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第3話

どのくらい眠っていたのか分からないが、夢を見た後のような一瞬に感じた。 何も感じない、無の世界から現実に引き戻されるような不思議な感覚。 死んだあの日が、つい昨日のようだった…もしかしたら死んだのではなかったのかもしれない。 赤子の泣く声が聞こえた、この病院の産婦人科は俺がいる病室と離れていなかっただろうか。 男性と女性の声が交互に聞こえて、内容は分からないが会話をしているようだった。 ゆっくりと視界に光が射し込み、そこに向かって思いっきり腕を伸ばした。 「おめでとうございます!元気な男の子です!」 声が弾んだ若い男の声が聞こえて、視界が眩しすぎて目を細めながら注目した。 そこには見た事もない医師が俺の顔を覗き込んでいた。 視界が可笑しい、なんでこんなに顔が近いのだろうか。 もしかして、抱かれてる?それなら視界が近いのも納得だ。 しかし、視点が低いのも気になる…病人だったが身長はそれなりにあった筈なのに…この医師が二メートルもあるなら分かるけど… それに元気な男の子って、それじゃあまるで俺が産まれたばかりの赤子のようではないか。 自分の手のひらを見ると、紅葉のような小さな手が映った。 指先に力を込めると握り、力を抜くと手が広がった。 その動作を何度か繰り返して、この手は自分の手なんだと分かった。 明らかに赤子の手、やはりあの時転生して生まれ変わったのだろう。 しかし、変だ…生まれ変わったら生前の記憶はなくなるのではなかったのか? 稀に前世を覚えている人はいるが、こんな昨日の出来事のように鮮明に覚えているものなのだろうか。 「あれっ、これは…」 医師に腕を掴まれて、手の甲をジッと見つめられていた。 俺も見たいが、赤子がいくら頑張っても大人に勝つ事なんて不可能だ。 とりあえずなにか喋ろうと思ったが「あぅ、うー」しか声が出なかった。 上手く喋れなくて戸惑いの表情を見せていたら、当然それを知らない医師は俺を抱えたまま誰かに渡した。 その人は特別美人というわけではなく普通の容姿をしていたが、冷めた瞳が印象的な女性だった。 この人が俺の母親、なのだろうか…子供の誕生に喜びもせずにただ見つめていた。 変な病気もなく、退院は意外と早く出来てやっと病院から抜け出せた喜びで笑った。 しかし母は全く俺の顔を見ないでまっすぐと目の前を向いていた。 最後に見た医師の険しい顔が今でも頭から離れずにいた。 日本の病院では見なかったが、カラフルな頭の人が沢山いた。 瞳の色も様々で、病室の窓に手を置いて覗き込むと映る俺のような黒髪に黒い瞳は珍しかった。 母も腰まで長い綺麗な黒髪に瞳だから遺伝だろう……平凡的な容姿も… ここは外国なのかもしれない、話していた言葉は理解できたが文字が理解出来なかった。 でも英語でもなくて、見た事のない文字で何処の国かまでは分からなかった。 しかも病院から出て俺達を待っていたのは綺麗な装飾がされた馬車だった。 紐で繋がられた馬が首を長くして、地面に生えている草をむしゃむしゃと食べていた。 呆然とする俺を知らず母は馬車に乗り、病院がだんだんと遠ざかるのを窓から眺めていた。 馬車なのにほとんど揺れず、装飾馬車からしてお金持ちの子に生まれたのかもしれない。 生前の家族は決して裕福ではなかったが、明るい家庭だった。 いくらお金があっても買えないものはいくらでもある。 いつか、笑ってくれる日が来るといいと思い母の服をギュッと握った。 それを鬱陶しそうに睨み付けてくる母に恐怖を感じた。 それから下を向いて、家に着くまで母の視線に耐えて身体を震わせていた。 まるで憎むような、そんな憎悪が込められた瞳が怖かった。 母は一言「なんでアンタが生まれたのよ」と小さくぼそりと呟いた。 長いような時間を過ごし、やっとの事で家に到着した。 馬車から降りた揺れで、ギュッと瞑っていた目蓋を開けた。 するとそこにあったのは、お化け屋敷のような雰囲気がある古びた洋館だった。 何処かの木の根が壁に絡み付いていて、怖さをより演出していた。 さすがに窓ガラスは割れていないのが救いか、お金持ち……なんだよね? 木製のドアの前で母は足を止めて、ドアを開ける気配はなかった。 自動ドアではないから勝手に開かないと思うんだけど… 「ただいま帰りました」 少し声を張ってドアに向かって声を掛けると、触れていないのにドアが開いた。 まさか本当に自動ドアだったのか?と驚いていたが、内側から使用人が開けていただけだった。 メイド服の中年の女性がドアの向こうから出てきた。 そして母がなにかを言う前に中年の女性に俺は抱き抱えられた。 俺はそのままゆりかごの中に寝かせられて、別のメイドによりゆりかごが運ばれた。 母は数人の厳つい男達に押さえつけられて、怒鳴り声が交差していた。 「離しなさい!!無礼ですよ!!」 「貴女の役目はもう終わりました、こちらに…」 それしか聞き取れず、一室の中に入ると静けさに覆われる。 ゆりかごから抱き抱えられて、ベビーベッドに移される。 さっき見ていた手の甲を眺めていたら、変な模様があった。 逆さ十字のような模様の刺青があった、何処かで見た事があるがそんな事あり得ないだろう。 周りにいた人はこれを見て顔色を変えていた、今の赤子である俺は天井を眺める事しか出来なかった。 