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第5話
「ただいま、カブ太、カブ子。元気にしてた?」
お客様連れてきたよーと声をかけながらのぞきこむと、カブ太とカブ子は元気に動き回っていた。
「こんばんは、カブ太、カブ子。お邪魔してます」
本條 さんは俺の真似をしてカブ太とカブ子に声をかけてくれた。
俺から見たら大切な家族だけど、本條さんから見たらただのカブトムシ。
わざわざ俺の感覚に合わせてくれるなんて優しい人。
「こんなに間近で見たのは初めてだよ」
珍しそうに飼育ケースをのぞきこむ横顔は少し幼く見えた。
こんな表情もするんだ…。
もっと色んな本條さんが見たいと思った。
カブトムシの話をしながら、コンビニ弁当を食べた。
本條さんは聞き上手だし、カブ太とカブ子の事を話せるのが嬉しくて、ついついしゃべり過ぎてしまった。
いつもは静かな部屋なのに、今日は話し声がするな…ってカブ太とカブ子が思ってるかも。
本條さんは基本的に俺の目を見ながら話を聞いてくれる。
でも、ふとした瞬間に愛おしい者を見るような温かな眼差しを向けられているような気がした。
そんな訳ない、これは勘違い。
自分の都合のいいように捉えてるだけだ…って言い聞かせて、浮かれすぎないように気をつけたけど、本條さんと過ごせるだけで嬉しくてきっと隠しきれてないと思う。
本條さんの話も聞いた。
学生時代はテニスをやっていた事、好きな食べ物はハンバーグ。
休みの日は家で本を読んだり勉強をしたりのインドア派。
年齢は俺より3つ歳上だった。
本條さんを知れば知るほど好きな気持ちが膨れ上がっていく。
もっと本條さんと一緒にいたい。
一晩中、本條さんの話を聞いていたい。
でも、21時になると本條さんは帰る支度を始めた。
もう帰っちゃうの…?
帰っちゃ嫌だよ…。
そう言いたかったけど、そんな事言える立場でもないし、そんな勇気もなかった。
「カブ太とカブ子に挨拶してから帰ろうかな」
2人でケースをのぞくと、2匹は一緒にカブトムシゼリーを食べていた。
「仲良しだね」
「新婚さんですからね…」
仲良しな2匹を見つめながら幸せ気分に浸る。
「同じ部屋でずっと住んでると、好きになっちゃうのかな」
そう言いながら本條さんが俺の手の甲に触れた。
えっ…!?
ビックリして顔を上げると、俺の目の前には整いすぎた彼の顔面があった。
甘爽やかなトワレの香りも、手の大きさや温もりもダイレクトに伝わってくる。
今、本條さんと触れ合ってる…!
どうしてそんな事になったのかがわからなくて、硬直してしまう。
何か言いたいけど、喉がカラカラに乾いて言葉が出てこない。
ただただ口をパクパクさせるだけ。
「カブ太とカブ子みたいにこうやって同じ部屋にいて、一緒に食事をしていたら松本 さんは俺に恋をする?」
物語の王子様みたいに甘い微笑み、優しい声…。
体中の血が沸騰したみたいに全身が火照るし、心臓が爆発しそう…!
「…か、からかわないでください///」
あぁ、俺のバカ!
ようやく絞り出した言葉がこれなんて…!
言い方もキツくて拒絶したみたいだし、可愛げもユーモアのカケラもない。
コミュ力も語彙力もないなんて…。
それに、俺は告白の絶好のチャンスを逃した。
『もう恋してます』
『初めて会った日からずっと本條さんが好きです』
『今日一緒に過ごして、もっと好きになりました』
言いたい事はたくさんあるのに、何一つ言葉にできなかった。
「ごめんね、嫌な気持ちにさせて…。遅くまでありがとう。松本さんと過ごせて楽しかったよ。また明日」
固まる俺に、ここでいいよ…と、微笑んだ本條さんは『おやすみ』を告げて部屋を出て行った。
緊張から解放された俺はヘナヘナとその場に座り込む。
「カ、カブ太…カブ子…。今のどういう事?どうして手なんて…」
思わず呟いてしまったけど、2匹は素知らぬ顔でゼリーを食べていた。
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