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第10話 優しさと強さと

 九月に入り、大学の新年度が始まると、私もラウルも多忙になった。とはいえ、レッスンは日にちをひとつ減らしたものの、欠かさず続いていた。  内容的には時に彼のレポートの添削であったり、私の日本の古典の資料を解説した文献の検索や翻訳であったり、より高度なレベルに移行したが、ラウルの人懐こさはまったく変わらなかった。  意外にも日本の古典の名著と言われるものには男女の情愛を題材にしたものが多く、ラウルが、時に照れて赤くなりながら解説してくれる様子は実に初々しく、可愛らしかった。  特に日本でも、世界的にも有名な『源氏物語』について説明を求めた時には、 「俺には、どこがいいのか、さっぱり分からないんだけど....」  と首を捻りながら、光源氏なる主人公が様々な女性と恋愛を重ねていく話だと話してくれた。 「みんなに好きって言って、結局みんなを傷つけて、酷い奴だとしか思えない」  口を尖らせるラウルに、私は思わず吹き出しそうになった。 「ラウルは女の子にもてたいと思わないの?」 「思わない。......すぐ泣くし、意味の分からないことで怒るし....女の子ってあんまり好きじゃない。相手してるより、功夫(クンフー)やってたほうがいい」 「そうなんだ....」 「ミーシャはどうなの?それこそ頭いいし、背も高いから女の子にモテそうなのに....」 「モテないよ」  私は苦笑いしながら答えた。 「私は本の虫だからね。きっと女の子は退屈だろうね。気のきいた話もできないし......」 「ふぅん.....」  ラウルは少しばかり首を傾げて呟くように言った。 「ミーシャは優しいし、格好いいのにな....」 「優しい?私が?」  私はラウルの言葉につい聞き返してしまった。私にはついぞ言われたことの無い言葉だ。誰もが私を『冷たい』と言い、『何を考えているかわからない』と言う。まぁ欲をちらつかせる輩に見せる愛想など持ち合わせていないだけの話だが。 「うん、ミーシャは優しいよ、すごく。勉強だって一生懸命教えてくれるし、本気で俺のこと、色々心配してくれるじゃないか.....」 ーそれは、君だからだよ、ラウルー  私はその一言をぐっ.....と飲み込んで、唇を少し上げてみせた。 「そうかな....でも、ラウルはもっと優しいじゃないか」 「それは.......そんなこと無いよ。ただ.....」 「ただ?」  恥ずかし気に、もじもじしながら彼は続けた。 「オヤジに言われたんだ。男は強くて優しくなきゃいけない.....って。強い男は、人にも優しくできるはずだ.....って」 「強さは優しさ.....か」 「うん。........だから俺なんか、まだまだだよ」  はにかむように小さく笑って、ラウルは父のように....趙夬のようになりたい、と言った。 「オヤジは本当に強いんだ。功夫の稽古してても、全然歯が立たない。でも皆に慕われて好かれてて.....いつかは俺もそういう男になりたい」 「なれるよ、ラウルなら.....」 「そうかな」  彼は本当に嬉しそうに笑って、次のテキストを手に取った。 ー優しいことは、強いこと.......かー  後日、邑妹(ユイメイ)にその話をすると、彼女は当然というように微笑んだ。 「自分が強くなかったら、人を助けられないじゃない?......人に優しく出来るのは、自分が強いからよ。心も身体も...ね」 「じゃあ、私は駄目だな。腕っぷしは強くない」  溜め息をつく私に、彼女はやれやれ....という顔をして言った。 「鍛えればいいのよ。身体も心も....」 「鍛える?」 「そうよ。......はい、これ」  そう言うと彼女は唐突に私の前に一組のグローブを突き出した。 「なに?」 「ボクシングのグローブよ。あなたのお父さんが昔、使っていたの。ミーシャ、あなたの夢を叶えたいなら、あなたはセルゲイよりお父さんより強くならなきゃ」 「でも......」 「すぐにとは言わないわ。その気になったら始めるといいわ。コルサコフは昔、オリンピックでメダルを取ったボクサーだったのよ。喜んで教えてくれるわ」 「ふうん.......」  私はあまり気乗りはしなかったが、 ー少しスポーツで発散した方がいいー  恋心を持て余していた私には、その一言はアッパーカット並みに効いた。  私はラウルに会えない日に、こっそり内緒でボクシングのトレーニングを始めた。サンドバッグを叩きながら、自分の欲を打ちのめして、ラウルと同じ純粋な友情で彼と接することが出来るよう、祈った。  

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