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第18話

 突き抜けるような高い空だった。淡い色ガラスを敷き詰めたような、透明な晩秋の空だ。  川縁を渡る風は、もう頬の皮膚をぴりぴりさせるほど冷たかった。吹くたびに芦の草原で枯れ葉をおどらせている。  ピーッと集合を知らせるホイッスルの音が響き、子供たちがコーチを中心に集まった。長ぞでジャージにショートパンツの子供たちはみんな汗ばんで、耳元の髪を頬にはりつかせている。  グラウンドの外には、親たちが寒そうに首を縮めて見守っていた。練習の様子をビデオで撮影している人もいた。  子供たちはタグ用の腰のベルトをはずして「ありがとうございます!」と元気な挨拶をした。解散が告げられると、集まったときのようにぱっと散る。めいめいの親の元へ帰っていった。  グラウンドのあちこちには、親子の小さくもにぎやかな団らんの輪ができていた。  翼はきょろきょろとあたりを見まわし、大介と純平をみつけると、自分用のラグビーボールを抱えて満面の笑顔で走り寄ってきた。  たくさんの子供たちの中で観察すると、翼は年長にしては背が高く、それでいてすばしっこく走れることがよくわかった。今後が楽しみだな、と大介は内心思っていた。  大介と純平はそれぞれのトレーニングウエアを着ていた。翼を待っている間、軽く川縁をランニングしていていたのだ。純平は若いのですぐに汗をかくようだ。今も子供のひとりのように、たっぷり汗をかいて頬を紅潮させていた。 「キックー。キックして、大介」  近くまでくるといきなり翼は、大介にボールを放ってきた。さっき習ったばかりのスナップをきかせたパスだった。  ぱし、といい音をさせて、大介は胸を手を使って受け取った。 「しょーがねーなあ。見とけよ」  上機嫌で言うと、大介は人のいなくなったグラウンドの中心に走り出た。  手からボールを落とすのと同時に、大きく体をねじって右足をまっすぐ振りあげる。リクエストされたハイパントを高く蹴り上げた。足首に近い脛に、心地よい衝撃が伝わってくる。ジャストミートだ。大介は成功を確信した。ボールは空に吸いこまれるようにみるみる小さくなった。 「わあああっ」  歓声をあげて翼は空をみつめて走り出ていた。まだ細い両腕をさしのべている。目も口もぽかんと開けて回転するボールを一心に目で追っている。子供らしい無邪気な集中力だ。  あわててそのあとを追ってきた純平が、一度大介を振り返って目配せした。 「キャッチしようか、翼くん」  翼がわくわくしてうなずく。純平はかがんで身長を翼にあわせた。後ろから抱きかかえるようにして、翼の腕に自分の腕を添えると、じっと空をにらんでボールの落下地点に導いた。  ボールが大きな放物線を描き、不規則に回転しながら落ちてきた。  翼と純平は二人で腕を伸ばしてキャッチした。反動で飛びだそうとするボールを、純平がうまくつかまえてやった。 「できた!」  この様子を見ていた他の親子から、ぱらぱらと拍手がわいた。「翼くん、すごいねー」と褒めてくれる子もいた。大介は愛想良く会釈を返した。  当の翼はそこらをぴょんぴょん跳ねてよろこんでいた。 「翼くんハイパントはキャッチしたら、すぐカウンターかキックを選ぶんだよ」  純平はラグビーの試合運びを説明しようとしているが、まだそこまではわかならいようで、翼はほとんど聞いていない。純平もとうとう教えるのをあきらめて苦笑していた。 「すっごい楽しそうだなあ」 翼は突然立ち止まり、走ってきて純平にすりよる。 「次は僕にキックさせて」  大介はオレンジに染まり始めた西の空をみつめた。もう暮れるのが早い。  水色の空はいつのまにか明るさを失って、東のほうはすでに夜の硬質な冷気に覆われているようだ。グラウンドの高いフェンス越しに、河の流れが見えた。波打つ川面が、楽しい一日の終わりを、黄金色の光の破片で飾っていた。  大介は二の腕につけたランニング用の腕時計を見た。 「翼くん、もう着替えて保育園に戻らないと。お父さんのお迎えもあるし、心配されちゃうよ」  大介と純平のことは、保育園職員には、育児ボランティアの送迎スタッフだと伝えてあった。 「えーっ。せっかくここに来たのに」  翼は純平の腕につかまりながら、前に試合のあった隣のグラウンドのほうをみつめている。今は近くの高校のラグビー部の部員たちがスクラム練習をしていた。純平は困ったように笑っている。翼の手をむげに振りはらうことができなくなってしまったようだ。  大介は膠着状態の二人に歩み寄った。翼の前にしゃがんで目線をあわせる。 「じゃあ今度は、お父さんにちゃんとお話して許可をもらっておこうか。ここで少し遊んで、あとは、うちで晩ご飯食べる?」 「うん!」  翼は、にかっと笑った。そして、急になにか思いだしたように真面目な顔になった。 「今度はそうする。今日は保育園に帰る」 「そうだね」 「だっていい子にしてないと、大介と純平が遊んでくれなくなっちゃうって、パパが言ってた」  翼は表情をかたくして言った。そして、顔色をうかがうように、大介と純平を交互に見た。 「だから僕、いい子にするね」  純平はちょっと考えこみ、助けを求めるように大介のほうを見た。  大介は純平をフォローして、翼にフランクに話しだした。 「翼くん、パパや保育園の先生とのお約束は守ってもらわないと、俺たちも困るんだ。でも俺らは、君がいい子だから仲良くしてるんじゃないよ。たとえ翼くんが、たまに悪い子になったとしても、きっとそうしてしまう理由があるんだろうなって俺たちは考える。だから、いい子でいなくちゃだめってことはないんだ。これからも俺たちは友達でいよう」  わかったのか。わからなかったのか。それでも翼は一生懸命その言葉の意味を考えているようだった。  そして、静かな声で翼は言った。 「パパに怒られても、大介と純平は僕の味方になってくれるんだね」 「でも、翼くんが間違ってたら、間違ってるっていうけどね。友達ってそういうものだろ」 「僕も、大介と純平の友達になれる?」 「なれるさ」 「やった!」  翼はまた無邪気な笑顔に戻ると、両手を大介と純平とつないでクラブハウスに歩き出した。時々腕にぶらさがる翼を持ち上げてやりながら三人並んで歩いた。純平は大介にささやく。 「僕、ちゃんと翼くんと仲良くできてますか?」 「愚問だろ?」  大介は笑いながら答えた。その顔を見て、純平も安心したように微笑んだ。

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