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第13話

 車を出して、少し遠回りをした。このまま純平と別れるのがどうにももったいなくなっていた。  純平も、大介にこの後の行く先も訊かずに、ただうっとりと車に揺られている。  道路をすべっていく小さな部屋に二人きりだった。狭い部屋の中にはこの上ない充足感で満たされている。いつまでもこのままでいたい、そんな甘ったれた気持ちになる。しかしそれを望むということは、終わりがあることを知っているからなのだ。大介はひそかにため息をついた。お互い明日も仕事だ。純平も早く帰してやらなくては疲れているだろう。  坂道を上りマンションの隙間の抜けて、多摩川をのぞむ高台の崖上に出た。周囲に建物がなくなり、目の前に葛のからまるフェンスが立ちふさがった。行き止まりだ。大介は車を停めた。 「ここからが綺麗なんだ」  けげんな顔をする純平を連れ、二人で車から降りて、フェンスの下を見下ろした。 「わあ……」  純平が子供のような声をあげた。  斜面にそって民家の明かりがキラキラと連なっていた。扇形になった光の鉱脈の先には、黒々と草の茂る川辺があり、かすかな水音がきこえる。  明かりをつけたボートが一艘、すいっと黒いガラスのような水面をきっていった。そのあとを光の帯が、ゆらゆら揺れる帯になって水面にあとを残す。頭上には遙かに夜空がひろがって、砂粒のような星をまたたかせている。 「すごい……」  昼間とは違う幻想的な雰囲気にのまれたように純平が言う。両手をフェンスに置いて、魅せられた様子で体を乗りだした。 「ここからだと前に建物がなくて、川まで全部見渡せるんだ。俺の秘密の場所」  大介は純平に、共謀するように笑いかけた。 「一人でここへ来るんですか?」 「うん。昔、アイデアが出なくって追いつめられて発狂しそうだったときに、ぐるぐる車走らせててみつけたんだ。この場所から川辺の夜景を見たら、なんだか自分がすごくちっちゃく思えて、すっきりしたんだよな。つまんないプライドにとらわれて、人と違うことしたくてたまんなくなっていた。でも、頭冷やして基本に戻って考えなおしたんだ。デザインは実用性が大事なんだって目が覚めた。そのあとの仕事は迷いなく進められた。それから、行き詰まるとここにきて息抜きする。今までは、俺だけの場所」 「そんな大事な場所に、僕を連れてきてくれたんですか」 「純平には、きっとこの価値がわかると思って」  純平は一瞬、ぐっとなにかをこらえるような顔になって、嬉しいのか悲しいのかわからないような表情になった。それが花開くように、ゆっくりと幸福そうな笑顔に変わっていく。 「大介さん……」  純平が低い声でささやく。ややかすれた小さな声だ。  大介はその両肩に手をおいた。自分のほうに引きよせると純平は大きな目を閉じた。片手を頭の後ろにあてて、あまり身長差のない相手に顔を近づける。  廃墟のようなフェンスの内側でキスをした。触れるだけの初心なキスだった。  恥ずかしそうにうつむく純平の頭を、大介は逃さないよう、そっと胸に抱いた。男同士でもやわらかな唇に違和感はなかった。このまま、彼にもっと触れていたいと体の奥がうずくような感じさえした。  次はもっと、彼を求めてしまうだろう。  純平の吐息が、服をとおして肩にしみた。自分たちは、どこまで行けるだろう。純平の中を旅する自分の前に、あの「不可侵の森」は立ちふさがるだろうか。  夜空を仰ぐ。爪痕のような細い月をみつめながら大介は考えた。    ※   ※   ※  からんからん  ドアベルがレトロな純喫茶のような音をたてた。店の中に入った途端、 「だめよー。大ちゃん、木曜の夜は貸し切りなんだから。会員だけよ」  中学の同級生、シゲルがカウンターの中からたしなめた。今日はラメ入りの黒のニットを着ている。深くきれこんだVネックからは濃い胸毛がちょびちょびとのぞいていた。わざと見せているようだ。  昭和の匂いのする喫茶サボテンは、ボリュームのあるランチが人気だ。昼間はカフェ営業、夜はアルコールも出す。そして、木曜の夜だけは、貸し切りの札をかけて会員制のゲイバーとして営業するのだ。 「今日から俺も入れるぞ」  大介がびしっと宣言すると、ママのシゲルが、ひょえ、と変な声を出した。 「やだ、マジで? 