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羨望と嫉妬 第80話(村雨真樹)
「お疲れ様でした……」
そっと柔らかいものが頬に触れた気がした。
律さん?……夢か……な……
***
「マーサー!!起きて―!おはよー!!」
「……う゛っ……!?」
耳をつんざくような甲高い声と共にドスッと鳩尾 に鈍い重みを感じて思わず呻いた。
「っ……ゲホッゲホッ!!マ……リア!?」
「Yes!おはよー!もう夜よ!!起きて!?ご飯食べるよ!!」
真樹の胸の上にマリアが横向きに寝転んでいた。
子どもがするなら可愛いけれど、いくら細いと言ってもマリアは大人だ。
さすがに無防備に寝ているところに倒れ込まれるとキツイ……
「マリア~真樹さんはもう少し寝かせてあげ……って何やってるんですか!!真樹さん大丈夫ですか!?」
部屋を覗きに来た律が、真樹の上に寝転んでいるマリアを見て卒倒しそうな声を出した。
「あ~……なんとか……」
「もぉ~~!!ほら、マリア退いて!!もう子どもじゃないんだから、そんなことしちゃダメでしょう!?」
律が急いでマリアの腕を引っ張って起こした。
「え~?起こしてあげただけよ~!?」
「もうちょっと穏便に……声をかけるとか、肩を叩くとかそれくらいにしておいてください!ほら、食べる用意してきて!」
律は不服そうなマリアを追い立てて部屋から出すと、真樹の様子を見に戻って来た。
「大丈夫ですか?あの子、結構容赦なく来るでしょう?」
「そうですね、さすがに驚きました……」
「あの子が子どもの頃、わたしもよくやられたんです。さすがにもうしないと思ってたんですけど……」
「ははは……っゲホッ」
「あぁ、ほら、無理しないでください。あの子鳩尾狙ってくるの得意なんですよ。本人悪気はないんでしょうけど……」
どんな特技だ……
悪気はなくても、ただ眠っているだけの人間を起こすためと言いながら仕留めに来るのは辞めて頂きたい。
「眠れましたか?」
「ん?あぁ……はい、ぐっすりと!」
「それは良かったです。昨夜ほとんど眠れてないでしょう?晩御飯食べたら今日はもう早めに休んでくださいね」
律が真樹の顔を覗き込んで、ふわっと微笑んだ。
「……律さん、ちょっとだけ抱きしめていい?」
「えっ!?は、はい!」
照れて俯く律を抱き寄せた。
あ~落ち着く……
***
山野が憧れを通り越して真樹に張り合っていたのには驚いたが、それよりも、山野にあんな風に見られていたことの方が驚いた。
俺が訪問先で人気があるのは、ただ愛想良くしてるからで、社内で人気があるというのは、単に同期が多いから社内のいろんなところで声をかけられるというだけだ。
社内試験でトップなのは、空き時間にはずっと勉強してるからだし、後はなんだっけ?
仕事量が多いのにサラッとこなしてる?
どこがだよ!
毎日、日付変わるまで残業してようやく終わらせてる有り様だぞ!?
そりゃ確かにここしばらくは他の部署のヘルプにも入ってたから、同じ部署の人たちに比べると仕事量が多かったわけだけど……
いやもうホントに今回はかなりギリギリの状態だった……
こんなの、スマートに仕事をこなしているとは言えないだろ……?
それこそ、俺だって毎日必死に頑張ってるっ!
それなのに……
別に努力を評価してもらおうとは思わない。
社会に出ると結果が全てだ。
ただ、苦労もせずにこなしていると思われるのは、しかもそんな勘違いで勝手に劣等感を抱かれるのは、何だか解せない。
山野の思考がいろいろと飛躍しすぎなんだろうけど、でも俺の態度が後輩にそんな風に劣等感を抱かせてしまったのだとすると……俺って先輩失格なんじゃないの?
「……疲れた」
思わず弱音が口から零れた。
昨日は朝から大変だったけれど、何よりも山野の言葉が一番ショックだったのだとようやく気付いた。
「お疲れ様です」
律が優しく囁いて、真樹に顔を摺り寄せながらぎゅっと抱きしめ返してくれた。
いきなり夜更けに押しかけて店を借りてまでしていた話し合いの内容が気にならないわけがない。
それでも律は昨夜一体何の話をしていたのかと、聞いてくることはなかった。
今朝熊田先輩と話しているのを少し聞いていたので、何があったのかは何となく把握しているはずだし、真樹も、律にはちゃんと話すつもりだ。
でも今は……何も聞かずに背中を軽く撫でてくれる手が、律の温もりが、やけに心地よくて……
昨日からのもやもやや虚しさが少し楽になった気がした――
***
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