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第25話side.紘斗

〜side紘斗(ひろと)〜 「カブ太、ご飯だよ」 飼育ケースに近づくだけで涙ぐんでしまう湊世(みなせ)の代わりに、新品のカブトムシゼリーを入れる。 カブ太だけになってしまった飼育ケースはいつもより広く感じた。 心なしかカブ太も元気がなさそうに見える。 リビングに戻ると、湊世は窓際に座ってベランダの植木鉢を見つめていた。 湊世の心に寄り添おうと、隣に座る。 「湊世、明日…2人で会社を休もうか」 カブ子の事があって食が細くなった湊世は、痩せてますます儚げになった。 まだ食事もまともに摂れないのに、こんな猛暑の中を出歩いたら倒れてしまう。 俺が休む必要はないけど、そんな状態の湊世をこの家に1人残すのは心配だった。 仮に出社しても、仕事なんて手につかないだろう。 「ううん、行くよ。まだ淋しいけど…カブ子が空から見ててくれるから」 泣き腫らした顔で無理に笑おうとする湊世。 カブ子とお別れした悲しみを少しでも癒してあげたいのに、どう振る舞ったらいいのかがわからない。 最適解がわかったなら、何だってするのに。 「無理しなくていいんだよ」 「うん…ありがとう、紘斗さん」 「俺にできる事があったら何でもするからね」 「うん…、ありがとう」 何を話しかけても『うん』と『ありがとう』の繰り返し。 今の湊世は『何か』をして欲しいのではなく、そっとしておいて欲しいんだろうか。 「…紘斗さん…。少しだけ甘えてもいい…?」 「もちろん。おいで、湊世」 包み込むように抱きしめると、俺の胸元に手を添えてきゅっと体を寄せてきた。 湊世の温もりやにおいや息づかいを感じた時にふと気づいた。 カブ子と離れ離れになってしまったカブ太は、もう愛しいカブ子を抱きしめられない事に。 カブ子も愛しているカブ太の気配を感じられない事に。 そう思うと、腕の中にいる温かい湊世がとても貴重で愛おしい存在だと思った。 2人で一緒にいられるこの時間が尊いものだと思った。 湊世の髪のにおいや感触を楽しんでいると、湊世が何か言いたそうに俺を見た。 「…紘斗さんだけは…俺を置いていかないで」 「もちろん湊世を置いていったりしないよ。ずっと湊世の側にいる」 約束するよ…と手を握る。 「本当に本当?俺…ひとりぼっちになるのは嫌」 「大丈夫。どこにも行かないし、身体に気をつけて長生きするよ」 俺の方が長生きできる保証なんてどこにもない。 でも、湊世に嘘はつきたくない。 湊世との約束を守るため、例え1秒でも湊世より長く生きてみせると、強く心に誓った。 優しく頭を撫でると、安心したように微笑む可愛い湊世。 俺の言葉をこんなに喜んでくれるのは湊世だけ。 …もし、湊世がいなくなってしまったら、俺の存在意義はあるんだろうか。 「…湊世に置いていかれるのも辛いな」 柔らかな髪を撫でながらつぶやくと、ハッと何かに気づいた様子の湊世。 「…ごめんなさい。俺…自分の事ばかりで、紘斗さんの気持ち…考えてなかった」 「いいよ。湊世に悲しい思いをさせるくらいなら、俺が悲しい方がずっといい」 それを聞いた湊世は涙を浮かべながらイヤイヤをした。 「俺は紘斗さんが悲しい方が悲しい。やっぱり俺が紘斗さんより長生きする」 「可愛い湊世を残してなんて逝けないよ。湊世が瞳を閉じる最期の瞬間は俺が側にいて手を握っていてあげたい」 「嫌、俺が紘斗さんを看取るの」 どっちが長生きするかのやり取り。 湊世が俺を想ってくれる気持ちを知る事ができて嬉しかったけど、2人が離れる話をするのは辛かった。 「先の事を心配しても仕方ないから今を生きよう。俺は湊世と過ごせる今が一番幸せだよ」 「うん…俺も幸せ…。紘斗さんが好き…」 「俺も好きだよ、湊世」 「嬉しい…」 こけてしまった頬にそっと手を添えると、湊世が瞳を閉じる。 緊張しながら俺のキスを待つ湊世の愛らしさ。 腫れて赤みを帯びた瞼に口づけた。 明日には少しでも引いているといい。 おでこやこめかみ、鼻の先…湊世の悲しみを全部吸い取るつもりで丁寧に唇を寄せた。 あぁ、このまま湊世を抱きたい。 湊世と体温を共有して、今お互いが生きている事を実感したい。 でも悲しみを抱えている湊世に無理はさせたくない。 今は心も体もゆっくり休ませてあげたい。 「…紘斗さん、あのね…」 「うん…どうしたの?」 「俺…紘斗さんに抱いて欲しい。今夜はずっと抱きしめていて欲しい」 湊世は今にも泣き出しそうな潤んだ瞳でじっと俺を見つめた。

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