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第7話 父-趙夬

 ボリソヴォ湖への旅行に許可をもらいに訪れた時、彼の養父、趙夬はあまりいい顔をしなかった。 ー見知らぬ土地だし、何より大学生とはいえ、所詮は子ども。何かあった時に、あなたの親御さんに顔向けが出来ないー というのが、反対の理由だった。だが、私はなんとしても、彼に楽しいバカンスを過ごさせたかった。 ーでは、あなたも一緒に来てくれませんか?三日間くらいなら、時間とれませんか?ー と食い下がる私に趙は最初はひどく驚いた顔をした。が、しばらく考えさせてくれ......とその日の話は流れた。  翌日、ラウルが大学へと出掛けたあと、私の部屋を訪ねてきたのは、他ならぬ趙夬だった。 「少し、お邪魔してもよろしいか?」  還暦間近だというその男は髪すらかなり薄くなっているものの、それとは思えない張りのある顔を少し曇らせて立っていた。私はリビングに彼を案内し、ひとまずコーヒーを入れた。 「なんのお話でしょうか?」  いささか緊張した面持ちで部屋をぐるりと見回して、彼は口を開いた。 「本当に学者でおいでなんですな。セルゲイ-レヴァントのご子息は......」  私はドキリとした。が、平静を装い、眼鏡のブリッジに手を触れた。 「父のことは.....ラウルには」 「言ってません。あなたがレヴァント-ファミリーの関係者であることは、大学の友人から聞いたようですが、頭領の嫡男......いずれレヴァント-ファミリーを継ぐ存在とは、彼は思っていません。もっとも今の彼にとってはどうでもいいことだとは思いますが.....」 「何を仰りたいのですか?趙夬さん」  私は私の心の中で身構えた。趙は躊躇いがちに言葉を継いだ。 「私はあなたのあの子に対する友情に心から感謝しています。あの子は、幼い頃に実の両親を亡くして、その上私の至らなさもあって、友達らしい友達も出来ず、とても寂しい思いをさせてしまった.....。あなたはあの子にとって、初めて出来た『友達』かもしれません」 「それは私も似たようなものです」  私の子どもの頃の大切な友人は、あり得ないほど酷い死を遂げ、その事があってから、私は『友達』を作れなくなった。 「けれど.....」  趙は眼を伏せて苦し気に言った。 「あなたはレヴァントの跡目を継ぐ人だ。.......ラウルが言ったと思いますが、私は香港の楊ファミリーの一員だ」 「知っています。彼はやがて自分もファミリーに入り、父であるあなたと共にファミリーに尽くすのだ.....と。刺青も見せてくれました」  趙の口から大きな溜め息が漏れた。 「刺青を.....。私が恐れているのは、いずれラウルとあなたが生命を奪い合う関係になるかもしれないことです。ファミリー同士の関係によっては、彼はあなたに銃口を向けることになるかもしれない。その時、あなたもあの子もひどく傷つくことになる」 「だから、ラウルに近づきすぎるな.....と?」 「あの子は優しくて情が深い。背中の刺青も、私と親子である証が欲しいから.....と、自ら彫り師に頼みこんで......」 「親子の証....ですか?」  趙は頷くと、ー失礼ーと言って立ち上がり、背を向けてシャツをはだけた。そこには、ラウルのものと同じく鷲が大きく羽を拡げていた。ラウルの刺青は、それを写したものだという。違うのは......。 「これは、この鷲は....」  そう、趙の刺青には、羽を拡げる鷲を頼もしげに見上げるもう一羽の鷲の姿があった。 「ラウルが墨を入れた時に彫り足しました。息子の心意気を受け入れた親馬鹿の証です。......だが、彼の気持ちに甘えたことが、却って彼をなお孤独にしてしまった.....」  親子の絆......血が繋がらないが故の深い思いがそこにあった。胸が震えた。  私は趙に改めて、座るように促し、言った。   「私はファミリーを継ぎません。セルゲイと父と同じ道を行くつもりはない。大学で教鞭を取り、学者として生きていくつもりです。だから.....」  趙の眼を真っ直ぐに見て、私の決意を告げた。 「私とラウルは決して殺し合うことはない。だから、あなたも只の大学生の父として、私とラウルの学生同士の友情を暖かく見守ってください。香港マフィアの楊ファミリーの一員としてではなく、只のラウルの父親として、息子達の旅行に付き合ってはいただけませんか?」  趙はようやく頷き、私達の旅行は実現した。父兄付きだが......。  だがむしろそれは、ラウルを喜ばせた。『仕事抜き』の養父との旅行はものすごく久しぶりで、趙もひとりの父親として、ラウルとの旅行を楽しんでくれた。  私達はラウルの父、趙夬の手解きで釣りを楽しみ、釣り上げたばかりの活きの良い魚を捌いて料理してもらった夕飯に舌鼓を打った。     「なぁ、今日は飲んでもいいだろ?」 とせがまれてビールを飲ませたラウルが寝てしまった後、趙夬が息子の頭を優しく撫でながら声をひそめて、私に言った。 「ラウルの父親は、ある男に殺されました。今、ラウルはその時の事をまったく覚えていません。....でも、もし彼がその事を思い出す日が来たなら......そして、その時にあなたがまだ彼の友人であったなら、彼を助けてやってください」 「助ける?」  趙は静かに頷いた。 「彼は必ず『仇を取る』と言い出すでしょう。もしそれが叶うなら手を貸してやっていただけませんか?......もし不可能であれば、なんとしても止めてください」  私は承諾し、趙に問うた。 「それで...仇の名は?」 「崔伯嶺......」  私とラウルの運命が重なった一瞬だった。  

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