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第17話
「よし、いいんじゃないの。クライアントの希望、全部反映されてるし。突然の仕様変更はまいったけど、完璧に対応したし、これでこっちの株もあがるってもんよ」
美佳は満足そうだった。打ち合わせ用のテーブルの上にあるのは、パッケージデザインの最終稿だ。光沢紙にデザイン画とカラーパッチが印刷されている。制作途中、突然サイズの変更があり、対応に少し時間をさいたが、なんとか当初の期限内に仕上げることができた。
「当たり前だろ」
大介はデスクの椅子にかけたままぞんざいに答えるが、なんとなくうわついた空気になるのを止めることができない。職場に流しているラジオからは、早々とクリスマスソングが流れている。
「いやー恋人できたっていうから、心配してたんだよねえ」
大介のデザイン画を図面用キャリーケースに収めながら、、美佳がいじってくる。
「そんなことで俺が仕事に手を抜くわけがないだろ」
「わかってるけどさ」
まだなにか言いたそうな美佳をさえぎって、大介はさりげなく言った。
「この前、雛子と話したんだよ。今後のこと」
美佳の顔に微妙な緊張が走った。
「いや、はっきりいうと雛子のほうから、少し距離をおこうって言われたんだ」
「あっそうなの?」
十一月の祭日に親子遠足があると聞いて、雛子に電話をした。保険会社の代理店で働く雛子よりも、フリーで仕事をしている大介のほうが自由になる時間は多い。ピンチヒッターが必要かたずねたのだ。
すると、なにかふっきれた調子で雛子が言うのだ。
「あのね、久我さん、もうこっちに気を使わなくても大丈夫よ。今まで久我さんにはつい甘えてきちゃったね。すごくありがたかった。こうして心配してくれることも嬉しい。でも、もうこれからはできるだけ二人でやっていこうと思ってるの。幸太郎もあと半年で小学校にあがるし、実家の父が定年退職したから、これからはもっと手伝ってくれるって言ってるし」
大介は面食らって、おどおどする。
「あ、俺は負担には思ってなかったよ。むしろ」
「大友のこと――ずっと自分を責めてたでしょ。だからこんなに私たちのことに一生懸命になってくれた」
いきなり本音をつかれて少しとまどった。が、それでもまだいつもの軽薄な調子を装った。
「いや、それだけじゃないよ。俺は、ほら、いいかっこしたがりだからさ」
「うん。……かっこよかったよ」
雛子はしんみりと、しかし確信をこめて言った。
「私、久我さんが幸太郎に、世の中には久我さんみたいな人がいるってことを教えてくれて本当によかったと思ってるの。なんの見返りもないのにね。なのに、私たちといっとき大声で笑うために、いつも駆けつけてくれる人」
大介は突然胸になにかがこみあげて、出かけていた言葉が喉で消えてしまった。携帯電話を耳にあてたまま、ぱくぱくと口を動かす。
「――ありがとう。私たちは、そんな久我さんにもっと幸せになってほしいんです」
「待って、雛子さん、それじゃ俺たち」
「久我さんはこれからも、私と幸太郎と、そして大友の大切な友人でいてください。なにか本当に困ったときは、これからも頼っちゃうかも。でも、ずっと私たちを気にしなくていいんですよ。久我さんの大事な人をみつけてください」
きっぱりと雛子は言った。大介の胸に、大友の葬式で気丈にふるまっていた姿が思いうかんだ。妊娠六ヶ月。目立つようになってきた腹の上に黒いワンピースを着て、凛として献花台の横に座っていた。
それが出棺の刻となったとたん、とつぜん理性が壊れてしまったように泣き崩れてしまったのだった。
――あなた、いかないで。私とこの子を置いていかないで。
必死で生きる人ほど、本当に言いたいことは最後まで言えないものかもしれない。大介はそう思う。今まで奮い立たせてきた自分の心が、自分の本音につまずいて倒れてしまいそうになるから。
大介は、彼らのために自分ができることをしてきただけだ。
「もう大丈夫」
雛子は念を押すように、最後にそう言った。
雛子との会話を話すと、美佳は安心した様子で口角を少し持ち上げた。
「そっか。幸太郎くんも、もうすぐ小学生なのかあ」
とんちんかんなことを言う美佳を、大介はじろりとみつめた。
「お前、あいつになんか言ったか?」
「なんかって?」
美佳ははぐらかすように肩をすくめた。
「余計なこと言ったんじゃないのか?」
「余計なことじゃないでしょ。それに、私のせいで純平くんを悩ませちゃったみたいだから、ちょっと罪滅ぼし」
ほらみろ、と大介は少し複雑な気持ちになる。雛子が無理をしていなければいいが。
美佳はいらついた様子で長い髪をがしがしとかきまぜた。
「もう! 見ててまだるっこしいんだよ、あんたたち! みんなやさしい人だけど、言いたいことは言わなきゃ伝わらないし! みんなで遠慮しあっててもいいことないってば」
「ありがとな」
大介の突然の言葉に、美佳はぴたりと動きをとめた。
「え? 今なんて?」
「お前は、みんなの気持ちを伝えてくれる広報部長だ」
「だって広告業界は私の天職だもーん」
書類ケースと大きなトートバッグを背負って、美佳は立ち上がった。
「あ、まあ、まれに失敗もするけどね」
えへへ、と笑って、大介の仕事部屋をあとにしようとする。使ったコーヒーカップを給湯ブースのシンクへ運んだ。
「今週の土日、純平がここに来るんだ」
「なに? 私には遠慮しろってー?」
デスクにいる大介に背中をむけたまま、美佳は答える。
「仕事も一段落ついたしな」
「うわー。そのためにこんなに頑張ったんだ。感心して損した。これって下心パワーだったんだ」
「変な言い方すんな」
もちろんその通りなのだが。
給湯ブースから、ひょこっと美佳が顔を出した。
「わかった! 美佳おねーさんがお祝いに高級コンドーム買ってあげよう。蓄光カラーですんごいエグいイボイボのついたやつ! むっつりのおっさんは、あの清純そうな子にベッドで引かれてしまうがいい!」
はーっはっはっ、と腰に手をあてて高笑いをする。
速攻で手元のペンを投げるマネをした大介から逃げるように仕事部屋から出て行った。
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