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第13話 つれない君に
いつの日か人は大人になる。少年の日が永遠には続かないことは、誰もが知っていることだ。
私はネヴァ川の水面に揺れる若い鮎の背中がキラキラと光を弾いて過ぎ行くのを半ば哀しい気持ちで眺めていた。
「どうしたんだ、ミーシャ。かかってるよ。魚がにげちまう」
ラウルのつぶらな瞳が、心配そうに俺を見つめる。話し方も以前より少し大人っぽくなって、背も伸びて、骨格も男らしくなってきたラウル。でも、そのつぶらな瞳も表情も、気持ちもピュアな少年のままだ。恋という感情の前に煩悶する私に無邪気な笑みを投げ掛ける、恋を知らない少年のままのラウル......あまりにも愛おしく、あまりにも罪深い私の天使、私の観音菩薩、私の仔犬......彼は私の心、感情全ての源だった。
そして、その日が長くは続かないことは私にも分かっていた。私はできるだけ陽気に笑ってウィンクを返した。
「悪い。大丈夫だよ、ちょっと考え事をしていただけだ......」
「ミーシャは哲学者だからな....おっと来たぁ!」
陽光の下、銀色の鱗が光を弾き、蒼空に踊る。若鮎が威勢よく掌に跳ねるのを生け簀がわりに囲った岩の中に放つ。もちろん網は張ってあるから、逃げることはできない。
この鮎達のようにラウルを囲ってしまえたらどんなにいいだろう.....とふと思った。けれどラウルのことだ。窮屈な岩場から逃げようと必死でもがくだろう。必死でもがいて傷ついて.....息絶えるか、脱出に成功して、二度と人の傍に、私の傍に近づいて来なくなるだろう。
「昼飯にしようぜ!」
お守り役兼護衛のコルサコフが興してくれた焚き火の周りに鮎を刺した串を並べる。じわじわと音がして、油がポトリポトリと石の上に滲みる。
「あっちの兄さん達にもあげれば?心配して来てくれてんだろ?熊を」
素知らぬ振りをして少し離れたところで釣糸を垂れる二、三人ずつのグループをラウルが指さした。鋭い。まぁ警戒しているのは熊だけではないが.....。
コルサコフは苦笑いしながら頷いて、彼らを手招きし、邑妹(ユイメイ)が奮発して沢山作ってくれたサンドイッチと焼けた鮎をみんなでたらふく食べた。
「ラウルさん、いずれ好きな人が出来て結婚したら、いいお父さんになりますね」
誰かが、お世辞込みで、いらない事を言った時、ラウルの顔がふと曇った。
「わかんないよ。まだ、恋愛とか結婚とか考えられないし......。それより、ミーシャだよ。ミーシャは好きな人はいないの?」
ラウルの無邪気な問いに胸がずきりと痛んだ。真ん丸な目が真っ直ぐに私を見て、ほんの少し首を傾げる。
「いるよ」
私は密かに生唾を飲み下して、答えた。
「全然、気がついてもらえないけどね」
ラウルが一瞬、戸惑ったように目をしばたたき、だがにっこりと天使の笑みを浮かべて言った。
「そうなんだ........。じゃ頑張らなきゃ!応援するよ!」
ぱん、とラウルの手が背中を叩く。私が好きな人は、あまりに天真爛漫過ぎて、永遠に私の気持ちに気づきそうにない。私は苦い笑いを押し殺して、
「ありがとう」
と微笑んだ。
ラウルは焚き火の灰を小枝で突っつきながら、誰に言うともなく呟いた。
「ミーシャは幸せになれるよ。いや、幸せにならなきゃ.....。真面目だし、優しいし、俺みたいな根なし草と違って、しっかりしてるし....」
ラウルはふっと目を伏せ、だが周囲に気づかせまいと笑ってみせた。私は胸が詰まった。ーいずれオヤジの片腕になるーと言っていたラウル。血で血を洗う過酷な世界に飛び込んでいくには、あまりに純粋でいたいけな魂。
「大丈夫。ラウルだってきっと幸せになれるよ。ラウルはとっても純粋だから、幸せにしてくれる人がきっと現れるよ」
「だといいんだけど.....」
俯いて苦笑いする彼の肩を私はきゅっ...と力を込めて抱いた。
「大丈夫だよ」
ー私がいる、ラウル。私が君を幸せにする。君を心の底から愛してる私なら君を幸せに出来る。そう私が君を幸せにする。ー
私は心の内で囁き.....いや、叫びながら、炎にあてられて赤みを帯びた彼の頬に口付けた。
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