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第8話
時折、鷲尾はご飯に連れて行ってくれた。すでに連絡先を交換しているのにもかかわらず、鷲尾は律儀に指名してくれるのだ。
「この近くに、店は汚ねーが安くていい肉食わせてくれる焼肉屋があるんだ」
黒塗りの国産高級車を運転する鷲尾の横顔をアンナはジッと見つめる。その横顔がアンナは堪らなく好きだった。
「肉好きか?」
「うん、大好き(鷲尾さんが)」
不意にダッシュボードにアンナの膝がぶつかってしまい、その拍子にダッシュボードが空いてしまった。
「もっとシート下げていいぞ」
ダッシュボードを閉めようと手をかけた時、ギョッとした。そこには鈍く黒光りする、《拳銃》がおもむろに入っていた。
アンナは見なかった振りをし、動揺がバレないよう静かにダッシュボードを閉めた。
二人は焼肉屋を後にすると、車を停めてあるコインパーキングまでたわいもない話をしながら歩いていた。
繁華街を歩いていると、いかにもそっち系の男に何度も声をかけられる。
アンナはその度に、舐め回すような視線を向けられた。ブロンド髪で銀色の目をした男と鷲尾が一緒にいるのが、余程珍しいのだろう。確かに側から見たら不釣り合いな二人に見えるのも無理はない。
そして、何度も声をかけられているのを見れば、この界隈で鷲尾が慕われているのが伝わってくる。
先程の拳銃といい、鷲尾と同業の男たちと会話をする鷲尾を見ると、極道なのだと改めて思う。住む世界が違う事を実感し、遠い存在に思えた。
「聞きましたよ。関西の華崎組の組長の娘と、縁談がまとまりそうだって」
声をかけてきた男の話に、アンナの心臓が大きく鳴った。
「まだ、決定ってわけじゃねえよ」
そう言いながら鷲尾はチラリとアンナに目を向けた。聞かれたくないのかもしれない、そう思った。
「ほぼ、まとまったも同然だって、谷村のアニキ言ってましたよー」
「俺、帰るね」
咄嗟にアンナは二人の会話に割って入るように言った。二人のその話しを聞きたくない、そう思った瞬間、勝手に言葉が出ていた。
「帰るって何で帰るんだ。電車なんてもうねぇぞ」
「タクシー拾うからいい」
「お、おい!」
アンナは走ってその場を離れた。鷲尾が自分を呼び止める声が聞こえたが、それを無視してタクシー乗り場まで走った。
忘れかけていたが、鷲尾はその縁談の為に自分と会っていたのだ。いずれその相手と結婚して、自分は用無しになる。その日がもう迫っているのだと悟り、アンナは静かに泣いた。
鷲尾からいつも通り指名が入った。
アンナは中に入ることなく、玄関先に黙って立っていた。
「なんでこの前、急に帰った?」
珍しく声に怒気を感じ、アンナの肩がビクリと揺れた。
「俺……もう鷲尾さんと会わない」
アンナは震える声でそう言った。どう答えが返ってくるのか、怖くて顔を上げる事ができない。
「なんでだ」
明らかに困惑した声だ。
「俺ね、鷲尾さんの事、好きになっちゃったんだ。お金で繋がってる関係も嫌だし、いつか鷲尾さんが別の誰かで童貞捨てるのも、結婚するのも知りたくない」
アンナの目から零れた水滴が床を濡らした。
「アンナ、俺は……」
《俺はゲイじゃないから》
《俺は結婚するから》
そんな言葉が頭を過り、
「いい! 言わなくていい!」
まるで聞き分けのない子供のようき、両手で耳を塞いでいた。
鷲尾を見ると、表情は戸惑ってはいるものの、いつもと変わらないようにも見えた。
鷲尾は言葉を発しない。何も言ってくれない事に悲しみが込み上げるが、はっきりと別れの言葉を聞くよりはマシだと思えた。
アンナは涙をグッと堪え、
「今までありがとうございました」
頭を下げ鷲尾のマンションを出た。
エレベーターに乗り、エントランスまで来ても鷲尾は追ってくる事はなかった。
帰り道、人目も憚らずアンナは泣いた。
金髪頭の背の高い外人が、大泣きしているの姿はさぞ奇妙に映っただろう。だが、そんな事を気にする余裕などアンナにはなかった。
「うっ……鷲尾さん……」
結局、鷲尾にしてみれば自分はただのデリヘルボーイ。なのに、自分と同じ気持ちを鷲尾に求めていた。所詮、金で買うか買われるかの関係で、鷲尾にはそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
互いに不幸な幼少期を送ったという親近感をアンナだけが勝手に持ち、鷲尾と近い関係になれたと、そして、心のどこかで引き止めてくれるかもしれない、そんな思い違いをした自分が酷く惨めで滑稽だった。
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