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第13話 【元禄】月の夜

「幸右衛門様、酔われましたなあ」  情けなくふらつくところを、好之介に手をひかれた。好之介がもう片方の手に持ったぼんぼりで回廊を照らす。酩酊したまま客用の小部屋に導かれた。  六畳ほどの小さな部屋だった。廊下に向けて屏風をたてた向こうには、すでに夜具がのべられている。  銀散らしの唐紙を閉めてしまうと、幸之介は行灯に細く火を入れ、慣れた様子で戸棚を開けて箱枕と煙草盆を用意した。入り口に突っ立ったままの幸右衛門のところに漆塗りの乱れ箱をかかえてやってきた、と思うと、さっとひざまずき腰に抱きつくように腕をまわして、するすると帯を解いてしまった。 「待て、まだ待ってくれ」  うろたえる幸右衛門に、好之介はおだやかに笑いかけた。 「お召し替えなさいまし」 「いや、いい。おれはそういうことはいいのだ」  はらりとはだけた着物の前をおさえた。  好之介がなにげなく言う。 「そういうお客さんもたんといらっしゃります。ただ夜具の中でお話して朝を迎えるだけのお方。三味線弾いて琴弾いて歌って踊って、一晩中にぎやかにお過ごしになる方。座らせて置物のようにじっくりとながめまわすだけのお方」 「お、おれもそれでいい」  好之介はするりと幸右衛門の小紋を畳に落とした。あわてて着物を拾おうとする幸右衛門の手を好之介が止める。 「いけません。お客様は動かずに、一国一城のお殿様のようにしていてくださりませ」  小さな子をたしなめるように言って、好之介はそのままくるくると襦袢も下帯も脱がしてしまった。裸になった幸右衛門の肩に、乱れ箱に入っていた客用の藍染めの浴衣を広げて着せかけ、奥小姓のようにかがんで兵児帯を締めてくれる。  着替え終わるころ、ようやく少し酔いのさめてきた幸右衛門はあぐらをかいて煙草に火をつけた。喫煙は京都で覚えた。なにごともつきあいの世界だ。  キセルの吸い口を咥えて好之介が着替えるのをながめていた。煙草盆には金泥で朝顔の絵が描かれている。  好之介は行灯のうすあかりの中で、帯を解いてするりと小袖を床へすべらせた。下に着ていた鹿の子の襦袢を脱ぐと、なだらかな肩の先に男のたいらな胸があらわれた。しかし腰には女ものの緋縮緬(ひぢりめん)の湯文字をきつく巻いている。倒錯した色気に幸右衛門はにわかに興奮してくるのを感じた。  よく手入れされたきめ細やかな白い肌は、室内の明かりのもとでほのかな艶をはなつ。色を売りものとする彼らの矜持を物語るようだ。ほんの少しだけ恥じらう素振りを見せて、好之介は湯文字をといた。幸右衛門は反射的に目で追ってしまったが、そこは客を焦らす手管なのだろう。さっと浴衣を羽織って前をかきあわせてしまった。  二人が脱ぎ捨てた衣服を好之介がたたんで乱れ箱におさめた。 「小野寺様」  好之介が寄り添ってくる。ちらりと見て、幸右衛門はぎょっとした。帯をしめていないのだ。胸元も腹のあたりまではだけ、脚も太ももまで見えたまま、横座りになって幸右衛門に甘えてくる。  とん、と煙草盆の灰吹きに吸い殻を落とした。 「いや、それは困る」 「好之介ではお心にかないませんか」 「そうではない。そうではないが……おれは」  自分でも情けないほど狼狽した声だった。 「想い人がいらっしゃる、とはまことなのですね」  好之介はさびしげにうすく笑い、小さなため息をついた。 「浅野様も本当に罪なことをなさいます。こんな男ぶりのいいお武家様とひきあわせて、それで力になってやってほしいだなんて」 「大学様が?」  好之介がくるりと枕屏風を裏返すと、そこには男色行為にふける武者の春画が貼られていた。 「てほどきするだけでいい、だなんて。酷なこと」 「てほどきを? おれに?」  一体、あの人はどこまで知っているんだと途方に暮れ、そういえば、長屋住まいにもかかわらず、声もろくにおさえずにやりたいことをやっていた二人だったと思い出した。あの頃は夢中だった。若かった。 「小野寺様、たとえ男でも、好いたお方には抱いてほしいものなのです」 「正直に言ってくれ。そのほうとて、体がつらいのを我慢してこんなところに奉公しているのだろう」  右腕にしなだれかかってくる好之助のほうへ顔をやると、好之助も首をななめに上げて幸右衛門をのほうを向いた。 「そりゃ、まあ、かごの鳥がお空を夢見るのは仕方ないこと。それでも、この苦界にも間男というのはあります」 「惚れるのか」 「こちらから抱いて欲しい殿方もいらっしゃいます」 「それは……ただ、苦行のようにつらいだけではないのか」 「それが気がかりなのですか」  好之介はあきれかえったような声を出し、やがて細い眉を寄せたまま困り顔でくすくす笑った。 「なんとまあ、お幸せな想われ人様。ではそのご懸念を、今宵この好之介が成仏させてさしあげます」  好之介はそっと夜具をめくって布団の上に自分の身を横たえた。と思うと、くるりとうつぶせになって枕元の手箱から木彫りの張り型をとりだした。