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第3話
「でも、だからって、なんなんだよ」
「アローズの人たちが言ってたんだ。あの子、時々人数合わせに呼ばれるらしいけど。あの子にとって男は性の対象なんだよ。だからさ、あの子と一緒にシャワー浴びたくないっていう奴がチーム内にいるんだと」
大介はすぐに意味がのみこめなかった。加納が仕方なさそうに説明してくれた。
「つまりさ、俺たちみたいなストレートで例えると、男と女が一緒に風呂入らされるようなもんだろ? 嫌だっていう奴もいるよ。裸を変な目でみられたくないって。ここのクラブハウスみたいに、シャワーブースの仕切りのない場所では、あの子はみんなが終わるの待ってて、一番最後に浴びることになってるんだ。本人もそれでいいって言ってるんだよ」
だから、あの子のことはそっとしといてやれ、と大介をシャワー室へうながした。
大介は意地をはるようにその場に居座った。
「でも、体が濡れて寒がってるんだ。それをみんな知ってるくせに可哀想だろ」
加納は面倒臭そうな顔で、意地悪くつけ足した。
「お前さー、そうやってあの子に肩入れすると、お前もお仲間だって言われるぞ」
「お仲間?」
「おホモだち」
くくっと加納は低く笑った。
大介は突き放すように加納をこづいた。
「勝手に言ってろ」
大介はいそいでグラウンドのほうへとってかえした。
隣接した駐車場へ行き、アウディのトランクにキーを差した。中から内側に白いボアのついたベンチコートをとりだし助手席に投げこんでから、運転席に座ってエンジンをかけた。川沿いの道を少し走り、クラブハウス前へのりつけた。
ベンチコートを持って降り、建物の陰で顔を伏せてうずくまっている純平に駈けよった。
膝をついて冷えた肩にかけてやると、純平は、はっと顔を上げた。その顔は今度はぼんやりと紅潮していた。
「あ、僕が着たら、これ、濡れちゃいますけど」
「いいから着てなさい。冷えるから。車持ってきたから、乗って」
「乗る……って」
「こんな思いしてまで、あんな連中につきあってやる必要なんかないだろ。今から、君が心置きなくシャワーを浴びることのできるところへ行こう。早く着替えないと風邪ひくぞ」
一度土の上に寝転がった純平の体は泥で汚れていた。
「でも、こんな体じゃ無理です。服も、お車も汚れちゃいますし。それに……僕は」
純平は言葉につまり、あわてて人目を気にするようにあたりを見まわした。
その世間の目に怯える様子が痛ましかった。
大介は落ち着いた声で言いきかせる。
「いいから、黙って乗ってくれないか。俺は、君を利用するだけ利用したくせに、ゲイだって差別するような連中と一緒にはなりたくない」
「あ、で、でも、利用、なんて。僕は好きでやってるので」
「話は車で聞く」
大介は、きっぱり言って純平をせかし、泥だらけのままベンチコートでくるんで、助手席に乗せてしまった。
加納はもうシャワーに行ってしまったのか姿が見えなかった。数人のアローズの選手がクラブハウスの入り口にいて、びっくりした顔で大介の車をよけた。
川沿いの道を走り、都内へ向かう国道246号にのった。車内は暖房をフルにしたおかげでのぼせるように暖かくなっていた。
さっきから助手席で不安そうな顔をしている純平に、大介は声をかけた。
「純平、もう寒くないか?」
「あの、あなたのお名前をまだ……」
そういえばまだ名乗っていなかったか、と大介は自分につっこみたくなった。
「久我大介。元トリニティの社員で、今はフリーのグラフィックデザイナーやってる」
「久我さん、すみません、これって今、どこに向かってるんですか」
「そうだな」
大介は言葉につまる。正直、なにも考えていなかった。とりあえず、あの場所で純平が寒さに震えながら、さらし者になっているのが許せなかっただけなのだ。車に乗せて暖めてやろうと思いついただけで、その後のことはあまり考えていなかった。
「風呂屋かなあ。銭湯とかねえかな。ああ、そういやここらへんに、スーパー銭湯あったよな」
「……山河の湯なら、もう閉館しましたけど」
ぼそ、と純平が言う。
「カーナビで探すか」
大介が液晶パネルに手をのばした。制止するように、純平が横から手を出し、二人の手が触れあった。
まるで火傷したように純平はびくっと手をひっこめた。
「どうした?」
「よくないと思います。こういうの」
純平は黒目勝ちの瞳を、細くしてじっと前方をにらんでいる。
「よくない?」
「僕は、職場の人にゲイだって知られてますし。それに、久我さんには、可愛い彼女さんが応援に来てたじゃないですか」
「彼女?」
大介は誰のことを言われているのかわからなかった。試合前のことを思いかえし、やっと思いいたった。
「ああ、美佳のことか。彼女はただの仕事仲間だよ」
「今日は、あの人と一緒に帰るんじゃないんですか?」
大介は一瞬だけ、純平のほうを見た。この子はそんなことまで気をまわしていたのか。
「トリニティの社員時代からの腐れ縁だから、もう十年もただの同僚。今さらどうかなりようもないよ」
一笑に付した、が、純平のほうはまだあまり納得していないようだった。
車は用賀に近づいている。大介は大きな外車のショールームのある交差点を曲がった。街並みは薄闇につつまれ、ぽつぽつと街灯が灯っていた。
「純平さあ、率直にいうけど、俺たちこんな恰好だろ? 汚れてるし、汗臭いし。今からちゃんとしたホテルとか考えにくいだろ?」
「ホテルっ?」
純平の声が裏返った。みるみる耳が赤くなっていくのが、視界の隅に見えた。
その動揺ぶりを見て、大介もなぜか落ち着かない気持ちになる。
(待てよ。なんだその反応。いっそのこと、それでもよかったのか?)
不思議と悪い気のしない自分がいる。
「いや、だから、無理だろ? でさ、俺のうちがもう近いんだ。とりあえずうちでシャワー浴びて着替えてけよ」
「ああ、ああ、はい」
ほっぺたを赤くしてうつむく。その顔が林檎のように赤いのは、単純な羞恥だけではないのではないかと、さっきから大介は少し心配になっていた。
「具合、悪いんだろ? 眠ってていいぞ」
純平は困ったように笑った。
「なんで、久我さんにはわかるんですか?」
「熱っぽい顔してる」
純平が真顔になり、自分で自分の頬に触れた。
「のぼせてきただろ? 背もたれ倒して寝てていいぞ」
「ほんとに、いいんですか」
「俺って、やーさしー」
大介は自分で自分をひやかすように軽薄に言った。
くす、と純平も微笑むと、リクライニングにして顔を大介に向けたまま、そっと目を閉じた。
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