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第27話
大介の部屋のそばにあるコンビニエンスストアにはクリスマスソングが流れていた。天井にはモールもつり下がっている。
純平と翼は入ってすぐの季節ものコーナーでシャンメリーを選んだ。大介に頼まれた朝食用のイングリッシュマフィンも取る。純平はメモ帳とボールペンも買った。
レジに並んで待っている時、純平は翼に耳打ちした。
「ソフトクリーム買ってあげるから、翼くん、ちょっとだけ僕とお話してくれる?」
「いいよ。やった!」
翼はあいかわらず上機嫌だった。
ガラスの壁沿いにできたイートインスペースに、二人は座った。純平はココアを買った。
「ねえ、翼くんの苗字、上森っていうんだよね」
翼は白いクリームをなめながら、こっくりとうなずいた。
「お父さんは上森良平。おじいちゃんは上森良継っていうんだよね」
問いかける純平の声は心なしか震えていた。
「うーん、おじいちゃんの下の名前はわかんない」
翼は首をかたむける。
「ねえ、翼くんのお母さんは、なんでおうちを出て行っちゃったの?」
翼は、ぱちくり、とまたたきした。ソフトクリームから口をはなし、まじまじと純平を見た。
「パパに、黙っててくれる?」
純平は翼に約束した。
「僕ね、夜中におしっこしたくて起きちゃった。そしたら、ママの声が聞こえてきたんだ。おじいちゃん、裁判起こされるかもしれないんだって。そうなったら、警察にもジジョーチョーシュで呼ばれて、新聞にも載っちゃうかもしれないって、ママは言ってた。それでパパに怒るんだよ。『そうなったら、あなたたちに翼は守れないでしょ』って」
「先週は、ママに会って来たんだよね。ママ、なにか言ってた?」
翼の目にじわっと涙がうかんだ。
「ママ、お仕事が決まったら、迎えに来るからねって言ってた。それまで待っててねって」
翼が手の甲でごしごし目をこすった。
ソフトクリームが溶けて垂れてきた。純平はそれをティッシュで拭き取ってやる。
「僕、僕はパパと一緒がいいって言ったら、ママが恐い顔するんだ。『パパとはもういられないの。それが僕のためなんだ』って」
「翼くんは、家族みんなで暮らしたいんだよね」
純平は翼の頭をいとおしげに撫でた。
うん、うん、と真っ赤な目をして翼はうなずく。
「だってさ、パパが可哀想だもん。パパは普通にしてるけど、夜になるとお酒飲んでひとりで泣いてるんだ。『どうしてだ』ってひとりで泣いてるんだ。僕――どうしたらいいのかわかんなくて」
透明な鼻水が両方の鼻から垂れてきた。純平はそれを丁寧に拭く。
「翼くん、えらいね。頑張ってるね。お兄ちゃんは翼くんの味方だよ」
ずびずびと鼻をすすって、翼は純平の顔をまじまじと見た。
「大丈夫。ママはちゃんと帰ってくるよ」
「本当?」
涙で濡れた目がぱっちりと見開かれる。
「うん。君のおじいちゃんが裁判にかけられることはないよ。僕が、君を守ってあげるからね」
「本当なの? 純平」
期待でその瞳がきらきら輝いてくる。純平はそれを嬉しくながめた。
「うん。僕ね、強くなったんだよ。大介さんが、そういう強さを教えてくれたんだ。自分より弱い人の幸せを守ってあげられる人が強いんだ。僕は翼くんに幸せに生きていてほしいんだよ」
※ ※ ※
大介の部屋には、一触即発の不穏な空気が満ちていた。
「知ってて、清永くんに近づきましたね」
坂下は上森を問いつめる。有無をいわさぬ迫力は尋問のようだ。
椅子に体を縮めている上森は、冬だというのに吹き出す額の汗をせっせとハンカチで拭いている。
「そう、です。私は興信所を使い、清永さんが、父のわいせつ事件告訴の鍵になる人物だと調べました」
「それで自分の子供をダシにして、やさしい清永くんを懐柔しようとしたんですか」
上森は首をふる。
「私はそんな工作ができるような、器用な人間ではないですよ。私の勤めている商社は、食品輸入を手がけていて、清永さんの会社ともパイプがありました。あのラグビーの試合に清永さんが来るときいて、息子のラグビー教室を口実に見に行きました。いずれは声をかけて、示談のお願いをしたいとは思っていました。でもあの日はこちらも子供連れです。とりあえず人となりを見ておきたい、という感じでした」
そこで助けを求めるように大介のほうを見た。
「あの時の試合のことはまったくの偶然です。でも清永さんが、迷わず自分を犠牲にして翼を守ってくれたのを見て、この人ならきっと私たちの窮状を理解してくれる、と確信しました。あとはこちらから近づきました。あなたがたは翼にとても親切にしてくださった。早く本当のことを打ちあけなければ、と心苦しかったです」
「久我さんと清永くんはだまされてたんですよ。この人に」
坂下がさげすむように言う。上森はきっと顔をあげた。坂下をみつめ、やがてうなだれる。被害者に対して反論はできないのだろう。
独り言のように語りだした。
「たしかに、私の父は晩年、教育者として最低の汚点を残しました。しかし、そのことと幼い翼は関係ないでしょう。最近性犯罪は、マスコミに大きく報道される傾向にあります。その家族や周辺の人間にだって、生活はあるんです。この方々にはそのことを知ってもらいたかったんです」
そして立ち上がり、坂下の前に膝をおって正座した。土下座の姿勢になる。
「被害者の方に、お叱りを承知で申し上げます。もう、あなたがたはもう立派な大人になられた。父の心からの謝罪ではだめなんでしょうか。今から法廷にひっぱりだして犯罪者として裁かなくてはご納得いだたけないのでしょうか。私の家庭や、翼の生活なんて、そんなに意味のないものなのでしょうか。そういったものも全てもろともに破壊しなくては、みなさんの心の傷は癒せないのでしょうか……」
情けなくも強い父の姿だった。彼が守ろうとしているものは世間体や生活なのではなく、幼い翼そのものなのだと大介は思った。
部屋の中は水をうったように静まりかえっていた。坂下がぐっと拳をにぎって、激情を耐えている。
こんこん、とドアが鳴った。かちゃ、とドアノブを回してみているようだ。
不思議に思いながら、大介はインターフォンカメラをオンにした。そこには、小さな翼がたった一人で立っていた。手に買い物袋を重そうにさげている。
「あれ、純平は?」
「純平……行っちゃった」
翼は弱々しく言った。大介は玄関に走った。
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