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第2話

 試合はそれなりに楽しめた。七人制ということもあって、チームワークよりも選手ひとりひとりの能力が試される試合になった。練習時間の足りない大人のチームにはむしろ、ちょうどいい内容だ。  大介も存分に走った。前半に三トライをあげる活躍で大いにもりあげたが、さすがに後半は少しバテてしまい、自分がもう学生時代のように無理のきく体ではないことを思い知った。  試合中、一度アクシデントがあった。  小さな男の子がひとり、高くなった土手のところに立って大介たち大人の試合をじっと見ていた。隣のグラウンドに着ていた子供のひとりのようだった。タグラグビー教室には飽きてしまったのだろうか。大介はすぐに気がついた。保育園の年長くらいで幸太郎と同じくらいの年齢だ、とすぐに思った。  タグラグビーは選手同士がぶつかるコンタクトプレーがない。そのかわり、腰の横にマジックテープでつけたタグをとられたら、「タックルを受けて倒された」ことになる。初心者の子供に指導するには最適の安全に配慮されたルールなのだ。  しかし、ラグビーの醍醐味はプレイヤーとプレイヤーが思いきりぶつかりあうところにある、と大介は内心思っている。平和なおこちゃまタグラグビーよりも、格闘技なみのハードなコンタクトプレーにあの男の子は魅せられたのだろう、と大介は面白く思っていた。  戦局は相手チームのフリーキックだった。スクラムハーフが、高くキックを蹴りあげた。落下地点をめざして、両チームの男たちが一気に走り込む。  味方の後方でフォローにまわっていた大介は、ちらりと土手の上を見た。  そこに男の子はいなかった。  見物していた誰かが、グラウンドの中を指さす。  甲高い声があがった。  一瞬で、大介は全身がぞっと総毛立った。  男の子は目の前を楽しそうに走っていた。空高くあがったラグビーボールを自分でとろうと思ったのか、上をみあげて、まっすぐにグラウンドの中心にむかって進んでいる。  そのすぐそばに、土埃をあげて全速力で走ってくる壮年の男たちが迫っていた。   ――ひかれる!!  車にはねられたように舞い上がる男の子の無惨な姿が、大介の脳裏をよぎった。あるいは、あの鉄のポイントを刺したスパイクに踏まれてしまうのか――。  心臓が止まるような一瞬だった。  小さな男の子の前に、緑のビブを着た青年が風のようにあらわれた。観客があっと口をあけた次の瞬間、男の子をかばうように抱き寄せていた。  走り込んできた選手の数人はもう気がついていた。しかし、すぐには止まれない。何人かが姿勢を崩しながら突っこんだ。人と人とが激しくぶつかりあう鈍い音がした。低いうめき声と倒れる音。 「純平!」  大介は駆けだしていた。  倒れ、重なりあった選手をかきわけて、下敷きになっていた純平を発掘する。  純平は痛みに顔をひきつらせながらも、胸の中で震えている男の子に話しかけていた。 「君……大丈夫、かな?」  大介の顔を見ると、純平は寝転がったまま、ほっとしたように弱々しく笑った。 「すみません、ちょっと僕、肩やったかも……。この子、出してあげてください。お願いします」  丁寧に言った。  大介はべそをかいている男の子を抱きあげた。 「翼! 翼! 無事ですか! 翼!」  悲鳴のような声をあげて土手をかけおりてくる男性がいた。父親だろう。大介の腕の中で男の子が首をのばして声のするほうを見た。 「すみません、すみません。ちょっと目をはなした隙に……」  人垣をかきわけて、父親が大介のところに進み出た。血相を変えた父の顔をみて、男の子もやっと自分の状況が理解できたのだろうか。一度腹をふくらませて息を吸い、顔を真っ赤にすると、大声でわああああっと泣き出した。  父親が、大介から子供を抱きとる。 「翼、なにしてるんだ。勝手にいなくなって! 人様に迷惑かけて!」  叱っている父親も、かなり動揺しているようだった。 「大丈夫ですよ。そういう無鉄砲な年頃じゃないですか。今は叱るよりも安心させてあげてください」  大介はやさしく言った。 「君も、こわかったよな。助けてくれたお兄ちゃんにお礼言おうか?」  父親にすがってわあわあ泣いている男の子にそう言って、純平のほうをふりかえった。大介の顔はそのままこわばった。そこには、まだ土の上に倒れたままの純平の姿があった。メディカル係がその肩に冷水をかけている。両チームの選手も心配そうに見守っている。 