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第2話
広いリビングに通されると、
「まぁ、座れ」
そう言われ、アンナは高そうな黒い皮張りのソファに大きい体を縮こませ、ちょこんと腰を下ろした。
(優しくしてくれるといいなぁ……)
思わず外に目を向け、青い空を眺めた。
暫くすると、コーヒーの香ばしい良い匂いが鼻をかすめた。
(いい匂い)
「コーヒーは飲めるか?」
男はマグカップを両手に持ち、アンナの前のソファに座った。
アンナは男を改めて見た。歳は三十半ばくらいか。切れ長の鋭い目にキリッとした弓形の眉毛。鼻は高く唇は少し厚みがある。細くひょろりとした体型の自分と違い、ガッチリとした逞しい体つきであるのが布越しでも分かる。強面の面構えだったが、随分と顔は整っているように思えた。デリヘルなど呼ばなくても、男でも女でも相手に困るようには到底見えない。
「あ、はい。好きです」
男はアンナの前に白いマグカップを置いた。
一口コーヒーを口に含むと、苦味の中にフルーティな酸味もあり、濃厚な香りが口に広がった。
「美味しい……」
自然と言葉が出ていた。
男は何も言わずコーヒーを一口すすった。
おそらく、アンナの為にわざわざ淹れてくれたのだろう。カウンターにドリッパーの道具があるのが目に入った。缶コーヒーくらいはもらった事はあっても、わざわざハンドドリップでコーヒーを淹れるてくれる客は初めてだった。
こんなデリヘルの為にコーヒーを淹れてくれるヤクザであろうこの男に、アンナは興味を持った。
「おまえ国はどこだ? 日本語が随分流暢だが日本は長いのか?」
男の低い声で唐突にそう言われ、
「へ?」
と、間抜けな声を出してしまった。
「あっ、俺、日本生まれの日本育ち」
そう言って自分を指差す。
「父親がオランダ人で母親が日本人。だから、日本語しか話せないよ」
「そうか」
男は少し面食らったように、目を見開いている。
「やっぱり、外人ダメ? アンタより背もデカいし、嫌ならチェンジする?」
焦ったようにアンナが言う。
「いや、いい」
「そう、なら良かった」
暫しの沈黙が流れる。
「あのー、名前聞いても?」
「ワシオだ。ワシオケイタロウ」
そう言って男は手元あったメモ帳に名前を書き殴った。
《鷲尾恵多郎》
「俺はアンナ。カタカナでアンナ」
「本名か?」
「うん、女の子の名前だけど、結構気に入ってる」
鷲尾は再びペンを取ると、メモ帳に《анна》と書いた。
「確かロシア語で書くとこうだったか。ロシア語だと恩恵、恵みっていう意味がある。普通は女の名前に使われるが、フリジア語では男の名前に使われる事もあって《鷲》って意味もある」
鷲尾はアンナが書いたメモを眺めている。
「フリジア語?」
聞き慣れないその言葉にアンナは鷲尾を見た。
「オランダとドイツで使われてる言葉だ。おまえの父親がオランダ人なら鷲の意味で名付けたのかもしれないな」
自分の名前に、そんな意味があったとは知らなかった。そもそも名前に意味などあるとは思っていなかった。だが、そう言われても父親は自分の存在すら知らないはずだ。母親がもしかしたらそれを知っていて付けたのかもしれないが、今となっては知る術はない。
「へぇー、鷲かぁ。物知りだね、鷲尾さん」
「昔、大学の講義でそんな事を聞いたのを思い出した」
ヤクザなのに大学に行っていたのに驚いた。自分など、高校もろくに行っていない。
「あ、俺と同じだね。鷲と恵み?」
そう言って、鷲尾が書いたメモの名前を指でなぞった。
「ああ、だから名前を聞いて同じ鷲と恵みだと思ってな。おまえにした」
鷲尾は歯に噛んだ笑みを溢した。その表情に、アンナは見惚れた。性的という意味ではなく、人としての魅力というべきか、男の色気があるとするならば、こういう事なのかもしれない。
(この人、渋くてかっこいいな)
アンナは素直にそう思った。
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