少ししたら大きな音を立てて誰かが部屋に入ってきた。 「浅ましい女だ、子供を産んだらもう用はないというのに…」 「全くですわ、愛人の分際で貴方の愛を手に入れたと勘違いして…後継ぎを産んだら用はないのに…」 「……その後継ぎもアレではな」 男女が会話をしながら入ってきた、感情的になっているからか少し声が大きくなっている。 ゆりかごにいる俺を眺めるのは、真っ赤に燃える短髪に髭が濃く鋭い瞳で威厳がある男と、美人だろうというのは分かるが化粧が濃くていいところを全て台無しにしている茶髪で後ろを一つのだんごにしてまとめている真っ赤なドレスの女性がいた。 この手の甲の模様といい、この二人にも見覚えがあった。 でもそれを見たのは、生前プレイしていたゲームだった。 冷たく突き刺さるように鋭い四つの瞳に見つめられる。 男性は父親かもしれないが、もう一人の女性はゲーム通りなら… 「これが汚らわしい悪魔の子?とんだ恥さらしね」 「コイツを後継ぎにすると我がローベルト伯爵家が世間から笑い者だな、絶対に屋敷から出すな」 不穏な話をしていたと思ったら俺の手を掴んで、手の甲をマジマジと見ていた。 悪魔の子の紋様、見覚えがある二人…そしてローベルト伯爵家。 生前の記憶が早送りのように頭の中で駆け巡っていく。 父とあの女性は俺がやっていた妹に借りたゲームに登場していた夫婦なのだと確信した。 悪の貴族と悪名高いローベルト卿…大帝国の侵略を企てている、悪役と呼ばれる存在。 そしてライムはローベルト卿の息子であり、妹の後ろをいつもくっついている舎弟のような存在だった。 妹はカイウスに惚れていて、カイウスに近付くヒロインのマリーをよく思ってなくて陥れようとしているキャラクターだ。 悪役令嬢だと言われていて、最終的にカイウスの加護の精霊が暴走してそれに呑み込まれて死んでいった。 それ相応の酷い事をしてきたから同情は難しいが、プレイしていないトゥルーエンドではなにか変わっているのかもしれない。 そして俺の立場からして、悪役令嬢の兄であるライムだろう。 そんな死亡フラグが立ちまくりのライムに俺がなったのか? ゲームの世界のキャラクターになるなんて、嬉しいと思う人は多いだろう…でもそれは主人公の場合だ。 悪役がカッコいいと魅力を感じる人もいるのは知っている、でもライムは確実にカッコ悪いキャラクターだ。 ただ生まれただけで危ない死亡フラグが立っただけだ。 ライムはマリーのハッピーエンドで必ずと言っていいほど死ぬ…しかもカイウスや他の攻略キャラクターを頭の悪い悪口で挑発してバチが当たる…本当にカッコ悪い。 そんなの絶対に嫌だ…ゲームの死亡フラグが回避出来れば、きっと助かるかもしれない。 マリーが誰かのルートに入る前の早い段階でのバッドエンドにヒントがあった。 そのバッドエンドではライムも妹も出ない、だから死んだという情報はない。 この後死んだというゲーム外の話なら知らない俺は回避しようもないが、とりあえずゲームのキャラクターに関わらなければ死ぬ事はないだろう。 ひっそりと目立たなくしていればいい、そもそもライムがマリーに口で言うのも恥ずかしい酷い事をしたからカイウスの怒りが溜まり暴走したんだ。 俺さえ何もしなかったら妹も死なないのかもしれない…いや、妹は妹で酷い事はしているんだけど… 悪役令嬢だと頭では理解しているが、どうしても生前の妹と重ねてしまい…嫌いにはなれなかった。 まだ悪役令嬢の妹には会った事がないけど、もしかしたら兄に優しい一面があるかもしれない。 ゲームでは兄を顎でコキ使ったり、汚れ仕事を押し付けたりしていた……兄として一度も見た事はなさそうだったけど… とりあえず俺はゲームのメインキャラクター達を避けながら生き延びる道を0歳で誓った。 せっかく転生したんだ、命を無駄にしたくはない…俺は叶えられなかった夢を叶えるんだ! 二人は出ていき、鍵を掛ける音が耳に響き目蓋を閉じた。 俺を閉じ込めると言っていたから、メインキャラクター達には会うことはないだろうな。 俺は誰にも望まれずに生まれたんだろう、いや…生まれてくる瞬間までは望まれていたのかもしれない。 この手の甲の紋様を見るまでは……今ならそれが何なのか分かる。 逆さ十字の紋様はマリーがカイウスを守りたいと強く心に願ったら現れた。 大昔に存在していた精霊王と悪魔の神話が大帝国にはあった。 赤い瞳をした神に愛されし精霊王は、手の甲に逆さ十字の紋様を浮かび上がらせた悪魔と戦った。 災厄を振り撒く悪魔に勝利した精霊王は大帝国の守り神になり、悪魔を封印した。 マリーは紋様が現れてすぐにカイウスの兄のユリウスに見つかり、悪魔の子の再来だと周りに言いふらされていた。 ゲームのユリウスはクズだったが、そんなユリウスでも恋愛対象になるなんて…マリーは凄い奴だ。 カイウスや他のキャラクターはマリーが悪魔の子でも変わらず接していた。 マリーの周りには沢山仲間がいたからめげずに頑張れたんだ。 しかしなんで俺に悪魔の子の証があるんだろう、カイウスを守りたいなんて思ってないのに…… この力は精霊の力が暴走したカイウスを静めるためのもの、俺には全く必要ない。 不安は残るが、マリーもこの世界の何処かにいるだろうし……俺が何もしなくてもマリーが何とかしてくれるから、俺は手の甲を見て見ぬふりをする事にした。

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