッチを押す。  明るくなると、三方の壁に棚板がかかっていてふすまのない押し入れのようなつくりになっていた。クリーニング済み、と書いた紙を貼られた寝具が、一組ずつ不織布の袋で包まれて積んである。棚下は、これから洗浄に出す寝具が無造作に二つ折りで押しこまれている。その上に葛城の巨体を突き飛ばした。 「今日はどうする?」  ジャージの袖を腕まくりしながらたずねると、もうすでに股間をふくらませた葛城が、陽に灼けた顔を赤らめて言う。 「……手がいい」 「わかった」  小野寺と葛城は同好の士だった。――多少、嗜好の差はあるものの。  葛城が布団の上に尻餅をついた格好のまま、乱暴に上着を脱ぎ捨てた。鮮やかな朱色、ウェールズ代表チームのレプリカジャージだ。白い蛍光灯の下で、筋肉の陰影のはっきりした葛城の上半身は、小野寺の目から見ても男らしくて惚れ惚れとするほどだった。  綺麗に割れた腹筋をながめる。この立派すぎる図体でゲイ、しかもネコだなんて因果なものだと思う。  そして自分のことをかえりみて自嘲する。すぐそばに「触れなば落ちん」という想い人を抱えながらいつもまでも何も出来ないでいる俺も俺だ、と。  性欲を処理し合うには、どうしようもなく似合いの二人だった。 「電気、消してくれ」  葛城に言われなくてもそうするつもりだった。お互いの姿が見えないほうがいい。、ここには理性をとろかすような愛の言葉も無ければ、キスもまわりくどい愛撫も無い。  葛城がもそもそ動いて、ズボンをずりさげたのがわかった。暗闇の中で、葛城の後ろにまわり、抱えこむように両手を前にまわしてしごいてやる。  もともと性欲をくすぶらせていた葛城はすぐに濡れて、固い部分はいやらしい音をたてはじめた。頂点まで追いつめるのに、たいして時間はかからなかった。 「……っあ……ぁあ」  普段、葛城の怒号に怯えている後輩たちが聞いたら仰天するだろうと思うような、甘ったれた喘ぎ声をあげる。  粘液でぬめる手でくびれた部分を刺激してやると、首をのけぞらせてたまらないようにうめく。葛城のの短く刈り込まれた髪が、ちくちく小野寺の首筋に触れる。ぶあつい手がすがるように、左右に投げ出された小野寺の右足をつかんだ。  膝が悲鳴をあげた。 「いって、バカ」  思わず鋭く叫んでいた。 「……悪、悪い……んぁっ、あっ」 答えず、一気に絶頂に追い詰めてやった。 「んっ……ちょ、待て、出るっ」 「ほら出せよ」 「……あ、ああっ、あああ」  くいしばった歯の隙間から抑えきれない声をもらして、葛城はあわてて下半身に自分の手を添えた。布団を汚したくないのだ。  はあ、はあ、と荒い呼吸が暗い室内に響いた。 「くっそ、何してくれんだよ……飛び散るだろ」  やや目が慣れてきた闇の中で、葛城は手の平に粘る白濁をながめ、やがて腰にさげていたタオルで拭きとった。  小野寺は手探りで壁にある電灯のスイッチを押した。ぱっと明るくなると、二人してまぶしさに目をしかめた。 「お前が溜めずぎ」 「しょうがないだろ。こんなとこで暮らしてて」  うんざりしたように言う。たしかに、ここで性的嗜好を隠して暮らしていくのはなかなかに骨が折れる。 「そのタオル、後輩に洗濯させる気じゃないだろうな」 「ダメなのか?」  はあ、とため息をついた。 「それより、膝、触っただけで痛いなんてやべえんじゃねえ?」 「やべえよ」  もう一度確かめるように、葛城の手が伸びてくるのがわかった。 「触んなっ」  心配してくれていることはわかっていたが、思わず強く拒絶してしまった。 「速水先生に見てもらえよ」 「とっくに病院行ってるよ。メス入れるかって言われて保留にしてる」  葛城が目を見開いた。思っていたよりケガの状況が切迫していて驚いたのだろう。  一度メスを入れたらアスリートとしてもとどおりの体にはならない。二人とも今まで何人もの故障者を見て知っていた。必死で前のようなプレーができる体に這いあがろうとする彼らの、血のにじむような努力と厳しい現実を。 「小野寺……」  なぐさめなんていらない。  