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第17話 【元禄】散ればこそ花

 年が明けた。  重大な話がある、と京都の家にやってきた兄の源吾はやけに深刻な顔をしていた。幸右衛門の使っている部屋に入ると、人払いをもとめて下男をおいはらい、幸右衛門と対峙した。上座の座布団を横にずらし、床の間にある刀掛けと幸右衛門との間をふさぐように座った。  ひどく嫌な予感がした。源吾は、幸右衛門が錯乱して思わず刀を取りにいくやもしれぬと、と懸念しているのだろうか。その時は止めに入るつもりなのだろうか。そんな話を今からするというのか。  沈痛な面持ちの源吾は、茶にはまったく手もつけず、じっと畳をにらんだまま重々しく言った。 「先日、萱野家から三平重実、急病頓死のお届けが出された」  がくり、と世界が揺れた気がした。 「き、急病、頓死、とは」  声はみっともなく震えていた。 「まことは、自害の由とのことじゃ」  震えているのは幸右衛門の声だけではなかった。兄源吾も、肩を震わせてすでに泣いているのだった。今まで見たこともない兄の姿は、やはり尋常ではないことが起こったことを裏付けていた。 「自害……」 「お前に黙っていたことは謝る。おれは大石様の命でことの真偽を確かめに先日萱野村まで行ってきた」  なにかの間違いであってほしいとおれも思っていたのだが……とそこでしばらく源吾は、ぐっとせりあがるものをこらえるように、言いよどんだ。 「……萱野三平は一月十三日に亡き母上の菩提寺に墓参りにおとずれたらしい。その日付けの遺書を書き残している。亡君内匠頭の祥月命日である十四日になるのを待って明け方自室で屠腹したようじゃ。明くる日、日が高くなっても萱野が起きだして来ないのを不審がった女中が、離れの居間を開けると、むせるほどの鮮血の海――その真ん中に萱野が無残な遺体となって倒れていたそうじゃ」 「離れの……居間?」 「西側の離れじゃ。東向きの窓のある八畳の居間だという。そこで日の出を待ったものかのう」  まぎれもない、あの日幸右衛門と萱野が時間を忘れて抱き合った部屋だった。 「萱野はは東向きでうつぶせになっていたそうじゃ。脇差しにて、腹をま一文字に引き斬ったあと、一度刀を抜いて右から喉笛をかき斬ってこときれていたそうじゃ」  介錯のいない一人きりの切腹だ。さぞかし苦しい最期だっただろう。  萱野の脇差しは備中水田国重の銘のある逸品だった。波千鳥の透かしの鉄鍔が、風流な彼らしいこしらえだといつも思っていた。  静かな絶望に包まれて、そして弓の弦のようにはりつめた覚悟をもって、その見事な刃のにえをみつめる萱野のさびしくも端麗な面差しが、幸右衛門の胸裏にうかんだ。 「八畳の居間は流血淋漓(りゅうけつりんり)として畳も襖も砂壁も、使用人たちがどんなに拭いてもあとから血がにじみ出てきてぬぐいきれなかったという話じゃ」  時折むせび泣きながら、源吾が語る。 「なぜ……なぜですか。自害など。仇討ちの誓いはどうなりますか! なぜ萱野は……」  兄の肩を両手でつかんでゆさぶった。 「家督を継いだ兄の重通(しげみち)にずいぶん折檻されていたらしい。兄は浅野公への忠心はすっぱり捨てて、大島様に仕官するようにと強引に話をすすめ、本人の知らぬところで縁談も決めていたらしい」 「縁談……」 「浪人してからの間、家族と仇討ちとの板挟みだったのだろう。父や兄への孝行と浅野公への忠義、その間で進退きわまったとおれは見ている。……萱野の兄は萱野を痛めつけて、むりやり仕官と縁談を了承するむねの誓詞をとってしまったらしい。とうとうどちらにも義理が立たぬと萱野は死を決意してしまった」  幸右衛門は頭の中で鐘をついたように、じーんとしびれて何も考えられなくなった。 「あまりの仕打ちじゃ……。遺書を残し、武士としてこれだけあっぱれな最期を遂げたのにもかかわらず、急病頓死とお届けして友人知人にもしらせずにさっさと密葬してしまわれた。血のつながった兄とは思えぬ、冷酷ななさりかたじゃ……」  源吾が無念の涙を落とした。  幸右衛門は突き飛ばすように源吾の肩をはなした。立ち上がる。 「幸右衛門、早まるな!」  源吾の声を背中に聞きながら、草履も履かずに中庭に走り出た。  あの日と変わらぬ冷たい風が木々を揺らした。強い風にあおられ、葉の隙間からのぞく日の光が気が狂ったように周囲を暴れる。  ――おれはもう思い残すことはなにもない。  あの日の、幸せそうな顔が、甘くかすれた声が、幻惑するようにうかんでは消える。  