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第19話

「そういえば、 風邪のとき僕に食べさせてくれたのも、缶詰でしたね」  純平が不思議そうな顔をしながら言った。 「ああ、あれは参鶏湯(サムゲタン)ね」 「今日のは?」 「タンシチューだね。ボルシチや、鯖のトマト煮、子豚の脳味噌のグレイビーソースあえっていうのもあるけど」  大介は、戸棚の奥から直系二十センチはある丸太のような缶詰を取りだしていた。寝室のとなりには、プライベート用のキッチンがある。広く作られたリビングを仕事用の部屋にあてているので、キッチンそのものは四畳ほどしかない。そのキッチンの戸棚には大介の缶詰コレクションがつまっている。 「仕事が詰まってるときは、徹夜もするし、締め切りまで一分でも一秒でも時間が惜しいから、料理もしないし、買い物にも行かなくなるからね。どうしても、簡単に食べられて長期保存可能な食料が必要になるわけだよ」  大介は大きな缶詰を缶切りで開けながら、講釈をたれる。 「そうしているうちに、あいつは缶詰集めてるって取引先でも噂されるようになってさ、いろいろ変わったものが集まってくるようになったよね。あの参鶏湯だってもらい物だったんだ」  率先して広めたのは、もちろん美佳だ。 「でっかいのは、ひとりじゃ食べきれないから、誰かいるときに開けようって思ってたんだよ。でもなかなか機会がなくて」  純平に出会うまで、この部屋に仕事関係者以外を入れたことがなかった。  切った蓋を缶切りの先でぐいっ持ち上げた。中では艶のあるデミグラスソースがプリンのように固まっていた。 「というわけで、今夜はタンシチューつきあってください」 「じゃあ、僕も今度、倉庫で面白そうな缶詰探してきますよ。仕事中に大介さんがお腹すかないように」  大介はホーローの鍋にスプーンで缶の中身をかきだした。鍋にあけてコンロであたためるのだ。純平は、調理台の前で付け合わせにするブロッコリーの房をわけている。  二人とも髪が濡れていた。翼を保育園に送り届けてから、大介の部屋に来て、まず交代でシャワーを浴びた。最初に川縁を走って汗をばんだ体を、食事の前になんとかしたかった。純平は一泊するために部屋着を持ってきていて、今はスポーツブランドのスウェットの上下を着ていた。 「あ、でもチーズバーガーとかトマトパスタとかは正直微妙だったよな。普通にお店で食べたほうがずっといい」  純平は目を丸くしてそれから笑いだした。 「そんな缶詰あるんですか!」  くったくなく笑う純平を見ると、大介も気分が軽くなった。 「面白い? じゃ、クリスマスも缶詰パーティーここでやるか?」 「パーティーするんですか」 「二人で、だよ」 「なんか、そういうの照れちゃいますね」  いつまでも純平はこんな会話に慣れないようだ。恥ずかしそうに目を伏せる。  食事のあとは本当に恋人として接するのだと思うと、大介は身震いするような興奮を感じていた。普段自分が使っているシャンプーの香りが、純平からただよってくる。それだけですでに、落ち着かない気持ちになった。これじゃまるで童貞だな、と考え、そういえば男を相手にするのは初めてだった、とすっかり忘れていたことを思いだした。  違う。大介は思いなおした。男が初めてなんじゃないんだ。純平を抱くのが初めてなんだ。  感慨深かった。出会った日、純平と「ゆっくり恋をしよう」と話した。あれから本当にわかりあえたのか、正直まだよくわからない。それでも手探りでさまよった日々が、ちゃんとここにつながっていたのだ。  大介は熱のある目で、純平をじっとみつめた。あまり自炊はしないのか、不器用にブロッコリーと格闘している。節の目立つ太い指。筋肉のよく発達した厚みのある肩。男らしい無骨なラインを描く首筋。ときおり臆病な野性動物のような警戒心を見せる幼い顔。照明をあびて茶色に光る濡れた髪。  どんな表情を見せてくれるのだろう。どんな声を聞かせててくれるのだろう。  大介はひそかに感嘆のため息をつく。  今夜、すべてが俺のものになる。    ※   ※   ※ 「ほん、とに、いきなり、こんなことするのか」  サイドテーブルの明かりの中に、ふたりの男の裸体がうかびあがっていた。ラグの上には脱ぎ散らかした衣類がちらばっている。  ベッドに浅く腰かけているのは大介で、その前にかがみこんで怒張したペニスをくわえているのは純平だった。 「ん、ん」  純平が口内に深くくわえこんだままうなずいた。  その刺激に大介は、一瞬顔をしかめた。気を抜くとすぐに意識を全てもっていかれそうになる。なにもかも想定外だった。  シゲルが貸してくれたDVDにも確かにこんなシーンがあった。でもポルノの演出の中でさえ、そこへいたる前にもう少し前戯らしきものがあったというのに。  深いキスをして脱がせあってから、ここに至るまであまりに急展開で大介の頭はついていけなかった。純平はまだ完全に勃起していない大介のペニスを触り、舐めあげるところから始めたのだ。  そして今や、頭を上下に激しく動かして、まるで自分がそういう道具にでもなったかのように奉仕をしている。床に両膝をつき、大介の足の間に片肘をついている姿勢は充分に征服感を感じさせたし、頬をすぼめ、悲壮なほど愛撫に集中している姿は、おそろしいほどエロティックだった。  唇から飲み込めなかった唾液と、大介の先走りが混ざり合って、光る糸をひいてシーツに落ちていく。それを見ながら、与えられる規則的な愛撫に大介はたまらず、もうすでに達しそうになっていた。  純平が水音をたてて頭を前後に振るたび、一段一段階段をのぼっていくように絶頂のいただきが近づいてくるのがわかった。  けなげで愛おしい。気持ちいい。しかし、快感に痺れる頭のどこかで反響のように違和感が鳴っている。これではなんだか風俗ですることのようでもの悲しい。今声を殺し、快楽に喘いでいるのは大介ひとりだ。  純平も。純平も気持ちよくならなければ、この行為はただのサービスで、セックスではない気がした。  たとえば。トイレの個室で短時間のうちにとにかく抜こうとしているならともかく、ゆっくり夜を過ごせる準備を万端にしてこの状態なのは少しもったいないというものではないだろうか。 「純平、もういい」  純平の頭を撫で、低い声で制した。 「俺も、触りたい。上がっておいで」  ベッドの上に誘う。  ところが純平は、四つんばいのまま首をふった。 「だってまだ……大介さんが終わってないから」 「一緒にしよう」  洗いたての髪が大介の太ももに触れた。甘えるように頭を載せる。 「飲みたいんです。出してください」 「お前にも、気持ちよくなってほしい」 「僕はあとでいいんです」  純平はどうなのだろう。大介は、今まで男にフェラチオをした経験はない。ゲイではメジャーな性行為の一つのようだが、これはやっているほうは気持ちいいのだろうか。  心配になって少し前に身をのりだした。純平の状態を見たかった。ちゃんと勃ちあがってこのセックスを楽しんでいるのだろうか。  純平は、たしかに勃起していた。しかしその先穂は左手で握り込まれていた。大介を舐めながら、自慰と同じに自分でしごいていたのだ。  大介はたまらなくなった。 「おいで」  純平の脇に手をいれて、やや強引にベッドにひきあげた。

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