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第23話
しばらく純平からは連絡が来なかった。
週末が近いから、そろそろ翼を送迎する相談がくるはずなのに、なにも言ってこない。大介はパソコンに向かい仕事を進めながら、何度も携帯の通知を確認してしまう。
やっぱりか。
やはりあのベッドでの一件で気まずく思っているのだろう。
自分も「先生」のことで頭に血がのぼったのもあり、お互い冷静になる期間をおくのもいいかもしれないと思った。大介は携帯の通知音をきって目に着かないところにしまう。クリスマス、年末商品関連の宣材の仕事に集中した。これを終えれば、ゆっくりと年末を過ごすことができる。
夜も更けて、夜食のサバ缶をあけた。鯖のオイル付けだが、レモンとバジルでマリネにされた酒のつまみ用の缶詰めだった。キャンプ場の一コマのようにケーキ用の小さなフォークをつっこんでそのまま食べる。自由業の気楽さで、一緒にノンアルコールのビールを開けた。
休憩中、デスクの一番上のひきだしを開けて、しまってあった携帯電話をとりだした。
おそるおそる電源を入れてセキュリティを解除する。
大介は細くため息をついた。仕事で使うチャットグループに大量のメッセージアラートがついていて、メールボックスには企業の宣伝メールがあふれていた。それだけだった。
突然、宇宙の真ん中に放り出されたような気持ちがした。さっきまでデキるデザイナーになりきって、バリバリ仕事をこなしていたはずなのに。自分のすべてが剥ぎ取られて、ただの寂しい三十男が、息も吸えない虚無の中に取り残されたようだった。
どうして。連絡くれないんだよ。
恨むように考え、そして自分の幼さを自分で嗤った。
距離をおこうなんて、言い訳だ。本当は自分から連絡をするのが恐かった。
――わかれてください。
そんな話が飛び出すのが恐い。今まで、そんなことを言って逃げようとする純平をひきとめながら、なんとかここまでやってきた。それは、純平にとって自分がたったひとりの恋人だと思っていたからだ。
――わかれてください。だって、あなたは「先生」じゃないから。
そう言われたら、返す言葉もない。
上森先生。人として最低のくせに、純平がそこまで好きだった人。今も面影を忘れない人。
不可侵の森で彼をがんじがらめにしているのは、あの先生なのだろうか。
大介は、弱気になりかけた気持ちに鞭を入れた。
シゲルが言ってくれたように、自分はピンチに強い。チームの危機をすくうために一番後ろにいるフルバックなのだから。
――大ちゃんほど柔軟で頼りになる男はいないわよ。
それじゃ、いっちょ戦局をひっくり返しますか。
大介は伸びをして立ち上がった。おのれの力の限り、もがきもしないうちにあきらめてしまうなんて、ありえない。
男なら、どんなに勝ち目がなくても、負けられない試合がある。
※ ※ ※
電話の先の声は、緊張してぎくしゃくしていた。
「いえ、今週は翼くんの送迎はないんです。翼くん、お母さんの実家へお泊まりに行くそうです」
少し会わない間に、純平はひどく他人行儀になってしまった。
大介は携帯を握ったまま、冷たい外気にチェスターコートの襟を立てた。もうすっかり冬だ。
「ごめんなさい。僕、このあとまだ仕事が残ってるんです。食品業界は、クリスマスとお正月前は流通する物量がいつもの二倍くらいになるんです。まだ時間がかかっちゃうんで、大介さんは晩ご飯ひとりで食べてください」
純平の誠実な声は、携帯のスピーカーと倉庫の中から二重になって聞こえてきた。
「じゃ、俺とご飯食べてからまたやれば?」
大介がのんきに言うと、純平はとうとう、ふ、と少しだけ笑った。
「そんな……自由業の大介さんとは違うんですから。僕ひとりだけ、そんな」
「だってさあ、もう仕事してんの純平ひとりじゃん」
大介は広々としたトラックの駐車場に歩み出た。
夜間照明がコート姿の大介を照らし、コンクリートに三つの影をつくった。
シャッターを開けっ放した倉庫の中では、うすくち醤油二十本入りの段ボールを持った純平が、ぽかん、と口を開けて停止していた。いつかつけ麵を一緒に食べにいったときと同じ作業着だった。今は首にネックウォーマーをはめて、ニットの帽子を被っている。
「だ……」
「もうみんなあがったんだろ? 働いてるのお前だけじゃん」
倉庫の中は冷え切ってがらんとしていた。スチール製の棚にはぎっしりと段ボール。すみのほうには小型のフォークリフトが止まっていた。
広くなったところに大型動物の檻のようなカゴ車がいくつもあって、純平は、そこに段ボールを積み込んでいる。近くの棚にマグネットで伝票が止められていた。
純平は、瓶の入った段ボールを床にそっと置いた。
「大介さん……」
声がうわずっている。さっきまで真剣な顔をしていた純平の顔が、安堵でふにゃりとゆるんだ。感情がむきだしのひどく傷つきやすそうな顔つきになる。
「終わるまで待つつもりだったけど」
「大介さん」
もうそれしか言葉が出てこないように、純平はただただくりかえす。
「ひとりで残業してるなんて、バツゲームみたいで見てられないよ」
「今日は、ここの忘年会なんです。みんなは悪くないです。僕が自分から残るって言ったんですから。仕事したかったんです。めいっぱい仕事してないと。深夜までくったくたになるまで仕事してないと。じゃないと――」
そこで純平は、うるむ目で大介を見た。ちょっと恨んでいるように。そしてちょっと自分を恥じるように。
「じゃないと、大介さんに電話しちゃいそうだったから」
「しろよ」
「でも、どうすればいいですか。またデートしてセックスしましょうって言えばいいですか。それともセックスはしないけど会ってくださいって言えばいいですか」
純平はいつも正解を探している優等生みたいだ。大介は、真面目すぎるだろ、と苦笑した。
「なんでもいいよ。してもいい。しなくてもいい。会いたい、だけでいいだろ」
「会いたい、だけで?」
「いろいろあるけど、今はもうどうでもいい。俺は純平に会いたいから来たよ」
大介は両腕をひろげた。純平がおずおずと大介に歩み寄る。途中から走りだし、飛びつくように首に両腕をまわした。
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