男に目覚めたの?」 「目覚めたっていうか、今日、一緒に飯食ってきた」 「平日の夜デートとか! 仕事の相手なの?」  興味津々で、あれこれ質問しながら、さすがの手際で、カウンター席の一つにおしぼりと割り箸と箸置きを置いた。  十人ほどでいっぱいになる小さな店だった。カウンターには先に二人ほど客がいて値踏みするように大介をみつめている。テーブル席にはカップルらしき二人連れが二組いた。肩を抱き、腰を撫で、こちらは完全に二人の世界になっていた。そのうち自分も純平とああいうことをするのだろうかと思うと、すこしばかり胸がさわいだ。 「相手が気に入ってるラーメン屋に一緒に行ってきた。つけ麺で有名なんだってさ」  バーテンとコックを兼ねる蒼がなにも言わなくても、モヒートを出した。峻烈なミントの香りがひろがる。木曜以外なら、今までだって常連なのだ。蒼は熊のような大男だ。彼が振ると、シェイカーもフライパンもひとまわり小さく見える。 「で、なんでひとりで来たのよ。連れてきて紹介しなさいよう」  そう言いながらも、シゲルが蒼にすばやく耳打ちした。グラスが二つ用意される。 「大ちゃんに彼氏ができたお祝いだから、シャンパン開けましょ」  背の高いフルートグラスに淡い黄金色の液体が注がれた。細かい泡のはじけるグラスを持って、大介はシゲルと乾杯した。 「いつか連れてくるよ。その子はもとからのゲイなんだ。きっと俺よりも、ちゃんとした客になると思う」 「その子ってことは、年下? 大ちゃんはやっぱりトップなの?」 「トップ?」  シゲルはあんぐりと口をあけた。カウンター席の二人がひそひそ話し合っている。 「トップと、ボトム」 「なに?」 「タチ、ネコ」 「ああ、男役か女役かってこと?」 「モグリめ! つまみだすよ」  シゲルがすごみ、大介は降参するように片手をあげた。 「初心者なんだよ。優しくしてくれよ。ていうかそういうことを知りたくて、ここに来たんだって」 「のんきねー」  シゲルが呆れたように言った。大介は行儀悪く、肘をついた。 「でも、俺はどっちでもいいよ。そりゃ本音は突っこみたいけど。純平がどうしても俺に突っこみたいなら、多少はしょうがないかって思うし。交代制でもいい。ていうか男同士だからって必ずアナルセックスするって、決まってるわけじゃないんだろ?」 「交代制? あんたが言いそうなことよね。ていうか男相手にちゃんと、アソコ勃つんでしょうね。可哀想な思いさせないであげてよ」 「大事にしてやりたいんだ。だから、なるべく痛くない方法を教えてほしい」  大介は美味い酒が入って惚けた顔で言う。シゲルはちょっと奥へひっこんだ。  やがて、大介の前に、いやらしいタイトルのついたDVDケースが二つ置かれた。 「初心者が参考にするなら、この辺かしら? 素人モデルの尻慣らしAV」 「尻慣らし……」 「でも、あくまで商用の反応だからね。これが本当だって思わないでね」 そして、シゲルは細い顎に手をやった。切れ長の目を細める。 「ゆっくりやりたいなら、ポリネシアンセックスいいわよお。声も出せずにイっちゃうらしいわよ」 「ママ……初心者にちょっとマニアックでは」  蒼が、ぼそっとつぶやく。 「うまくいかなかったらさ、アタシに相談して。セックスカウンセリングしてあげるから」  シゲルはレッスンルームと書かれた奥の個室を指さした。 「痛かったら無理はだめよ。ほんとにね、上でも下でも慣れるまでは大変だと思う。女にくらべて準備も後始末も面倒くさいしね。でもだから特別な行為って思えたら素敵よね」  ふわわんとした顔で楽しげに言って、今度はきっとシリアスな顔で大介をにらんだ。 「とにかく大ちゃんはまずこれで抜いてみな。ちゃんとできたら、ここの本会員にしてあげるから」  DVDをとんとんと人差し指で叩いた。  大介は裸でからんでいるモデルの写真をしげしげと見た。均整のとれた若い男だ。細面の顔も、髪型もアイドルっぽいし、人気があるのかもしれない。  それでも。  せっかく男で抜くのなら、純平のことを思いたい。大介はそう思った。肌の感触。汗の匂い。恥ずかしそうな顔。遠慮がちな笑顔。そしてしっとりとして柔らかな唇――それらを思い浮かべて達したい。そんなことを夢見るように考えた。

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