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第7話

「これ、清里にあるワインメーカーの。俺がラベルデザインしたんだ」  ワインの瓶を赤白並べてみせると、純平は面白いほど感心した顔になった。 「へえ、すごい。由緒ありそうな雰囲気でかっこいいです」 「お酒のラベルは長い間やりたい仕事だったから、これはすっごく覚えてる。採用されたとき嬉しかったなあ」 「久我さんは、普段こういうお仕事されてるんですか」  ひと晩ぐっすり眠ったら、純平の熱はすっかり下がっていた。食欲もあるようだ。 「もう大介にしないか? 俺たちつきあうんだろ?」 「え? ああ、はい」  そう言うと、急に所在なさそうにそわそわする。どうしていいのかわからないのだろう。そこそこ体格のいい大人のくせに、そういうときはひどく幼く見える。名前のとおりとても純粋だ。セックスをせかされるような恋愛しか経験していない、というのがどうにも憐れだった。  大介は以前におみやげでもらった参鶏湯(サムゲタン)の缶詰を鍋に開けて暖めた。丸鶏の半身が入っている大きな缶で、骨まで柔らかくなった鶏肉と、薬膳のスパイス。粥のような餅米をふたりでわけあって食べた。寝室は狭いので、仕事場にある打ち合わせ用のテーブルを使った。  お腹が温まると、純平の顔色もかなりよくなってきた。  満腹でリラックスしていると、突然玄関チャイムが鳴った。ドアカメラの映像を見たとたん、大介はげ、とあからさまに顔をしかめた。    ※   ※   ※ 「どういうことか説明しようよ」  美佳は朝から元気だった。大介の頭に高い声がびんびん響く。 「なにを?」  デスクに並べたモニターの隙間から不機嫌に答える大介に、ぐいっと詰め寄った。 「なんでアローズのタッチジャッジ連れて帰って同棲してんの」  美佳が仕事の確認のために立ち寄ったのだった。応対したのは大介だが、そのとき仕事部屋にいた純平と、はちあわせをしてしまった。今は寝室にひきあげている。仕事の話だとわかって遠慮してくれたのだろう。 「同棲ってお前さあ。具合が悪そうだったし、ひとり暮らしだっていうから、泊めただけだろ」 「私は! べろんべろんに酔いつぶれても! タクシーにつっこまれるだけで、ここに泊めてもらったことなんてなーい!」 「お前は女だろ! もっと操大事にしとけ」  大介は大きく伸びをして自分のデスクから立ち上がった。 「今日は日曜日だろ。なんで来たんだよ」 「例のパッケージ、進捗見に来ただけじゃん」  美佳が心配してくれているのはわかっていた。勝手知ったるとばかりに給湯コーナーへ行き、自分でインスタントコーヒーをいれている。 「そしたら、あの子がここにいるからさあ、私はてっきり」 「てっきり、なんだよ」  そこで、美佳はわざとらしく視線をそらせた。 「……雛子と幸太郎、どうすんのかなって」 「そういや、来週保育園の運動会だってさ。お前も来るんだろ?」 「幸太郎くん、大介のことパパって呼ぶんでしょ。雛子もそれをやめさせないんでしょ。大介も、そろそろ二人のこれからを考えてあげる時期なんじゃないの?」 「幸太郎の父親は、永遠に大友だ。俺は代理打者(ピンチヒッター)にしかなれない」  幼い幸太郎が「父の死」を理解できるようになるまで。それまでは心細い思いをしないよう支えてやりたいと思ってきた。それが美佳には、時期をみて雛子と一緒になるものだと思われていたようだ。 「俺は人の親になれるような器じゃないだろ」 「そう考えるの、よくない癖だよ」  美佳はそう言いながら、打ち合わせ用のテーブルに腰かけ、コーヒーをすすった。大介と大友、美佳はトリニティの同期だった。大介はデザイナー、大友と美佳は営業職だった。大介が独立した後もトリニティに残った美佳は、大介に外注される仕事を担当してくれている。パイプ役のようなものだ。彼女が間に入って調整してくれるおかげで、大介も安心して仕事にうちこめる。 「大友くんはずっと二十八歳のまま。私たちは今年でもう三十三、かあ。そろそろ身をかためて周囲を安心させてもいい年頃だよ」 「その言葉は、そっくりそのままお前に返すからな」  うっ、と美佳が横っ腹をおさえて撃たれたマネをする。プリンターが鮮やかににプリントされたコート紙を吐き出した。 「どうよ」 「うん、いいね。データも見せて」  美佳が大介のデスクにやってきた。大介は交代して席を立った。 「うん、データ設定もクライアントの指示通りしてるし、間に合いそうだね」  プロの顔をしてうなずいたあと、しみじみとつぶやいた。 「正直大介にはさあ、雛子と幸太郎と一緒になってくれたら安心だなって思ってた。でも、あの男の子、試合中に小さな子助けた人でしょ。大介がかばいたくなるの、なんかわかるよ」  モニターをみつめながら、美佳が訳知り顔でいう。 「もう後悔はしたくないと思っんだ。俺は昨日、純平を助けて安心したかったんだよ」 「んー、そうか。ぼっとけないってやつかあ」  ほうっておけない。なるほど、言い得て妙だ。大介は変に納得した。 「不思議だねえ。今まで大介は、ちょっと他人に対して潔癖なとこがあってさあ。私も大友も、絶対に自分のプライベート空間には入れてくれなかったのに。純平くんだっけ、あの人は、あっというまに寝室まで入れてるなんてさ」  そういわれてみると不思議だった。試合後の汚れたままの姿で車に乗せたことも、今までの大介からはありえないことだ。 「でもいいよ。今まで大介は、そうやって人に大して一本線を引いて弱みをみせないとこがあったから。これから、そこに踏み込める人ができるのはいいんじゃないの」  美佳はからりとした顔で笑った。こういうさばさばしたところが、彼女の長所だ。  そして自分の携帯電話をふってみせた。 「さっき引っ込むときにさ、廊下で呼び止めて、あの人とSNSのアカウント交換しちゃった。これから大介の弱み、にぎり放題だ」 「待てよ! 俺より先に?」  うふふふ、と不敵に笑う美佳に、大介は思わず叫んだ。    ※   ※   ※  大介が純平を強引に連れ帰った次の日の夕方、純平は「もう大丈夫です」と自分で帰っていった。エナメルバッグに洗濯した衣服をつめて。大介がもたせてやった薬とレトルトのおかゆを持って。  玄関を出たところで、大介に深々と頭をさげた。 「ありがとうございます。僕、人に頼るのが苦手で、すぐ『平気』って言って我慢しちゃうので、具合の悪いときにあんまり優しくされた経験がないんです。でも本当は誰かに看病してもらうの、ずっと憧れていたので」  目を細め、内側から輝くような笑顔で言った。 「昨日一日、夢みたいな日でした。お世話になりました」  大介はまっすぐ向けられた感謝に胸がいっぱいになってしまい、とっさに気の利いた言葉がうかばなかった。もう一度、純平の首に腕をまわして軽くハグした。  大介も幸福だった。大切なミッションをやり遂げたような充実感に満たされていた。

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