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第12話
雪穂を車で駅前まで送っていった。川沿いの道を走り、純平が働いている倉庫に戻ると、すでに灯りが消えていた。
行き違いになったか。大介は運転席で携帯電話を取りだした。
――今、仕事終わりました。大介さん、どこですか。
ついさっき、純平からのメッセージが入ったところだった。
道の先に、ぼうっと青白く光っているものが見えた。携帯の液晶の明かりのようだ。顔を照らされているのは、純平。その前に親子の姿があった。スーツ姿は父親だろう。それと幸太郎くらいの子供だ、保育園の荷物なのか、サメの形になったリュックを背負っている。父親は純平に何度も頭をさげているようだった。
大介は車を降りて、近づいていった。
「あ、大介さん、覚えてます?」
純平が嬉しそうに話しかけてきた。
「こちら、あの試合のときの」
大介は暗がりの中、上半身をかがめて子供のほうを見た。ラグビーの試合に紛れ込んできた、あの子だというのだ。あの時は真っ赤な顔をして泣いているところばかり思いだされて、今のにこやかな表情とうまく結びつかなかった。
「あの時はちゃんとお礼もできず、すみませんでした。あとでチームの方から、清永さんの仕事先を教えていただきまして」
これは気持ちばかりですが、と紙袋から名刺と菓子折らしき包みを純平に手渡した。
「あのときはこちらも試合中でしたから仕方ないですよ。翼くんも、なんともなくってよかったね」
純平は照れた顔で、父親のとなりにいる男の子の頭を優しくなでた。
「丁寧にありがとうございます。こんな遅くまで、僕を待っていてくれたんですか」
純平が恐縮すると、父親は苦笑した。
「いえいえ、私の仕事が遅いので。お迎えはいつもこんな時間です。近所にある民間の保育所に通ってるんです」
「失礼ですが、お母さんは……」
大介がたずねると、 父親は言いにくそうに目をそらせた。
「今、ちょっとありまして」
「ママはね、今じいちゃんのうちに行ってるの」
言葉をにごす父親のかわりに、翼が答えた。
「そうなんだ」
「そのうち帰ってくるんだよね」
ね? と問いかけられて、また父親が言葉につまる。
翼は無邪気に、純平の手をとって甘えてきた。
「お兄ちゃん、今度ラグビー教えて。ボール、ガッて蹴るのやりたい」
「パントキックかな?」
そういえば、この子はハイパントにみとれて試合にまぎれこんできたのだった。
「翼くんは、あのタグラグビーのスクールには行ってるの?」
純平が問いかけると、翼はふるふると首をふった。
「パパがだめだって~」
不服そうに言う。
「この前のこと、気にされてるんですか?」
父親は、弱々しく笑った。
「たしかにああいうことも心配なんですが……あの時は、たまたま仕事が休みだったので私が連れて行けたんです。私は土曜日にも仕事があって、送り迎えができないんですよ。あのときはまだ家内がいてくれたので通えると思っていたんですが……」
「そうでしたか」
「ラグビー、またできるといいね」
大介が言うと、翼は目を輝かせて答えた。
「うん。おじさんも今度教えてね」
「翼くん、三十三歳はおじさんじゃないぞー」
大介がふざけて追いかけると、きゃっきゃっと楽しそうに逃げまわった。
※ ※ ※
夕食は、純平がよく行くというラーメン屋へいった。家系はちょっと重いな、と内心少しひるんでいた大介だったが、つけ麺が評判だというきれいめの店だった。平日でもあり、やはり男性の客が多いが、たまに家族連れの姿もあった。男同士でうかないところを純平が選んでくれたのかもしれないと、大介は思った。
「つけ麺か、酸っぱい感じ?」
「酸っぱくて辛いです。慌てて食べるとむせちゃいますよ」
純平が楽しげに言って、食券の販売機に千円札を送り込む。
「酸っぱいのかー」
大介が悩んでいると、純平がトッピングのところを指さした。
「苦手ですか? じゃあ、長芋つけるといいです」
「とろろってこと?」
「刻んでありますからサクサクいうんです。僕の推しは、ネギと長芋足しですよ」
素直に純平の忠告にしたがった。
やってきたのは、太めの麵ののった竹ざると、味噌をといたつけ汁だった。濃厚な魚介だしに、唐辛子と山椒の辛みがアクセントになっている。なるほど長芋を混ぜると、酸味がやわらぐ気がした。つけ汁に粘りが出て、麵にもからみやすい気がする。白髪ネギの香味と、さくさくする歯触りも楽しかった。
ふと見ると、向かいに座った純平も、無言になって口に太い麵をはこんでいた。体を使う仕事をして腹が減っているのだろう。一生懸命食べている姿が微笑ましかった。
寮が近いせいか、純平はブルーのツナギそのままだった。冷蔵庫に入るとき上から羽織るというフリースの上着を腰にむすんでいる。後ろのポケットは丸めた軍手でふくれていた。
大介は、もちっとした麵の最後の一本をすすると、最後につけ汁に入れた長芋をかき集めて一緒に咀嚼した。
「うまかったー」
満足げにいって、お冷やに手をのばす。
ちょうど純平も食べ終わったようだ。
「おいしかったですか。よかったあ」
大介の顔を見て、ほっとしたように目を細めた。
「大介さんはもっと高くて上品なお店じゃないと、口に合わないんじゃないかとちょっと心配してました」
てへへ、と苦笑する。大介は人目が無ければ、そのまま髪をくしゃくしゃ撫でてやりたいと思った。そんな人なつこい笑顔だった。ああ、この子は心を許した相手には、こんな無防備な顔をして笑うのだ、と胸をつかれるような思いがした。
「ここはしょっちゅう来るの?」
「いえ、たまに。仕事で遅くなった時とか、疲れて味の濃いもの欲しくなったときに」
満腹で満足そうな顔になった純平はやはり可愛らしかった。煙草は吸わないらしい。スポーツマンらしいと好ましく思った。
「あの、大介さん、僕ちょっと考えたんですけど」
リラックスした様子の純平が言いだした。
「なに?」
「翼くんをラグビースクールに送迎してあげられないかなって」
「さっきのこと、気になってるんだ」
「大人の都合でやりたいことができないのは可哀想だなって思ったので。ただでさえ、今はお母さんとも離ればなれなんですよね。僕は土曜は休みだし、よくあの川べりでランニングするので、ついでに連れていくことはできるかなって思うんです」
翼の境遇を自分の子供時代と重ねているのだろうか。
「大介さんはどう思います?」
「出来る範囲でやってあげるのはいいんじゃないかな。仕事や用事があったら無理しない方向でさ。あと、あのお父さんにちゃんと相談したほうがいい。親が許可しないことはだめだろ」
「もちろんです」
そういって、さっきの紙袋から純平は名刺をとりだした。
父親の名前は、上森 良平(あづま りょうへい)。連絡先も書いてあった。
「僕、少しだけ自信がないんです。自分があんまり子供時代に大人にかまってもらったことがないんで。どう接したらいいのか、よくわからないんです」
純平は顔をこわばらせてうつむいた。ことあるごとに幸太郎の父代わりを引き受けてきた大介には、あの年頃の子供の相手をするのはとくに抵抗がなかった。
「だったら、俺も一緒にあの子の送迎をしてあげてもいいよ。純平に会う口実にもなるし。それで純平が安心するのなら、やってみる?」
「ほんとですか! ありがとうございます」
純平は、雲の合間から陽が射すようにぱあっと顔を輝かせた。
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