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時任 叶羽Side2
桃先輩は俺を、あまり人が通らない寮の裏庭に、連れて来てくれた。木陰に腰を下ろさせ、ひたすら涙を流す俺の背中を、ただ黙って撫でてくれていた。俺が落ち着くのを、ただ何も言わずに待っていてくれた。
「桃先輩……なんか、すみません」
「いいよ? 叶羽はなんか、ほっとけないから」
涙も落ち着いた頃、俺は桃先輩に謝ると、桃先輩は優しく微笑んで、頭を撫でてくれた。
「南飛は、大丈夫なのか?」
「……謹慎の事は、気にしてないみたいでした」
謹慎の事じゃなくて、別の事で落ち込んでる様に見えた……。
「学年首席なだけに、先生達は驚いてたけどな?」
南飛はすぐに手を上げるような、喧嘩っ早い奴じゃない。なのに、あの南飛がなんで? そう言えば、殴った理由を聞いてなかった……。
『!?』
その時、携帯の着信音が聞こえて、俺と桃先輩は顔を見合わせた。
「……俺か?」
着信音は桃先輩のズボンのポケットからで、携帯を取り出しては画面をただ見ていた。不思議に思い、俺は画面を隣から覗くと 着信中;花沢 南飛 の文字だった。
「……もしもし?」
桃先輩は、俺の顔を見ながら、携帯の通話ボタンを押して会話を始める。
「え? 叶羽?」
南飛は俺を探してるみたいで、桃先輩は俺に声を出さずに、教えてもいいのか聞いてきたから、首を横に振って答えた。
「ごめん、知らない」
俺が頼んだ通りに、桃先輩は南飛に告げていた。
「分かった……、見付けたら教えるから」
桃先輩は最後にそう言って、通話を切っていた。
「いいの?」
通話を切った桃先輩は、そう聞いてきたから、俺は黙って頷いた。
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「本当に部屋に戻らなくていいのか?」
桃先輩は部屋に戻りたくないと言った俺を、自分の部屋に招き入れてくれた。
三年生は、他校進学組、就職組、大学部進学組に別けられていて、他校進学組のみ受験勉強の為に、一人部屋が与えられる。桃先輩は他校進学組なので、一人部屋を使っている。
黙って頷いた俺に、桃先輩は頭を撫でて笑ってくれた。
「寮長に話し付けてくるから」
そう言って、桃先輩は部屋を出て行った。点呼の事もあるから、きっと誤魔化しに行ってくれたんだ。俺は桃先輩の部屋から外を眺めた。自分の部屋を出てから、たいぶ時間も絶っていて、外は真っ暗になっていた。
窓に映る自分の姿が目に入って、部屋に戻らなくて良かったと心底思った。腫れ上がった自分の目尻を触りながら、溜め息が出た。
これから、どうしよう……。
あの言葉はきっと南飛にとって、都合のいい存在も要らなくなったって事なんだろうか? 俺は、南飛と普通の友達としてやっていけるだろうか? 同室に同じクラスだから、顔を合わせないわけにはいかない。だったら俺は、溢れんばかりのこの気持ちを、どうやって忘れればいいんだろう……?
桃先輩の部屋に、泊まらせて貰った俺は二段ベットの上で、眠れない頭で、瞼だけを閉じては横になっていた。南飛からの着信を知らせる携帯を、ただ抱きしめていた。メールも何度か入って来るものの、見るのが怖くて開けもせずに消してしまった。
‘友達だから’とか、‘ごめん’とかの言葉を、南飛からは見たくも、聞きたくもなかったんだ。窓から朝の光りが差し込む頃には、俺の携帯は、南飛からの着信やメールを告げる事はなくなっていた。
「叶っ……、叶羽!?」
そのまま浅い眠りについていた俺は、桃先輩の声に寄って目を覚ました。二段ベットのカーテンを開けて顔を覗かせる。
「……おはようございます。昨日はすみませんでした」
俺が軽く頭を下げると、桃先輩は俺の肩に両手を置いて、俺の顔を覗き込む。
「叶羽っ……。落ち着いて聞いてくれよ?」
落ち着くの桃先輩だと思います。俺は首を傾げた、でも、その後、桃先輩から出てきた言葉は、余りにも衝撃的なものだった。
「南飛が夜中に寮の外をうろついて、自宅での停学を喰らったって……」
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俺が自分の部屋に戻ると、もう南飛の姿はなかった。俺の机の上には、一枚の紙切れが置いてあるのが、目に入ってきた。
それを手に取ると、南飛の字で一言だけ書いてあったんだ。その文字を見て、枯れる事のない涙が、また俺の頬を伝う。
「ごめん」
その一言が、俺の胸にのしかかって離れなかった。
もう‘ごめん’は聞きたくないよ?