「清永くん」 「あ、大丈夫、です」  純平は顔をしかめて、ようやく起きあがった。 「試合止めちゃってすみません、大丈夫です」  気丈に言って、立ちあがった。 「あ、あり、ありっ」  ありがとう、と言いたいのだろうか。しゃくりあげる幼い声が、けなげに響いた。 「うん、お兄ちゃんは大丈夫だから。君も、これから気をつけようね」  純平は左手で男の子の頭をなでて、にっこりと微笑んだ。その場の空気がやっと和んだ。 「すみません、すみません」  大介とあまり年齢の変わらなさそうな三十代の父親は、純平に何度も頭をさげていた。  純平はまだ少し肩が痛むようだったが、タッチフラッグを左手に持ちかえて最後までレフェリーの一人として試合を進行した。  途中休憩を入れ、メンバーを変えて三回試合をした。太陽がやや傾いた頃に交流試合はおひらきとなった。試合は一勝二敗でヘルベチカの負けだった。取引先の接待としては、上々だろうと大介は思った。  いつのまにかグラウンドは日陰になっていた。吹きつける風が急に冷たく感じられ、大介はベンチに戻ってそうそうに長袖のジャージを羽織った。  見ると土手の途中に、敷物をひろげて加納の妻が観戦していた。やはり寒いのか膝掛けをしている。美佳がちゃっかりと一緒に座らせてもらっていた。  選手はみな、重くなった足をひきずってシャワー室のあるクラブハウスに向かった。  シャワーは通例として、まずレフェリー団。そして、アウェイのチームが先に使うことになっている。今回はアローズが先だ。大介は会場の片付けを手伝ってから、ゆっくりスパイクを脱ぎスニーカーにはきかえてクラブハウスに歩いていった。  平屋のクラブハウスには、銭湯のように男性用と女性用二つの出入り口があった。それぞれロッカーのある更衣室、その奥のシャワー室へとつながっている。  男性用のドアが開けっ放しになっていて、シャンプーの香る湯気が白くもれていた。すでに着替え終わったアローズの選手が、濡れた頭にタオルをかけて出てきた。大介に軽く挨拶し、お互いに拳をぶつけあった。 「完全燃焼だった。良い試合でしたよ。またやりましょう!」 「ええ、また」  大介が相手選手を笑顔で見送って、ふとクラブハウスの壁の隅に目がとまった。見覚えのある服が角からのぞいていた。Tシャツに黒いジャージのズボン。純平だ。 (レフェリー団だったのに、まだシャワーを済ませてないのか)  不審に思った大介はクラブハウスの角まで歩いて行った。  そこにまだ体を濡らしたままの純平が、ひさしの下のコンクリートの土台部分に座っていた。 「純平、大丈夫か」 「あ……大丈夫ですよ。僕のことは気にしないでください」  少しあわてたように片手をあげて見せた。 「シャワー、まだなの?」  その時、彼の顔が青ざめているように見えて、大介はどきりとした。彼の着ていたTシャツはさっき負傷したとき水をかけられて、びっしょり濡れていた。日が翳り、風が強くなってかなり体が冷えただろう。 「寒いんだろ。上着持ってないのか?」  いましも風がびゅっと吹いて、純平は亀のように首を縮めた。かすかに震えているようにも見える。風を避けるために建物の影に隠れるようにしていたのだろうか。 「ああ、昼間暖かかったんで、ウインドブレーカー忘れちゃって」 「早くその服脱いで、温まってこいよ」  そう言って、立たせようと純平の腕をとった。案の定、腕の表面は驚くほど冷たくなっていた。 「あの、いいんです。僕は最後で」  純平は苦しげに言って、大介の手をふりはらった。あぜんとなった大介の顔を見て、今度はなぜか泣きそうな顔になる。 「ほっといてやれよ」  後ろから声をかけてきたのは、加納だった。ボストンバッグを背負って、クラブハウスの入り口を入ろうとしているところだった。  大介は純平から手をはなし、加納に詰め寄った。 「どういうことだ?」  声には怒りがにじんでいた。周囲の人間がひどく身勝手に思えた。  純平は、みんなが試合を楽しむためにレフェリーのひとりとして働いてくれた。途中、男の子が迷い込んできたアクシデントの時は、身を挺して事故を未然に防いだのだ。今、のんびり「いい試合だった」などと言えるのは彼のおかげなのに、この仕打ちはなんなのか。  加納はちょっとあたりを見まわし、声をおとして大介に囁いた。 「あの子、ゲイなんだよ」  思いもよらない言葉だった。

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