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第11話 秋から冬へ

 秋も深まってくると私達は、それぞれにもっと忙しくなってきた。ラウルはやっと養父の許可を得て、知人の経営する中華料理店の皿洗いのバイトにありつき、毎日ではないが、大学の講義の無い日には朝早くから夜更けまで働くようになった。  私は折りを見ては彼のバイトが終わる頃にさりげなく、彼の働く店に食事に行き、彼の仕事を見守った。厨房の奥で、白い長いエプロンをつけ、懸命に働く彼は、それでも明るい声で店主やウェイトレスと(たぶん)冗談を飛ばして笑いあっていたりした。  食事を終え、裏口近くで彼を待ち、 ーせっかくだから、一緒に帰ろうー と言うと、にっこりーうんーと頷いた。  時には店主が余り物の点心を持たせてくれて、二人でかぶりつきながら帰ったこともあった。  いずれにしても、以前より彼と過ごせる時間は減り、朝、彼が大学へ向かう時に窓越しに手を振り合うことが、何よりの慰めになっていた。  私はモスクワ大学の大学院博士課程に在籍し、最新の経済理論を学ぶ傍ら、東洋文化研究所の研究生として二足のわらじを履いていたため、レポートや課題の量も侮れない状態であり、互いの多忙さから、週末の限られた時間にカフェでお茶をしたり、彼のアルバイトの無い日に互いの勉強の進捗状況を話し合ったりするのがやっとだった。  私は少しも気晴らしするために、コルサコフにボクシングを習い始め、それでも気分の鬱ぐ日にはエルミタージュ美術館に行って、一日を名画の前で過ごした。だが、どんな名画の美女の微笑みも、ラウルの天真爛漫な笑顔以上に心を惹かれることはなく、唯一、東洋美術の展示スペースに飾られた観音菩薩の柔らかな穏やかな笑みに心を癒された。  その観音菩薩の顔立ちは、心なしかラウルに似ていて、その微笑みはラウルのそれを彷彿とさせるものがあった。  堆く積もったプラタナスの落ち葉の上をひとり踏みしめて歩く背中に木枯らしがひどく冷たく、私はポケットに突っ込んだ手をいつも固く握りしめていた。人影も疎らな、  サンクトペテルブルクの淋しい秋にはずっと以前から慣れていたはずなのに、吹きすさぶ風の音が妙に耳に障り、私を苛立たせた。  それでも、心の荒んだ夕べに、窓の外から手を振るラウルの姿を目にすると、それだけで穏やかな気持ちになれた。  冬になり、クリスマス休暇に入ると、さっそくに私は彼と過ごす休暇のプランを練り始めた。本当はアルプスにスキーに誘いたかったのだが、 ースキーなんて、やったこと無いし、アルバイト、休めないよ。そんなに....ー という彼の意見と、 ー彼はインストラクター無しで、いきなりアルプスなんて無理よ。滑ったこと無いんでしょ、彼?.....怪我をさせたらどうするの?!ー という邑妹(ユイメイ)の進言で、凍ったボリソヴォ湖でスケートの手解きをすることにした。  理性に今一つ自信ない無い私は、やはり彼の父とコーチ代わりのコルサコフ、それと二、三人のファミリーの子供達と出掛けることにした。  子供達にはコルサコフが手解きをし、ラウルは私が手解きをした。 「氷の上なんて、滑ったことないよ」  ラウルは最初はおっかなびっくり私に捕まりながら氷の上に立ったが、その上達は早かった。 「私の手に掴まって、体重を爪先に乗せて、内側に足を向けて.....そう上手だよ」  彼の両手を取り、初めはゆっくりと氷上を歩かせ、少しずつ氷の蹴りかたを教え.....半日するとゆっくりだが、私と手を繋いで滑れるようになった。翌日には、子供達ともみんなで手を繋いで滑った。 「お兄ちゃん、上手だよ」 と子供達に褒められて照れ笑いする顔は本当に少年そのものだった。  趙は、私達が滑っている間に、向こうの端で氷に穴を開けて、ワカサギ釣りに勤しみながら、ニコニコと私達を見ていた。  一緒にスケートに来た子供達とみんなで雑魚寝しながら色んな話をして、眠った。帰れば、すぐにクリスマスイブだった。  私は、ラウルと彼の父とその友人達とクリスマスを過ごした。  シャンパンやワインを開けて、賑やかに騒いで...それまでの人生で一番楽しいクリスマスだった。二人きりで過ごせなかったのは残念だったが、『友人』であり続けるためには、むしろ幸いだった。  

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