その屹立した男の姿をしたなまなましい形に幸右衛門は一瞬ぎょっとした。 「そんなに驚かれな。こちらで責めるのがお好きなお客もいらっしゃります。若い頃の勢いはないからと」  軽く言って、好之介はさらに守り袋のような巾着をとりだした。中から数枚の切り木を取り出し、一枚を幸右衛門にさしだした。 「これを口の中に」  幸右衛門は布団のわきに座って素直にしたがった。好之介も口を開けて、同じ物を舌の上にのせて見せた。  ごく薄くけずった木片にはふのりを塗りかさねて乾燥させてあり、口に含んで唾液を吸うとぬめりのある粘液をつくりだした。 「お口開けて」  しばらくすると、あごにそっと指を添えられ幼子のように口を開けさせられた。白い指先がくるりと咥内で円をえがき、とろりとしたものをかきとっていった。 「お上手です」  自分の口からもすくいとったそれを手に、好之介は脚を開いた。はらりと浴衣の裾がひろげられ、半分熱を持ち始めている好之介のそれが見えた。幸右衛門は急に腰が重く感じた。体の中心に熱が集まってくるのをとめることができない。 「まずは湿らせて。無理強いは怪我のもとです。ほんの小指一本からはじめてくださりませ」  両足をひろげ心もち腰をうかせた卑猥な格好で、好之介が奥をほぐしていくのを幸右衛門は息を殺して見守っているしかない。  時折、好之介がこらえきれずに甘いうめきをあげるのを聴くと、それだけで鳥肌が立つような感覚が幸右衛門の背中を駆け抜けた。  やがて、好之介は大きな張り型を手に取り、ゆっくりと体に埋めていった。もう顔は白粉をしていてもわかるほどに上気して、「あ……ぅう……」と、ため息ではない、鋭い喘ぎももらしはじめた。幸右衛門に見られているのが刺激にもなっているのだろう。  熱にうかされたようなうるんだ目で、ちらりとすがるような視線を送られると、幸右衛門もあまりの淫靡な姿態に目の前がぼんやりかすんでくるような気さえした。  行灯の細い火が揺れる。暗くて不明瞭な視界で、好之介はせつない声をこぼしながら背中を弓なりにしならせていく。固唾をのんで見守っていた幸右衛門には、それが今夜出逢ったばかりの陰子なのか、焦がれてきた萱野の姿なのか一瞬わからなくなった。ともにのぼりつめたい。純粋な欲情は小野寺の脚の間から頭をもたげて熱くぬれそぼっている。だんだんに息をはずませていった好之介は、最後にびくりと、足先をのばして一声啼いた。  それは奈落へ落ちていくような哀しげな声だった。  しばらく中空をさまよっていた好之介の視線が、ふと布団の上に落ちる。自分で吐き出したもので濡れながら、呼吸で激しく上下する自分の腹をみつめ、我に返ったように半身を起こした。ずるりと濡れた張り型を自分の尻から抜き取ると、さっと慣れた手つきで懐紙でふきあげた。 「小野寺様、ここ、どうしましょう」  まだ頬を赤くし、うるんだ瞳のまま、幸右衛門のたちあがったものを浴衣の生地ごしにやさしくつまんだ。 「……っう」  思わず声がもれる。  舐めますか? と言いたげにちろりと赤い舌を唇からのぞかせる好之介。幸右衛門はその肩を押しかえした。 「いや、そのままでいい」 「触れてはなりませんか」 「おれには……かまわないでくれ」  やせがまんとわかる強がりを言った。 「……強情なお方」  好之介はまた、ふっと困り顔で微笑んだ。それでも、小野寺の気持ちをくみとってくれたようで、自分の後始末を終えると浴衣の前をあわせ、今度はしごきで軽く腰の上を結びとめた。 「そんなにその方を大事にされますと、好之介も嫉妬いたします」 「嫉妬などと」  困り果てた幸右衛門の顔を見て、ふふ、と笑った。男らしくもなく、かといって女ぶったそぶりもない不思議な笑い方だった。男女のあわいで生きる者のはかなげな微笑だった。 「冗談でございます。でも、そんな一本気な小野寺様をお好きにならずにいられなかったその方のお気持ちが、好之介にもわかる気がいたします」 「そういうお前にも間男がいるのではなかったのか。それは客の一人か?」  幸右衛門が言い返すと、好之介はさっと筆ではいたように寂しげないろを見せた。 「そう……そんな時もございました」  そしてまるで夜空をあおぐかのように暗い天井を見上げる。 「散ればこそ花。夢叶わねばこそ現世(うつしよ)」  詠うようにそういうと、少し疲れの見える顔で幸右衛門を見た。襟元をゆるく合わせたところからのぞいている白粉と地肌の境目がやけに色っぽく見える。しかし十八歳では、十四、五歳が「さかりの花」ともてはやされる陰子の世界ではすでに人気にかげりの出る年頃だろう。 「いつか、小野寺様とそのお方が仲睦まじうそわれる日がくることを、同じお月様の下で好之介もお祈りしております」  おしあわせに、とひときわ柔和に微笑み、こぼれる寸前の白菊のような相貌(そうぼう)を幸右衛門の心に刻んだ。

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