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第5話

 大介は来週締め切りのパッケージ案をまとめていた。中身は食品メーカーが有名なケーキ店とコラボしたプチフールだ。ターゲットはF1、コンセプトは「自分へのプチごほうび」だという。色違いでサンプル画像を三タイプ用意した。冬のリリースになるから、暖色系がいいだろう。できればクリスマスや正月の宣材とも相性のいい色がいい。そんなことを考えながら、デスクトップのパソコンで作業をしていた。  仕事用の部屋は十三畳の広いリビングをあてている。一番奥の大きな窓の前が自分の作業用デスク。真ん中の四人がけのテーブルは打ち合わせ用。資料用本棚で仕切った向かい側には洗面台があり、電気ポットをすえつけてささやかな給湯ブースにしている。  しばらくのあいだ、大介がマウスを転がす音と、キーボードでショートカットキーをたたく音だけが聞こえていた。オーディオ機器はあったが、音楽はかけていない。純平が起きだしたら、物音で気がつくようにしているのだ。  そして、大介の思った通り、遠慮がちな物音がした。寝室の扉を開ける音だ。トイレだろうか。  大介は立ち上がって、廊下につながるドアを開けた。  寝室の扉はすでに閉まっていた。  くるりと振り返ると、そこには今にも玄関のドアを開けようとしている純平がいる。 「な、なに? 帰るの?」  うろたえた声を出していた。純平は別のTシャツとジーンズを着ていた。もともと荷物の中に入っていた着替えのようだ。肩には、エナメルの四角いバッグをさげている。さっき洗って乾燥機にかけたばかりの洗濯物を片手に持っていた。勝手に洗面所からひっぱりだしたのだろう。  逃げるように帰ろうとしていた純平は、大介にみとがめられたとたん、くしゃっと顔をゆがめた。まるで悪事をみつけられた子供みたいだった。 「帰るなら、俺、送るって言ったよな。それに、まだ――まだ無理だろ?」  大介は、自分でも驚くほど動揺していることに気がついた。短い廊下を大股で歩いた。出て行こうとする純平を押しとどめようと必死になっていた。 「久我さん、無理です。やっぱもうこれ以上、無理です」  純平は力の入らない腕で抵抗した。ドアの前でふたりの男がもみあいになった。 「なにが? なにが無理なの」  大介が両腕をつかんで、自分の正面を向かせると、純平はぐずぐずと座りこんでしまった。茶色がかった大きな瞳がみるみるうるんでくる。赤い頬がさらに赤くなる。 「それは、僕が、ゲイだから」 「知ってるから。俺はそれを知ってて君を家にあげたんだ。具合が悪いのに、今はそんなこと関係ないだろ」  純平は、きっ、と大介をにらんだ。 「関係ない? 関係ない、なんて、ひどいです」  言いきったとたんに頬を涙がつたった。 「なん――」 「僕は、男の人が好きです。とくに、年上の人が好きなんです。余裕があって、やさしく接してくれる大人の人がタイプなんです。久我さんに――」  そこで純平は片手で顔の上半分をおおってしまった。 「久我さんに、グラウンドで会ったときから、いいなって――いいなって思ってました。なのに、こんなに優しくされたら、いやでも期待しちゃいますよ!」  純平は、膝を立てて座りこんだまま、顔を覆って泣き出した。もともと熱い体が、燃えるように熱くなっている。 「好きになっちゃいますよ。でも――そうなったら、あなたは困るんですよね」  大介は完全にどうすればいいのかわからなくなっていた。なんとか説得して、純平を自分のベッドに戻したい。さっきのような甘えた顔をして、自分を頼ってほしい。休日の間ふたりで過ごして、のんびり平和な看病がしたい。  ――好きになっちゃいますよ。 (好きになっちゃうのか)  大介の頭はそこで思考停止する。それでいいのか。いや、最初からそういう下心があったわけではないのだから、そういうのは……。  ――そうなったら、困るんですよね。  もちろん困る。純平と恋愛にいたる心の準備はできていない。そもそも男の彼に自分が性的に欲情するかどうかもよくわからないし、どうしても彼の全てを手にしたいと思うほどの激しい感情はまだ持っていない。 (でも、純平を帰すのはいやだ)  自分でも身勝手すぎて、あきれるほどだ。  大介は純平の前に膝をついた。 「そのことは、あとで考えよう」  年上らしい包容力のある態度で、堂々と問題の先送りを宣言した。 「無理です。今が僕にとってのぎりぎりなんです」  駄々っ子のように泣きながら言う純平。その必死さにたまらなくなって、純平の頭をぎゅっと抱きよせていた。 「やっ……」  シャツ越しに熱い息を吐いてもがいていた純平は、やがて観念したように動かなくなった。撃ち落とされてしまった鳥のように、くったりと大介の肩に頬を載せている。 「俺はどうすればいい? 純平はどうしてほしいの」 「……わかり、ません。久我さんの気持ちがわからないのに、それを僕に訊くんですか」  心細そうな声がかえった。ああ、俺はずるいのか、と大介は純平の頭を抱いたまましばらく考え、俺もわかんないんだよ、と途方に暮れた。 「俺にはさあ、君たちのやり方がわかんねーから」 「やり方?」 「ゲイの人たちってだいたい体の相性から入る人が多いらしいよね。ゲイバーとか専用のアプリとかで知り合うんだろ?」 「よくご存知なんですね」 「中学の時の同級生が、会員制ゲイバーのママやってる」 「それで久我さんには偏見がないんですか」 「まあ、そうだね。あいつのおかげかねえ」 「僕も……そういうとこで知り合ったことあります。ちょっとしゃべって、カラオケして、すぐホテル、みたいな感じ。最初っから、セックスの相手として体格や性癖も重視しますし」 「俺とも、そうしたいの?」  しばらく考えて、純平はふるふると頭を振った。 「僕は……もっと久我さんのことが知りたいです」 「俺も。正直このまま純平帰すのもったいないし。かといっていきなりベッドでいろいろ試すには時期尚早って感じ」  ふふっと純平が肩を震わせた。 「久我さんって、ほんと身も蓋もないですね」  純平は大介の胸にもたれたまま、乱れた息を整えた。ゆっくり深い呼吸をする。 「僕は……そういういかにもゲイって感じで、性に貪欲に生きることよりも、ほんとは男の人と女の人みたいな恋愛がしてみたかったです。ちょっと昔のドラマみたいな、遠回りでめんどうくさい恋愛がしてみたかったです。お互いの好きなもののことを話したり、思い出の場所へ行ってみたり。だんだん相手のことを知って好きになる、みたいな。でも、仲間内でノリの悪い、重たい奴って思われるのがいやだったので、セックスが好きなフリをしてきました」  大介はやっと着地点が見えてきた気がした。 「じゃ、それ、やってみる? 俺となら、そういうのできそうじゃないか?」 「僕の、夢を叶えてくれるんですか?」  見上げた純平が、冷えた指先で大介の伸びかけの髭に触れた。なにか言おうとした瞬間、純平があわてて顔をそむけて、大きなくしゃみをした。 「ほら! 無理してんじゃねーよ」  エナメルのバッグをむしりとり、寝室へとせかせて、ベッドへ入れた。

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