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第5話
誰かが鼻をくすぐるもどかしさで、意識がだんだんと戻ってくる。
目を開けると、目の前にはいつもの光景である真っ白な天井ではなく風に合わせて木の葉が揺れている。
そうか、追手から逃れて昨日から森の中で過ごしたんだ。
追手が来ている気配はない、今なら移動しても大丈夫だろう。
まだ城下町には行けない、もしかしたら屋敷の人達がうろうろしているかもしれない。
俺がいない事に気付いているだろうし、そうなったらしばらくこの森の中で隠れている方がいい。
俺が心配ではなく、悪魔の子を隠すためだから悪役らしいなと苦笑いする。
この迷いの森は魔物もいる危険な場所だとゲームの中で説明されていた。
昨日は適当に寝床にしたが、安全な場所を探すところから始めよう。
食料のパンを食べながら、森の中を魔物の気配に気を付けながら進む。
少し歩いて、足を止めて…また歩いて止まるを繰り返した。
俺の動きに合わせて、隣を飛んでいるものも動き出したり止まったりしている。
見た目は蛍のようだ、昼間でも森は薄暗いから蛍が光っているのがよく見える。
この世界に蛍がいるのかは分からないが、何だか可愛いくて一緒に森の中を旅した。
しばらく歩いても魔物には一度も遭遇する事はなかった。
少し疲れたから、木の近くに腰を下ろして休憩する。
目を閉じて耳を済ませると、ちろちろと水の流れる音が聞こえた。
ちょうど喉が乾いていたから、水の音がする方向に向かって歩いた。
いつの間にか蛍はいなくなっていて、気ままだなぁと気にする事なくどんどんと大きくなる音の方に向かって歩いた。
大きな茂みを抜けると、そこには小川が流れていた。
透き通る小川の水を手で掬って口元に持っていき、飲み干した。
美味いな、水をこんなに美味しいと感じたのは初めてだった。
ごくごくと、二、三往復を繰り返していたら小川の音とは別の音が聞こえた。
地を這うような恐ろしい呻き声に、顔がみるみると青ざめていく。
振り向きたくない、でも振り向かないと俺の命が危ない。
後ろをゆっくりと振り返り、あまりにも近いその距離に驚いて小川の中に身体が沈んだ。
バシャッと水飛沫が大きく跳ねて、俺と魔物の顔にも掛かった。
狼の姿をした魔物は獲物を定めてぐるぐると喉を鳴らしていた。
急いで小川の道にそって走り出した、綺麗な小川の中に入ってしまったとはいえこれ以上小川を踏みたくなかった。
小川を渡れば魔物を離す事は出来ただろうが、俺はあくまで小川の横を通った。
走っても走っても、魔物の息遣いが耳から離れなかった。
足に草が絡まり、地面に頭から倒れてしまった。
早く立ち上がっても、すぐ目の前に魔物がいるからきっと無事では済まないだろう。
怪我を出来るだけ避けるために、立ち上がって逃げようとした。
しかし、後ろからさっきの呻き声ではなく「クゥ~ン」という可愛らしい鳴き声が聞こえた。
まるで子犬のようなその声に一気に緊張感がなくなり振り返った。
後ろには、落ち込みながら去っていく魔物の後ろ姿があった。
なにが起きたか理解していない俺の目の前を蛍が泳いでいた。
もしかしてこの蛍がいるから魔物に会わず俺は安全だったのか?
蛍は俺の周りをぐるぐると回って返事をしているようだった。
「ありがとう」
そう言って、食料のパンを小さくちぎり蛍にあげた。
蛍はパンを食べるのか分からないが、俺の手のひらから受け取ってくれた。
会話は出来ないが、蛍達と一緒にいるととても楽しかった。
今日も蛍に守られながら、俺は安眠出来た。
あれから、三日・四日と日は過ぎていき…食料だけではなく木の実と飲み水を確保する毎日だった。
飲み水はあの小川のだが、魔物の巣になっている場所もあり気付かれないようにこっそりと飲んだ。
身体もその時魔物に気付かれる前に素早く小川の水を身体に掛けて洗った。
蛍はいる時といない時があって、あまり頼りすぎないようにしようと思った。
寝る時はいつも居てくれるからそれだけで十分だ。
森での生活に不自由しなくなった時、不思議な光景を見た。
いつものように、木の実探しに出かけようと思ったら蛍の大行進を見た。
数匹が固まって何処かに向かっていて、気になり…俺も歩き出した。
蛍がずっとここにいるならきっと住処があるのだろう。
荒らすつもりはないが、ちょっと見てみたかった。
それにしてもこの子達は本当に蛍なのだろうか、いつも同じ子とは限らないが蛍は一日しか生きられないのではないのか?
この世界はファンタジーだから蛍ではなく精霊だったりして……そこまで考えて、それはないかと自己完結した。
ゲームでは精霊が見えるのは魔法騎士であるカイウスだけだ。
ヒロインのマリーでさえ見えないものが、モブ寄りの悪役である俺が見える筈はない。
蛍を追いかけていたら、見知らぬ広い場所に到着した。
大きな岩が真ん中にあり、その周りを無数の蛍が集まっていてとても幻想的だった。
見とれていたら、蛍が俺の周りに沢山集まってきて急に身体がゆっくりと浮いた。
怖くて足をバタバタとばたつかせていても、どんどん身体が浮いていく。
パッと急に離されて、驚いてしがみついた。
大きな木の上に下ろされて、俺…なにか気に障るような事をしただろうかと怖かった。
でも、蛍達は俺の肩に乗ったり周りをぐるぐると駆け回ったりして楽しそうだった。
少ししたら慣れてきて、目の前の景色を見る余裕まで出てきた。
そういえば、歌手になりたくて歌詞も考えていたのにこの森に来てから全然歌の練習をしていないな。
懐からずっと暖めていた、自作歌詞が書かれた紙を取り出した。
暖かい風が吹いて、蛍達が俺を歓迎してくれているようだった。
俺の初めての観客は蛍だ、まだ未熟だけど一生懸命歌おう。
ずっと虐げられて、いらない子だと思われて生きてきた。
だから歌は明るい、未来がある歌を作った。
俺にだって未来があるという隠れたメッセージを込めて…
瞳を閉じると聞こえる筈もないハーモニーが聞こえてきて、歌った。
俺の全てよ、誰かに届け。
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