あの時、すでに彼は死を覚悟をしてしまったのだろうか。  あの顔も、声も、薄い胸も、骨張った背中も。  みな消えてしまった。  二度と手の届かないところへ逝ってしまった。 「――っ」  ふらふらと裏の井戸脇まできて、倒れるように尻をつき、幸右衛門は吐くように泣いた。  どのくらい泣いていたのか。急にばさりと肩になにかをかぶせられた。  はっとして顔を上げると目の前に源吾がいた。すでに周囲は薄闇に包まれている。かけられた羽織の内側に残る体温が、冷えきった体に染みわたった。  源吾に無言でうながされ、よろよろ立ち上がった。木刀で額に一撃くらったあとのような頭痛がする。西の空にはもうわずかな残照に紅霞がただよっていた。群れとはぐれてしまったのか、鳥が一羽だけ黒い影となって寝ぐらへ飛んでいくのが見えた。  部屋に戻った。縁側には足を洗う桶が用意され、部屋の中では火鉢に炭も赤くおこっていた。兄の心遣いを思い、幸右衛門は先ほどのおのれのとりみだしぶりを恥じた。  萱野への献杯だといい、源吾が養母に酒の支度を頼んだ。呑ませなければ弟は今夜寝付けないとふんだのだろう。養母は何もきかずに湯豆腐の支度をしてくれた。  ほとんど味はしなかったが、ともかくもすすめられるままに静かに飲食して体があたたまった頃、源吾がきりだした。 「幸右衛門、おれは明日、大石内蔵助様に萱野の遺書をお届けにここを発つ。遺書の他に随筆文などもあった。萱野のお父上が兄の目から隠しておいてくれたものらしい。大石様はぜひともそれを読みたい、とおっしゃっている」 「大石様は、萱野の文筆の才をご存じだったのでしょうか」 「武士としては微禄ながら、萱野の教養が非凡なものであったことは、亡き殿も国家老大石様もよくご存じじゃ。大石様はな、仇討ちは武力だけで完遂するものではない、と常々おっしゃっていた。力ずくの暴力だけでは世の理解は得られぬ、と。我らの志を後世に正しく伝えることができるのは文筆の力じゃ、と。だからこそ萱野に期待するところは大きかったはず。こたびのことも、『もっと早く京に呼び寄せるか、江戸へ下向させておくのだった』と悔恨の情は浅からず。萱野の身をせつに惜しんでおられる」  そして膳から立ち上がると、いつのまにか床の間にあげられていた文箱を持ってきた。  蒔絵でうずらの親子を描いた漆塗りの箱だった。幸右衛門はそれを見ると、一度おさまった涙がまたこみ上げてきた。江戸藩邸から、萱野が使い続けていた文箱だった。 「一晩じゃ。今宵一晩、お前に預けようと思う」  幸右衛門は文箱を開けた。  見覚えのある筆跡が彼を迎えた。    晴れゆくや 日頃の心の花曇り  これが萱野三平重実の時世の句であった。見慣れた筆跡を見ると、やはりこれを真実として受け入れなければならないのだ、と幸右衛門は身を切られるような痛みを感じた。  その下には厳封された大石内蔵助宛の書状が一通。おそらくこれが公に萱野の遺書となるのだろう。そしてその下から、一束の綴り紙があらわれた。 「蟾蜍の賦(せんじょのふ)」と題されたそれが、萱野が死の直前まで推敲をすすめていた随筆文だった。  せめて生前の茅野の心に肉薄せんと、朱筆で何度も直しを入れた草稿を熱心に読みすすめる幸右衛門に、源吾が語る。 「蟾蜍(せんじょ)とはヒキガエルのことだ。浪人に身を落とし息をひそめて時を待つ我らの境遇を、泥の中にもぐって冬をやりすごすヒキガエルになぞらえたものかのう」 「ヒキガエルの雅名は、たしか河鹿(かじか)ではありませぬか」  ほう、と兄は目を見開いた。 「お前も少しは書を読むようになったのだな」  心外そうな幸右衛門をよそに、少し酔いのまわった兄は腕を組みとくとくと語る。 「そうじゃ、蟾蜍(せんじょ)はヒキガエルの異名とされるが、漢籍(中国の書物)では月兎もしくは月そのものをさすこともある。夫を裏切った仙女が、不老不死の薬を盗んで月へ逃げたという話が後漢書にある。そこから転じたようじゃ」  幸右衛門はしみじみと和紙に残る萱野の手跡を撫でた。彼の生きた証が、両手の中で息づくようだった。 「夫を裏切って……月へ逃げのびたのですか。不老不死の薬を持って」 「さよう、月で待っているかもしれぬな……我らが追いつくのを」  幸右衛門が言いたかった言葉を、源吾が引きついだ。  夜空の遠くに白く輝く月は、彼の魂のすみかとしてふさわしい気がした。  もうその心は苦しくはなくなったのだろうか。  それでも、きっと寂しがっている。そう幸右衛門は考えた。  