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第12話 【元禄】陰間茶屋

 小野寺幸右衛門の養父小野寺十内は、京都留守居役をつとめ百五十石をとる浅野家譜代の重臣だった。幸右衛門が上洛して挨拶をした時にはすでに五十代になっており、眉毛にはもう白いものがまじっていた。妻のお丹ともども、幸右衛門を跡継ぎ息子として京都藩邸に丁重に迎え入れてくれた。  その後の幸右衛門は、大名家同士の交際や接待のしきたりを学ぶことに追われていた。京都留守居役とは藩の外交担当部門だ。今まではげんできた剣術も馬術もほとんど使われず、礼儀三百威儀三千の作法の世界に四苦八苦していた。  そもそもこのようなな役職の跡継ぎなど、自分には向いていなかったのではないかと何度も考えた。しかし、養父十内は「このお役目には正直者がいいのじゃ」と言い、なにくれと無骨な幸右衛門を褒めてくれた。藩の交際費や機密費といった、ごく内輪の者しかしらない大金を扱う役目でもあるゆえに、家中から汚職に手を染めるものが出ることを十内はもっともおそれたのだろう。  その日は、浅野大学が京都藩邸を訪れていた。もともと醍醐寺の桜見会を見物に江戸から上洛していたのだが、京見物が楽しいらしく、そのままずるずると藩邸に居ついていたのだ。  浅野大学長広(あさのだいがくながひろ)は幸右衛門の主君である浅野内匠頭の実弟だ。幸右衛門の五歳年上で、少年時代は江戸上屋敷に暮らしていた。「兄上には生まれたときから赤穂藩一万五千石が約束されているというのに、おれにはなにもない」と不遇をかこつ次男の一人だったが、二十一歳の時に分家として三千石の知行を与えられ、気楽な旗本の身分になった。江戸の木挽町には自分の屋敷もかまえ妻もむかえたというのに、まだまだ遊び歩きたくてたまらないらしい。  汗ばむ陽気が夏の気配を感じさせる午後、小野寺が茶の湯の稽古から帰ってくると、まるで待ち構えていたように大学の居室に呼ばれた。 「御舎弟様、お呼びでございますか」  廊下に膝をついて襖を少しあける。 「幸右衛門か」  その声を聞き、手を差し入れて一気に開けた。  大学はすでに出かける用意をしていたらしく、縮緬(ちりめん)の袷に薄羽織を着ていた。白茶の袷は一つ前に着付け、羽織紐は当世はやりの平打ち、色は藤。着流しに金蒔絵をほどこした根付けを腰にぶらさげた様子は、武士というより遊び慣れた嫖客(ひょうかく)の風情だった。  大学は座敷にいざり入った小野寺の格好をしげしげと見た。 「外出の供を頼む。……そうだな、堅苦しい袴ははずしてその小紋に二本差しでいい。すぐ支度して玄関で待っておれ」 「身供をお召しになるのですか」  大学には、江戸から供をしてきた中間二人と草履取りの足軽がいたはずだ。  当惑する幸右衛門に、大学は面倒臭そうに答える。 「あやつらは、江戸の妻女に買収されてすぐ余計なことを口走るからな」  夜遊びには連れて行きたくないのだ。 「十内殿に話はついている。……本当はな、十内殿のからきりだされたのじゃ。幸右衛門が最近どうも沈鬱で、江戸を恋しがっているようだから息抜きにどこか粋な場所へ連れ出してほしい、と。よい父御じゃな」 「は」  そうなれば幸右衛門にはことわる余地もない。 「どうだ、親公認で堂々と京(みやこ)の花を愛でに行けるというのに、うかれてこぬのか」 むしろ意気消沈してしまった幸右衛門を、大学は不思議そうに見下ろしている。 「島原、祇園あたりの太夫(たゆう)、天神は美しいが気位が高くてなあ。どうだ、四条河原で手をうたぬか」  うきうきと語る大学に、幸右衛門は苦笑した。 「青楼の太夫など、身供のふところ具合ではとてもとても」 そして、少々いぶかしんだ。 「四条河原に、妓楼が?」 「陰間茶屋だ。男の舞台子(いたこ)も可愛いものだぞ」  含み笑いをする大学の顔を見ていると、この人は江戸にいる間の、幸右衛門と萱野の関係を知っていたのだ、と思いあたった。 「しかし、それがしは――」  大学はかがみこんで、下座に正座する幸右衛門の耳元にささやいた。 「人肌のぬくもりを知ってしまったのちの独り寝は、さぞかしこたえるものだろう。