そう言いたいのに、喉になにかつまったように言葉が出ない。  ――これしかないのに。  ――俺には、ラグビーしかないのに!  小野寺は幼い頃から、なんとなく乱暴な子だと周囲に避けられていた。友達の喧嘩を止めようと仲裁に入った結果、なぜか結果的に自分が一番悪いことにされるような理不尽を何度も味わった。言葉が足りない。目つきが悪い。手が早い。周囲は小野寺の努力が足りないと言いたげだった。  地元でラグビーのクラブチームに誘われたのは小学校高学年の時だった。他人におもいきりぶつかることのできる競技に、小野寺はすぐにのめりこんでいた。  複雑なルールを覚えることも、楕円球の扱いも、慣れるまでは苦労したが、仲間と走れる爽快感はそれを軽く超えていた。  地を蹴って。ヘッドキャップをかぶった耳元で風がうなるほどのスピードをつけて――その先にはいつも、この体が骨ごとバラバラになりそうなくらいおもいきりぶち当たれる何かが待っていた。ゲームの勝敗はわからなくても、その事実だけはいつも変わらなかった。  クラブチームのコーチの推薦で、中学からラグビーの強豪校に進学した。学力では到底入ることのできない上位校だった。授業内容はほとんど頭に入らない。  それでもよかった。大学だってラグビーで入ることができた。おそらく就職も。ただ一心不乱に体を鍛え、ボールを追えばいい。大学一部リーグ優勝、日本トーナメント出場。日本代表選考、ワールドカップ。ひたすら高みを目指して力の限り走り続けて。そしていつの日か、壁に叩きつけられたトマトみたいな、無残で潔い競技人生の終焉を迎えるだろう。  それが自分にとって悔いのない上々の人生だ。そんなことを、ほんの少しの恐怖感と酔いしれるようなカタルシスを抱いて小野寺は思い描いていた――――なのに。  カッと、心の中にぶつけようのない怒りが燃え立った。  小野寺は射精後でまどろんでいた葛城の背中を前へ、ぐいっと押した。 「な、なん――――」  四つん這いになった葛城の後ろで立ち上がり、音をさせてベルトをゆるめる。 「俺の番だろ。尻で抜かせろよ」 「や、突っこむのはナシだ」 「わかってる。こするだけ」  葛城は、想いの通じるあてもない曽我にずっと操を立てているのだ。  引き締まった尻に手をついた。左右に大きなえくぼができる男の尻だ。ぷっと唾を吐いて湿りをくれると、谷間に太いものをぐりぐり押しこんでやった。 「あ……あ……やっ」  マゾヒスティックに裏返った声をあげる。 「これで感じるなんて、本物のネコだな。いやらしい奴だ」  突くように腰を前後に振ると、粘着質な音が狭い部屋に響いた。きわどいところをこすられて、葛城が泣きそうな声をあげる。 「やっ……そこっ……入るっ…………入っちまう……ああっ」  腰をくねらせる。ぱあん、と尻の側面を張ると葛城が、う、と息をつめた。 「わざと誘ってんのかよ、アホ」 「小野寺…………もっと、痛くして」  余裕の無い声に、ふっと笑いがこぼれた。この上Mだなんて本当にすくいようがない。 (いや、こんなことをしている俺も立派なマゾヒストだ)  何度か尻と背中を平手で叩きながら、揺れる尻肉の隙間に欲望をねじこみ、こすりあげる。 「亮二…………亮二さん…………」  乱れて泣きを帯びた葛城の声が、せつなげに曽我の下の名前を口走った。  性感が高まっていくほどに、悔恨に近いやるせない思いが規則的な律動の合間に胸を刺す。またそれをかなぐり捨てるように、さらに腰の動きを激しくしていく。  ――みのる。  茅野の清らかな寝顔が一瞬小野寺の脳裏をかすめ、そのあと、快感で頭が真っ白になった。  やがて、どくり、どくりと自分から吐き出される乳液で葛城の尻が汚れていくのを、哀しいほど空虚な気持ちで見ていた。  四畳半の狭苦しい布団部屋で、小野寺は絶頂に身を震わせながら、泣きそうになっている自分をみつけていた。

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