萱野三平重実の死から十一ヶ月後――元禄十五年十二月十四日未明、赤穂浪士四十七名は江戸呉服橋の吉良邸へ討ち入り、仇敵吉良上野介の首級をあげた。  亡君浅野内匠頭の恨みを晴らし、大願成就のその後、泉岳寺にひきあげた浪士たちは公儀の沙汰が定まるまで、細川家、松平家、毛利家、水野家へ分かれてお預けの身となった。  小野寺幸右衛門秀富はこの時、父小野寺十内、兄大高源吾と別れて毛利家へ身柄を送られた。  麻布にある毛利家上屋敷で、幸右衛門は北長屋にとらわれていた。毎日二汁五菜の食事を出され丁重に扱われてはいるものの、やはり罪人としての暮らしは不自由なものだった。長屋の中では屏風をめぐらせて浪士一人一人隔離され、互いの姿を見たり話をすることも禁じられた。刃物は髪結いのはさみや爪楊枝に至るまで毛利家の家臣のもと管理されていた。  年開けて二月三日。夜更けに幸右衛門のもとに、世話役の毛利家家中の者がおとずれた。服装から身分は中小姓くらいか、と幸右衛門は思うものの口をきくことを禁じられているので今まで確かめる機会もなかった。 「明日は、早朝から行水の支度をいたしますので、身を清めてこちらをお召しくださいませ」 つとめて事務的に話し、差しだしてきたものは新調の羽二重小袖と麻裃(かみしも)だった。 「いよいよその時がまいりましたか」  死出の正装を見て幸右衛門が思わず声を出すと、中小姓はいさめることもなくただうなだれて黙ってしまった。  首肯することも禁じられているのだろう。おれは明日死ぬのかと問われて、違うとも、そうだとも言えず、ただじっと拳を握りしめて下を見ている。 「これも最期とおぼしめして、一つだけそれがしの願いをききとどけていただけませぬか」  幸右衛門は丁寧に手をついた。十代とみえる中小姓は黙ったままだ。 「襖を。この襖をほんの少しだけ開けて、今生最期の月を見せていただけませぬか」  幸右衛門は屏風を置いた反対側の襖にそっと触れた。  中小姓ははっと顔を上げた。書状を書きたいだとか、何か差し入れて欲しいとか、そんな要望を予想していたのだろう。 「ではしばし」  誰かに許可を得ることもなく、自分の太刀から小柄をとりだすと幸右衛門の脇にかがんで襖を床に打ち付けていた細い釘を引き抜いた。 「どうかこの件は口外なされませぬように」  そう言い置いて、そろそろと細く開けた。  はたして細く開いた隙間から、二月の冷気がしのびこんできた。夜目にうっすらと光る白い玉砂利を敷いた庭のそこここに枯れた夏草のあとが見えた。  ここは北向きなのか、隙間の空に月は見えない。  その玉砂利の少し先に、古びた大きな瓶が置かれてあった。以前に鈴虫でも飼っていたものだろうか。今は古びて蓋もなく中には雨水がたまって、ふちに色づいた楓の落ち葉が数枚貼りついていた。  しだいに目が慣れてくると、その瓶の水面にに薄く氷が張っているのに気がついた。薄ら氷(うすらい)の表面に月光がぼんやり照り返している。透明ではかない一枚の膜の向こう側から、亡き人の魂がこちらをみつめているようだった。 「ここからでは、方角が……」  中小姓は月がのぞめないことに気がついたらしい。 「いや、これで充分。堪能してござる」  幸右衛門は感無量でそれだけ言った。  武士としての己の生涯が正しかったのか、正しくなかったのか。公儀はどう判断するのか。市中の人々はなんと噂するのか。吉良家につながる人々は恨むだろうか。……そして後世の人々は、どう判じるのだろうか。長い囚われの間、幾度となくそんなことを考えた。そんな答えのない問いに、やっと自分なりの答えが出たような気がした。  ――おれは、もう充分生ききった。  清々しくそう思った。萱野を一人、懊悩の末に死なせてしまった自分にできることは、彼が捨て身で守ろうとした仇討ちの志を最期まで貫き、身を殉じることだけだった。  ――待っていてくれ。もうすぐ追いつく。  氷の内側でほのかに光る月を見てそう思った。  おれは明日、もう一度あの月を抱く。  氷を割って刺すように冷たい水の中に手をさしいれ、この手にもう一度、失われた魂をすくいあげるのだ。  元禄十六年二月四日。赤穂浪士四十六士に切腹の沙汰が下り、江戸城から老中署名の御奉書がお預けの四家に届けられた。程なくして検視役がおとずれ、とどこおりなく切腹が行われた。  小野寺幸右衛門秀富は、毛利家お預けの十人の最期に首の座につき、申(さる)の下刻、武士の作法にならって死に就いた。

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