このことは江戸詰めの麗人には黙っていてやるぞ。武士の情けじゃ」  わるだくみをするいたずらっこのように笑ってみせた。  結局、主君の弟君の供をことわれる道理もなく、幸右衛門と大学の二人連れは大学の馴染みの子がいるという「松風」という陰間茶屋にあがった。  座敷にとおされ酒肴が運ばれると、やがて大学の敵娼(あいかた)である陰子が襖を開けて入ってきた。 「相良雪乃丞(さがらゆきのじょう)にございます」  扇子を置いてゆっくりと頭を垂れ、ぱっと顔をあげると嬉々として大学の隣によりそった。 「旦那様、またお会いできて嬉しい」  幸右衛門は目を丸くして雪乃丞をながめた。まだ首も手足も細い少年だが、みずみずしい黒髪を嫁入り前の乙女のような島田に結い上げていた。色あざやかな友禅の振り袖に胸高に帯をしめ、綿入りの吹きかえしを重たげに引きずって歩く。白粉と紅で綺麗に化粧をした顔は、えもいわれぬ可憐な色気があった。  これが男か。  幸右衛門は言葉を失っていた。遊女と一つだけ違っているのは、額を隠すように紫帽子をかけていることだけだ。 「旦那様、こちらのお武家様は?」  甘えるようにたすねる声はやはり、少しかすれた声変わり中の少年の声だった。 「ああ、小野寺幸右衛門、留守居役のせがれだ。そのうち出世するぞ」 「まあ、たのもしい。幸右衛門様、よろしう」  あでやかに微笑みながら、幼女のように素直に幸右衛門に頭をさげた。 「お内儀(かみ)を呼んでくれ、幸右衛門に敵娼(あいかた)を決めてやらなければならぬ」  雪乃丞が廊下に「おかあさあん」と声をかけると、しばらくして、五十代くらいの小柄の女が座敷に現れた。 「大学様、雪をごひいきにありがとうございます」  敷居のところに一度手をついて愛想良く挨拶をすると、するすると座敷にあがって大学の隣に座り、ひそひそと話しだした。  時々、二人がちらちら値踏みするように幸右衛門のほうを見る。どうにも居心地が悪くて困っていると、雪乃丞がにこやかに歩み寄ってきて幸右衛門の盃にも酒をさしてくれる。  雪乃丞が前屈みになると、つまみかんざしのビラビラが波打つようにまぶしく揺れた。 「……まだ遊び慣れていないのだ」 「今、控えの間に蝶吉がおりますけど。うちで雪以上の美貌はなかなか……」 「蝶吉のようなひよっこではつとまらぬ。もう少し年かさでいい。物静かな文人風がいいのだ」 「うちで年かさと言えば、好之介か……」 「ほう、好之介は体があいているのか? じゃあ、呼んでくれ。きっと気に入る」  しばらくして、 「お待たせしました」  座敷にあらわれたのは、小山好之介(こやまこうのすけ)と名乗るもう一人の陰子だった。こちらはすっきりとした色合いの、夏草に露散らしの小袖姿で化粧も髪の飾りも控えめだった。年は十八だという。腰つきは細いものの、肩幅はもう女とは思えない骨格を見せていて、喉仏もはっきりと見えていた。  雪乃丞ほどの可憐さ、華やかさはなかったが、その楚々としてどこか寂しげな様子はすぐに幸右衛門の心を強烈にとらえた。どことなく萱野に似ているのだ。なるほど大学の見立てに狂いはなかった。 「好之介兄さん、お先イ」  雪乃丞が三味線を置き、また頭を下げる。茶屋陰子としては好之介のほうが先輩なのだろう。  敵娼(あいかた)などと言われても、幸右衛門はどう振る舞い、何を話せばいいのかもわからない。膳の前で黙りこくっている幸右衛門の様子を見て、好之介は近寄らず雪乃丞の側へいった。 「雪ちゃん、替わるよ」  そう言って三味線を受け取ると、ちょっと転手をひねって弦の張りを整えた。 「さあ、何を弾きましょう」  ばちをとって明るく幸右衛門に微笑む。繊細な笑顔を見ると、馬を可愛がっていた萱野の面影がうかんだ。そう思うと、好之介の額にかかる紫帽子がやけに痛々しいものに見えた。  大学は雪乃丞の肩を抱くと、好之介の三味線の音に合わせ上機嫌で小唄をうなりだした。幸右衛門はどうすればいいのか途方に暮れたまま、いたずらにさかずきを開けた。

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