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第12話 プレゼント

 年が開けて、サンクトペテルブルクはニューイヤーの興奮から醒めてひっそりと静まっていた。  私はしんしんと降り積もる雪の中でひとり暖炉の前で薪のはぜる音を聞いていた。ラウルは、養父とともに香港で『春節』を迎えるために旅立ち、私はサンクトペテルブルクに残った。 『一緒に行かないの?』 と淋し気に言うラウルに、私は小さく笑って答えた。 『仕上げなければならない課題があってね。私の事は気にせずに楽しんでおいで』 『今年も一緒にランタンを飛ばしたかったのに....』  残念そうに口許をちょっと曲げて、上目遣いで私を見上げるラウルの髪をくしゃくしゃと撫でて、私は微笑み、囁く。 『ごめんね......』  私は、私以外の人々と楽し気に語らうラウルを見るのが嫌だった。私以外の人々と親しげ言葉を交わして笑い合うラウルの姿を見たくなかった。見たらきっと平静ではいられない。  私の知らないラウル、私の知らない世界で私の知らない人々と私の知らない話で盛り上がる彼を見るのは、きっととても辛い。彼は私のものではなく、彼の棲む世界はサンクトペテルブルクのような雪と氷に閉ざされた場所ではなく、色彩と光に溢れた南の島だと、思い知らされるのが怖かった。  そして分かっていながら、あの島を、街を、人々を憎んでしまう自分が嫌だった。嫉妬にかられて、我を失なってラウルの大事な人々を傷つけてしまいそうで、怖かった。 『お土産、買ってくるね』  朗らかに手を振ってハバロフスク行きの列車に乗り込む彼に、笑顔で手を振り返しながら、私は胸が切り裂かれるようだった。  そして私は冬眠中のヤマネのように暖炉の前で膝を抱えて踞り、ひとりで冬の寒さに耐えていた。 「ミーシャ、ただいま!」 降り積もる雪を掻き分けて彼がサンクトペテルブルクに帰ってきたのは、私の心が凍え死ぬ寸前だった。 「ラウル!」  私はドアを開け、彼のコートに積もった雪を払い、力いっぱい抱き締めた。 「お帰り、楽しかったかい?」  雪まみれのコートを脱がせ、ダイニングの椅子に座らせた。暖かいコーヒーをふうふう吹きながら、寒さで真っ赤になった顔で私に笑いかける、ラウルの笑顔がどうしようもなく愛おしかった。 「あ、そうだ。お土産!」  ひとしきりコーヒーを味わい、人心地のついたらしい彼は、ハンガーのコートからごそごそと何かを探り出した。 「バースデープレゼントだよ。ミーシャ、今日、誕生日だったよね?」  私はカレンダーを見直して、忘れていた誕生日を思い出した。 「開けていいかい?」 「うん」  鮮やかなマリンブルーのリボンを解き、淡いオレンジ色の包み紙をそぉっと開くと、白と緑色のグラデーションの花が艶やかに咲いていた。 「ペーパーウェイトだよ。翡翠は香港じゃ幸せのお守りなんだ。身近に置くと福を呼んでくれるんだ」 「ありがとう。......この花はなんの花?」 「蓮。ロータスだよ。仏教では極楽浄土に咲く花だよ。知ってるだろ?」 「ありがとう、ラウル。本当にありがとう。大事にするよ」  蓮は泥の中から首を伸ばし美しい花を咲かせる。清廉とは程遠い境遇の私にはその姿は憧憬であり、その可憐な花は私にとってラウルそのものだった。彼の養父の国、支那では蓮の花は恋の花でもあったのだから......。    私は、その宝物を、デスクの引き出しに大切にしまい、二人で出掛けた。気に入りのカフェでチョコレートケーキを食べ、祝杯を上げた。私は誰よりも幸せだった。

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