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第7話
それからあっという間に1か月がたった。
本條 さんとの関係は相変わらずだったけど、カブ太とカブ子には子供が生まれた。
いつ卵からかえったのかはわからないけど、気づいたらケースの底の方でモゾモゾ動いていた。
日に日に大きくなる幼虫。
脚がたくさん生えていて、ブヨブヨしていてちょっと怖いけど、見慣れると可愛く思えてきた。
だって、可愛いカブ太とカブ子の子供たちだ。
可愛くない訳がない。
今度は幼虫の育て方の勉強を始めた。
課長の『お誘い禁止令』が解禁になると、本條さんは毎日のように誰かが主催する有志の飲み会に参加するようになった。
本條さんとは、一度だけ帰りのタイミングが同じになった時、あのレストランで一緒にご飯を食べて、俺の家に寄ってカブ太とカブ子に会ってくれたくらい。
最初のうちはよく目が合った気もしてたけど、最近はお互いの仕事が忙しくてなかなかそんなラッキーも訪れない。
俺はひとりぼっちの時間が増えた。
またコンビニ弁当を買って帰る生活に逆戻り。
ひとりぼっちには慣れていたはずなのに、一度本條さんの優しさに触れてしまった俺は淋しくて仕方ない。
「カブ太とカブ子はいいね。好きな人とずっと一緒にいられて。ずっと相手を独り占めできて…」
カブ太とカブ子が野生のカブトムシだったのか、飼われていたカブトムシから生まれた幼虫なのかはわからない。
どちらにしろ人間が無作為に2匹を選んで小さな飼育ケースに入れてしまった形だから、結ばれる相手は勝手に決められたもの。
もしかしたらお互い他に好きなカブトムシがいたかも知れない。
でも今は素敵な番。
ただ本能的なもので結ばれただけなのかも知れないけど、お互いを独り占めできる状況が羨ましかった。
俺も本條さんを独り占めしたいし、独り占めされたい。
カブ太とカブ子のように、一生出られない部屋に本條さんと2人で閉じ込められたいって妄想してしまう程に。
さっさと告白してしまえばいいのに、その勇気が出ない。
早くしないと、他の誰かと恋をしてしまうかも知れないのに…。
そんな事を思いながら、仕事の合間に給湯室でマグカップを洗っていたある日の事。
偶然、本條さんが現れた。
狭い給湯室で2人きり。
遠い存在になってしまった本條さんが目の前にいる。
もうそれだけで嬉しくて涙がこみ上げてきた。
「松本 さん、泣いてるの…?」
心配そうにハンカチを差し出してくれる本條さん。
そんなスマートにカッコイイ事されたらまた恋してしまう。
本條さんのお尻ポケットから取り出されたオシャレな千鳥格子のハンカチは、少しだけ本條さんの温もりが残っていた。
あの日、触れられた時の温もりを思い出して胸がキュッとなった。
「あの…もし時間があったら、カブ太とカブ子に会いに来てくれませんか?」
気づいたら、とんでもない事を口走っていた。
本條さんは驚いた顔で俺を見る。
しまった、余計な事を言ってしまった。
カブトムシに会いに来て…なんて、的外れで断りにくい誘い方をしたら迷惑だ。
「忙しかったり、迷惑だったらいいんです…」
慌てて付け加えると、本條さんが微笑んだ。
「俺も今そう声をかけようと思ってたから驚いたよ。今日、一緒に帰ろうか。よければご飯でも」
彼からのお誘いが嬉しくてすぐにうなずいた。
浮き足立つ自分がわかった。
天にも舞い上がるような喜びってこういう事を言うんだと思う。
彼とのデートで頭がいっぱいで、その後の記憶はほとんどない。
気づいたらあっという間に終業時間になっていた。
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