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第14話
次の週の土曜日は、ランチデートをした。
喫茶サボテンに純平を連れていった。カフェ営業の時間帯だ。木曜の夜とはうってかわって、シゲルはぴったりとした立て襟シャツにギャルソンエプロンで二人をむかえ、目をまん丸に見開いた。
「どうも、久我さん、いつもごひいきにありがとうございます」
冷水のグラスを出しながら、すましこんで言われると、大介はおかしくてたまらなかった。『あらあ、可愛い坊やじゃない。もうこのおじさんに食べられちゃったの?』なんて下ネタでひやかすこともできないのだ。
純平と他の客の見ていないところで、シゲルはすごい形相で大介をにらんでくる。『どうして、この時間に連れてきたのよっ』と口をぱくぱくさせている。
ビーフパストラミサンドを注文した。セサミ入り食パンの真ん中に山盛りのパストラミを入れて、中心が小山になったサンドイッチで、この店の名物だ。レモンをきかせたタルタルソースがアクセントになっている。
料理台の上に載せるとき、コックコート姿の蒼が奥からちらりと顔を出した。大介にむかって笑顔で、ぐっと親指を立てて見せた。
コーヒーのおかわりを頼むと、シゲルが純平の前に小さな皿を置いた。ハート形の焼き菓子だ。
「初めてのお客様にサービスしておりますので」
シゲルはスマートな動作でにこやかにお辞儀をした。
「あ、ありがとうございます」
「久我さんとはお仕事の関係なんですか?」
サプライズに驚く純平に、シゲルはわざとたずねている。大介はテーブルの下でシゲルの足を軽くけった。
「あ、久我さんとは、あの、個人的に」
それだけで純平は、どもって真っ赤になってしまった。
「あなたたち、とってもお似合いよ」
シゲルはさっと身をかがめると、純平と大介だけに聞き取れる声でささやいた。
純平ははっとして、シゲルのほうを見る。ゲイバーのママは、髪を撫でつけた男前の顔でにっこりと笑いかけていた。
もっと自信を持って。私たち、なにもおかしなことなんてないでしょ。そう言いたげな笑顔だった。
祝福されたことがわかって、純平は幸せそうに微笑んだ。
やっぱりここへ連れてきてよかった。大介は信頼と感謝を持ってシゲルの横顔を見上げていた。
※ ※ ※
食事を終えて車を出すと、助手席で純平が話し出した。
「翼くんのことなんですけど、来週から送り迎えすることになりました。それで、いちおう上森さんが、一回につき少し謝礼をくれることになって。ガソリン代にあててくださいって」
「なかなか義理堅いね」
大介はハンドルを握ったまま答えた。
「翼くん、タグラグビー教室に入るのにスポーツ保険に加入したそうで、送迎のあいだも保険の対象になるそうです。だから、もしなにかあったら保険で対処できるって言ってました」
「すげえな。最初から、俺たちをアテにしてたんじゃないの?」
「ひょっとするとあのお父さん、少し期待してたかもしれませんね。翼くんを送ってあげたいって言ったら、どうぞどうぞって感じでしたから」
純平は苦笑した。
「でも僕は、翼くんがよろこんでくれるならそれでいいです。今度の土曜日からですけど、翼くんは朝から保育所に行くので、午後、僕らがお迎えにいって、川縁のグラウンドでやってるタグラグビー教室に連れていきます。教室が終わったら、また保育所に預ければ、夕方お父さんがお迎えにくるそうです」
「土曜日なのに保育所なの。翼くんも大変だな」
「お母さん、なにがあったんでしょうね。あんな年頃の子を置いていくなんて、よっぽどのことなんだと思います」
純平はは少し感傷的な声になった。
「それはそうと、そろそろ敬語やめない?」
「ええ。そう思うんですけど、でも大介さん、僕より十一も年上じゃないですか、なんだか敬語で話すほうが、落ち着くっていうか」
そこで純平はほわっと少し頬を赤らめた。
「僕、好きな人に敬語で話すのが好きなので……もう少しこんな感じでいさせてください」
わかった、とあっさり返事をして、大介は運転に集中した。しかし、好きな人、という単語が胸の中で踊っている。
大介は初めての道を走らせていた。「次の休日、どこか行きたい場所がある?」とたずねたとき、純平が一緒に来て欲しいといった場所だ。
そこへむかって車が動き出してから、助手席の純平はそわそわと落ち着きない様子だった。まるで土壇場で大介を案内することを迷っているようだ。それを見て大介は、今から行く場所がけっして「おいしいスイーツを出すようなところ」や「楽しいアトラクションのあるようなところ」ではないことをなんとなく悟っていた。
「そろそろ?」
うつむいて何度も両手を組み直していた純平が、はっと前を見た。
「あ、そうです。次の交差点で左です」
大介はハンドルをきった。
純平に言われるままに、細い路地をくねくねと進んで、古い建物の前についた。コンクリート製の敷石をしいたエントランスの両脇には、古いシュロの木が植わっていてうっそうとしている。秋のおだやかな日差しがでたらめに茂った前庭の木の葉を照らしていた。
住宅地にぽっかりあいた空き地だ。周囲に人通りはない。大介は車を脇に寄せて停めた。
「ここは?」
「昔、僕がかよっていたフリースクールです」
「学校に行ってなかったんだって?」
「兄が病死したとき、僕は小学二年生でした。次の年には、もう僕は学校には行けなくなっていて、こことラグビーのクラブチームにだけ通ってました」
大介はサイドブレーキをひいて、車を降りた。古いアコーディオン式の門が閉まっていた。小規模の幼稚園ほどの広さだ。建物は木造の平屋だった。玄関は広くて、学校のような靴箱があるのがすりガラスの扉から透けて見えていた。今は空き家のようだ。電気は全て消えていて、教室の窓には割れたままのところがある。
つぶれてしまったのだろうか。大介は意外に思った。こういった不登校の子の受け皿は、むしろニーズが増加していると思っていたのだが。
「学校でなにかあったの?」
「あんまり覚えていません。でもたぶん先生に怒られたんだと思います。お前のお兄さんは生きたくても生きられなかったのに、お前はこんなだらしないことして……とか、なんとか。死んだ兄を引き合いに出されて、生活態度とか成績とか言われるのがいやで」
純平は、門の取っ手に手を置いて暗い顔で大介を見た。
「だってずるいでしょ。死んだ人はもう失敗も間違いもしないってわかってるのに、そういう人と比べられるなんて。僕も死ななきゃ肩を並べられないじゃないですか」
「……純平」
「だから僕は逃げたんです」
大介は小さな純平の痛みがわかる気がした。どうして兄と対照でしか自分を考えてもらえないのか、もどかしかったにちがいない。兄を亡くした弟、というフィルターでしか自分を評価してくれない世界に嫌気がさしたのだろう。
「すみません。でも本当はずっと考えてきました。僕が死んだら、兄と同じように両親が悲しんで、みんなが同情してくれるのかなって」
今まで胸につかえていたものを吐き出すように言って、自分でからりと笑い飛ばした。
「でも、そんなわけないですよね。両親にとっては、兄だけが特別な子だったんですから。病気で苦しむ、可哀想な子だったんですから。僕はそんな兄に嫉妬してるだけで、実際はそれほど哀れな身の上ってわけじゃないですから」
こんな自虐的な言い方は、姉の雪穂の口調によく似ていた。
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