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第8話 【元禄】蜜月の終わり
それから二人の関係は深まっていった。夜勤が無い日は、幸右衛門が自宅の長屋を抜け出して通路の石畳を越え、藩邸の北側の塀沿いに並んだ単身者用の長屋までたずねていく。
幸右衛門の家族は、二人の逢瀬にすでに勘づいているようだった。しかしこの時代、男同士の衆道関係は武士の一種のたしなみとされていてけっして珍しいことではなかった。同じ播州浅野家に仕える者同士、結束が固くなるのはむしろ結構なことだと、おおらかに見守られていた。
幸右衛門が夜間そっと勝手を通り抜けようとすると、おとくなどは、「萱野様に」とこっそり蓋付きの器に夕餉の菜を入れて持たせてくれた。浅くつかった大根を千六本にしてほんの少し醤油をたらしたものが幸右衛門の好物で、萱野もそれをつまみながら二人で冷えた酒を飲んだ。
ほどよく酔いがまわると萱野は薄紅色に染めた顔を伏せながら、そっと酒器を載せた盆を板の間に下げ、袂から懐紙の束を取り出す。それを合図としたように、幸右衛門のほうは部屋の奥で二つ折りになっていた夜具をひろげた。
薄い青緑色の蚊帳の裾をまくって二人でもぐりこむと、あとはもう無我夢中で互いの肌えをまさぐりあった。
「……かたい。まるで芯に鉄の棒でも入っているようだ」
萱野が人差し指と親指で幸右衛門の分身をしごきながら、感心したように言う。
立て膝になって向かい合っていた。すでに帯は解いて、寝召しの浴衣は肩からかかっているだけだ。
「たくましい。こんなに太くてすべらかだ」
先穂を指先でくりくりと撫でられ、幸右衛門は思わず腰を突きあげるように振ってしまった。
「……んっ」
行灯の明かりに先走りが濡れて光る。萱野はうつむいて恥ずかしそうに小さな声で言う。これが好きだ、と。
「重実のも、いずれそうなる。己が育ててやる」
すでに手の平に握りこんでいたものをやんわりとしごくと、途端に張りつめて天を仰いだ。体のつくりに似て、萱野のそれは幸右衛門より細みで色白だった。それが欲情にはりつめた時にだけ、先端に牡丹の花のような色をのせるのを見ると、幸右衛門はとことんまでなぶりつくしたい衝動にかられた。
「……秀富」
手の動きに呼応して萱野がうめく。その甘やかにかすれた声に、また幸右衛門の分身はかさを増し、てらてらとぬめりをこぼした。
一つにして両手で握った。これ以上ないほど固く屹立したもの同士がぶつかり、絡み合う。互いの熱に触れてさらに欲情は猛っていく。ほんの少し動いただけで、敏感な部分がこすれ合う快感にぞくりと肌が粟立った。
「ああっ…………あ……」
萱野が幸右衛門の肩に額をのせて、声を殺す。
「重実、もう、音を、あげるのか?」
そう言う幸右衛門の声も苦しげにはずむ。
「あっ……や……だめ……そんなにしたら」
「ほら、重実も握ってくれ」
幸右衛門の肩につかまっていた右手をつかみ、下へ導く。
感じすぎてもうまともに力の入らない萱野の手を、二人分のたかまりにそわせて上からにぎりこんだ。
「ああっ……あ……あつい」
耳元で萱野が吐息をこぼす。
両手でしごきあげると卑猥な水音がした。互いの先走りでひたすら濡れそぼる肉棒を腰の動きとともにこすりあげた。
「…………あっあっ、いいっ」
がくがく腰を揺らして、天井をあおぎ、萱野が叫ぶ。
「許して…………もう、堪えられない、あっ」
どろりとした暖かい滴が、二人の手の甲にふりかかった。
「あ…………ああ…………ああああ」
萱野は体を震わせながら、吐精とともにとぎれとぎれに喘いだ。彼の中に打ち寄せる快感の波が、幸右衛門にも伝わってくるような、ひかえめながらも生々しい嬌声だった。
「……秀富」
しばらく幸右衛門の肩にすがっているだけだった重実が、我に返って二人の腹の前をさぐった。そこではまだ幸右衛門の欲情が、放たれずにはりつめたままだ。
萱野の左手がおずおずと幸右衛門の腰に触れ、引き締まった固い尻をなぞった。くすぐったくなって幸右衛門が尻をすぼめると、今度はゆっくり前にまわって茂みのまわりをやわやわと指先でまさぐり、足の付け根にひんやり垂れ下がる部分をやさしくつかんだ。
「どこ……さわって……」
「ここ、秀富の好きなところ」
両足のとじ目のような線をじらすように刺激された。
「……っあ」
幸右衛門がたまらず目を細めてうめくと、萱野は途端に前へ上体をしずめ、濡れた先穂を口でくわえた。
「重実、そんなこと……あっ……どこで覚えた」
