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Storm has arrived from England! 第33話(春海)

 夢現(ゆめうつつ)に、マリアと村雨の声を聞いた。  二人が話していた内容はよく覚えていないけれど、具合が悪くて共感力のコントロールができなかったせいか、マリアの悲哀に満ちた心の叫びが聞こえた気がした……    ごめんね、マリア……  マリアのことは、子どもの頃から可愛い妹のように思っていた。  マリアが初めて日本に来たのは、まだ2歳頃だったと思う。  ようやく英語を覚え始めたところだったのに英語の通じない日本に連れて来られて、戸惑って泣き叫んでいたのを覚えている。  何を言ってもニコニコ笑うだけで全然答えてくれず、聞いたこともない言語を話すわたし達の姿は、きっとマリアにしてみれば宇宙人に会ったような感覚だったのだろう。  その頃の春海は、まだ共感力のコントロールがうまくできなかったので、言葉が通じないストレスから怒ったり泣いたりと忙しかったマリアの感情に振り回されたのを覚えている。  叔父がマリアを連れて日本に来るのは年に数回だったが、会う度にそんな状態では自分も大変だと思い、自主的に英語を学び始めた。  子どもながらに、とりあえずマリアが何を伝えたいのかわかれば少しは感情が落ち着くだろうと思ったのだ。  たどたどしい英語だったが、マリアも春海が何を言おうとしているのかを一生懸命受け止めようとしてくれた。    3~4歳頃になると、ごっこ遊びの延長でマリアが先生になって英語を教えてくれるようになった。  マリアが落ち着いたことで、最初の頃のように負の感情に振り回されることは減った。  マリアは本来、とても明るくて活発で思いやりのある可愛らしい女の子なのだ。  歩み寄ろうとしてくれたのが嬉しかったのか、マリアは春海によく懐いた。  日本に帰って来る度に春海の後ろをついて歩いていたので、祖父母たちから「カルガモの親子みたいだな」とよく揶揄(からか)われていた。(マリアは何のことかわかっていなかったが……)  そんなマリアを、春海も可愛がっていた。  でも……  フィアンセ……どうしてそんな話になったのか、全然わからない。  恋愛というものを理解していない子どもの頃なら、「遊んでくれて優しいから好きー!結婚するー!」という思考になるのもわかる。  だが、マリアは20歳で、もう大人の女性だ。  そもそも、祖父が亡くなってからは一度も叔父たちは帰ってきていなかった。  マリアもちょうど思春期だっただろうその期間に、どうして会えもしない春海のことを想い続けることができたのか……その間きっと同級生の中にも素敵な男の子はいただろうに……    そんなに一途に想ってくれていたマリアを悲しませるようなことはしたくないけれど、こればっかりはどうしようもない。  春海には村雨がいる。  もし、村雨と出会っていなければマリアの気持ちを受け入れたのだろうか……  それは今となってはわからないけれど……  でも、きっと、村雨に感じているような切ない程の甘くて愛しい想いをマリアに抱くことはできないだろうと思う……  ごめんね……  自分のことをそんなに好きになってくれていたマリアにも、自分のことを心配してくれている叔父にも、謝ることしかできない。  マリアの気持ちを受け入れてあげられないから……心配してくれているのに、叔父の言うことを聞くことはできないから……春海には謝ることしかできない。  ごめんなさい…… ***  ふと、頬が温かい気がして目を開けた。  瞳を動かすと、隣で横になった村雨が、春海の頬を撫でていた。  少し眉間に皺を寄せて心配そうな顔をしていた村雨は、春海が目を開けたことに気づくと、ふわっと微笑んだ。 「大丈夫ですか?怖い夢見ちゃいました?」 「え……」 「泣いてましたよ」  村雨の言葉で、先ほどから村雨は涙を拭ってくれていたのだと気付く。 「大丈夫……です」 「そう?ならいいけど……身体は?どこか苦しいところとかないですか?」 「胸が……苦しい……」 「えっ!?まだ苦しいの!?やっぱり病院行きますか!?」  村雨が慌てて少し上体を起こし春海を覗き込んできた。  額や首筋に手を当てて、春海の様子を窺ってくる。 「救急車呼ぶ程ではないからタクシー呼びましょうか?前に行った病院だったら夜間救急受け入れてくれると思うけど……当番医と今救急が入ってないかを電話して確認した方がいいかな……」  村雨が難しい顔をして呟きながら携帯を弄る。  その様子を見て、また胸がキュッとなった。  確かに、まだ具合も悪いけれど……  でも、そうじゃなくて……  春海は、村雨をじっと見つめて、両手を少し伸ばした。 「村雨さん……抱きしめて……?」 「……え?あぁ、はい。どうしました?苦しい?」  村雨が携帯を置いて、春海の身体を労わりながらそっと抱きしめてくれる。  その温もりに安心して、涙が込み上げてきた。 「村雨さん……大好き……です……っ」 「んん!?……俺も大好きですよ。めちゃくちゃ大好きです」  春海の様子に少し驚きつつも、村雨もすぐに答えてくれた。 「……身体は平気?病院行かなくて大丈夫?」 「大丈夫……」 「そか……じゃあ、このまま寝ましょうか。春海さんも横になってるほうが楽でしょ?」    村雨はそう言うと春海を抱きしめたままゆっくりと横になった。 「今日はよく頑張りましたね。おじさんのことも、マリアのことも、きっと何とかなりますよ。ならなくても俺が何とかします。だから大丈夫ですよ」  村雨の声と言葉は、いつも春海の中に優しく響いて来る。  叔父のこと、マリアのこと、なんだかぐちゃぐちゃになっていた気持ちが、一本ずつ(ほど)けていくような気がした。  ねぇ、村雨さん……  村雨さんに感じているこの気持ちをどう表現すればいいのかわからない。  村雨さんじゃないとダメなの。  他の人じゃこんな気持ちにならない。  誰よりも大切で、愛しい……失いたくない……  村雨さんのいない世界で幸せになんてなれない……  どうすれば、叔父さんにこの気持ちを理解してもらえるんだろう……   「村雨さん……大好きっ……ずっと……大好きです」 「うん、ありがとうございます。俺もずっと春海さんのことが大好きですよ」  張りつめていた糸が切れたように泣きながら「大好き」と繰り返す春海を、村雨はずっと抱きしめて優しく口付けながら「俺も――」と返してくれていた――…… ***

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