熱い咥内に吸われながらなんとか問うと、萱野は上目使いに幸右衛門を見た。口元がを唾液とも愛液ともつかないもので、照り光っている。清楚な彼のそんな姿を見るだけで、幸右衛門には強い刺激になった。
突然萱野がくぐもった悲鳴をあげた。口の奥で太竿が脈うち、はねあがってしまったようだ。苦しげに涙目になって、それでも意地になったように両手を付け根に添えてさらに喉の奥へおしこもうとする。舌の奥に先端の敏感な部分があたって、たまらず幸右衛門は低い喘ぎをもらしていた。
「よせ……苦しいだろ……ああ」
肩に乗っていただけの浴衣がはらりと落ちて、萱野が尻を持ち上げて必死に奉仕している姿があらわになった。
男の匂いが充満した暗い部屋の中で白い肢体がくねる。その動きに連動して、なにもかもわからなくなるような暴力的な快楽が容赦なく押しよせる。
「ぁあっ……もう出る……はなせ。はなせっ」
迫りくる射精感にこらえきれず、彼の口の中に放ってしまった。
あわてて萱野の肩をつかんでひきはなそうとすると、彼は両目を閉じ恍惚として幸右衛門のしたたりを受けていた。絶頂にかすむ視界の中で、幸右衛門はその淫靡で静謐な美しさにみとれていた。
さんざんたわむれて、疲労に重くなった体を横たえた。一組の布団は男二人にはせまい。横向きによりかかる萱野が布団の向こう側に落ちてしまわぬように、幸右衛門は片腕をまわして抱きとめていた。
丸めた懐紙がいくつも布団のまわりにころがっている。白い花の落ちる夏椿(沙羅)の樹下のようだ、と夢うつつに思った。
――沙羅双樹の花の色。盛者必衰のことわりをあらわす。
平家物語の有名な冒頭を口ずさむ。哀切な琵琶の音さえ聞こえるような気がした。
「秀富?」
萱野が薄く目を開いた。ここにいる、と安心させるように肩を撫でてやる。と、同時に、ここしばらく言い出せなかった言葉をきりだした。
「重実……己は秋には京都に発たねばならない」
「とうとう上洛か」
幸右衛門は実母の弟である赤穂藩京都留守居役、小野寺十内の養子となっていた。いままでは江戸の生家で自由に暮らしてきたが、いよいよ京に移る時が来た。今後は京都藩邸の部屋住みとして養父の仕事を補佐しなければならない。
「書状とともに、小野寺の父から支度にと三条宗近の脇差を下げわたされた」
金無垢の小柄に鉄鍔のこしらえがついた在銘の一振りであった。幸右衛門にもそれが小野寺家の家宝の一つであることは容易に知れた。養父が幸右衛門に、嫡子としての覚悟をうながしていることを物語っていた。
「京都留守居役とは出世だな。将来は藩の重役か。めでたいことだ」
萱野はぼんやりと眠たげな声でつぶやき、次の瞬間、突然幸右衛門の腹の上に身をのりあげた。
「――その前に、おれと契ってくれ」
人が変わったように切迫して訴えてきた。
「もうさんざん契った」
くすりと笑って散らばる懐紙をながめると、萱野が上から顔を近づけてきた。
「そうではない。夫婦の契りのように、おれと肌を重ねてくれ」
顔を紅潮させてせまる萱野の顔を見て、幸右衛門もやっと何を言ってるのか理解した。
「やめておけ、重実。あれは巷で言われているほどいいものではないとおれは思う。寺稚児でも陰間でも、少年の頃から尻に異物を入れて修行したような者がやることだ。お前にそんな真似をさせたいと思ってこうしているわけではない」
「おれが、おれがそうしてほしいと言っている」
胸にすがる萱野の瞳がじわりとうるんでくる。
「男が男に抱かれるなどというのは、並大抵のことじゃない」
幸右衛門の脳裏に藩の児小姓組頭、片岡源五右衛門の面影が浮かんだ。主君である内匠頭に夜ごと抱かれているという噂の寵臣だ。二人の間に奥方ですら入りこめない絆があることは藩の誰もがみとめていた。それですら、主従の関係あればこそ耐えられるのではないかと思う。命を賭すべき相手に、体を捧げているだけだ。
それを萱野に強制するなど思いもよらないことだった。
「いやだ、秀富!」
細い眉を寄せて訴える頬を、透明な滴がひとすじつたった。幸右衛門は無骨な指先でそれをぬぐってやった。突然遠く離れてしまうと聞いて動揺しているのだろう。肉薄いなめらかな背中をなだめるように何度も撫でさする。
「萱野の庄はたしか摂津の国だったな。里帰りの時は必ず京に寄ってくれ。ずっと待っている」
おだやかに言い聞かせると、萱野は一度小さくすすりあげて幸右衛門の裸の胸に濡れた頬をのせた。
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