今まで重ねてきたあの行為を、なかった事にしないで。
俺が南飛を友達として、見れるようになれば、また南飛の隣に居てもいいかな? だったら俺は、南飛へのこの想いを、この気持ちを、忘れる努力をする。
俺は携帯を取り出し、メール画面を開いて、南飛宛に文字を打ち込んだ。
ともだち……
そう打ち込もうとしたけれど、どうしても指が動いてくれなかった。こんなんで本当に、俺は南飛を忘れられるのか? 目をつぶれば、南飛の笑った顔が浮かぶ。その顔を見たくて、俺は何度も南飛に体を許してきた。
自分に向けられてる笑顔じゃなくても、その笑顔を見てるだけで、俺は幸せだったのかもしれない。送る事の出来ないメール画面を閉じて、俺は携帯をポケットに仕舞った。
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「…………」
「……なに?」
人の教室に入って来たと思ったら、百瀬は俺の席の前に座り、俺の顔をじっと見る。
「叶羽、俺と付き合えよ?」
俺は目線を合わせずに、机の上に置いた教科書に、目を向けたままで答えてやる。
「死んでもやだ」
南飛が停学になってから、百瀬は俺の教室に来て、毎日懲りずに同じ事を言い続ける。
「つれないなぁ? そういう所も好きだけど」
「俺は嫌い」
俺の髪の毛を触ろうと、手を伸ばすからその手を払った。
「花沢があの日、なんで寮の外に居たか聞きたくない?」
あの日? 目線を下に向けていた俺は、顔を上げた。百瀬と目が合うと、こいつはニヤッと笑ったんだ。
「あいつ、あの日俺の部屋に来たんだ」
百瀬の部屋に? なんで? 何の用で?
「叶羽を何処にやったんだ!? って凄い剣幕で」
え? 俺?
「最後に訳解んない事言ってたけどな」
訳解んない事?
「叶羽を傷付けるのは、俺だけで充分だって」
南飛………。
「叶羽!?何処に行くんだよ!」
「南飛の家!」
伝えないと、俺は傷付いてないって。南飛は悪くないって。
南飛に直接、伝えないと―――。
俺は、まだ授業が残ってるのも忘れて、教室を飛び出していた。
だから、もう謝らないでって
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勢いで此処まで来たけど……。今更、南飛の顔、見ずらいかも。
俺は南飛の家の前を行ったり来たりしては、南飛の部屋の窓を見上げた。南飛の部屋はまだ明るいというのに、カーテンが閉まったままだった。
去年一度だけ、遊びに来た事がある。夏休み中に、南飛が恋人に振られて、あの時も呼び出されたんだっけ。誰も家に居ない中、南飛の部屋で、南飛の匂いがするベットの上で抱かれた。今は、そんな都合のいい存在でも良かったなんて思う、馬鹿な自分も居る。
「お姉ちゃんだぁ~れ?」
へ? お姉ちゃん? 幼い声を聞いて、俺は振り向いた。
うわっ、何この子!? 目が真ん丸。黄色い帽子被ってるから小学一年生?
「南兄のお友達?」
南……兄?
「あきぃ? 何してんだ?」
「治ちゃん、あのね? あれ?」
何!? あの後から来た南飛Jr.!? 思わず俺、隠れちゃったじゃん! 弟かな? そっくり。なんか、南飛の小さい頃を見た気がする。二人で家の中に入って行くのを、俺は眺めていた。
俺、やっぱり南飛が好きなんだな……。 結局、南飛に会わずに寮に戻ってきてしまった。
誰も居ない部屋に戻って来て、俺は呆然と南飛のベットを見上げていた。忘れようと、諦めようとすればするほど、想いは膨らむ一方で……。溢れ出してくるこの想いは、どうすれば止まるんだろう?
二段ベットの階段に足を掛けて、南飛のベットを覗いた。南飛の布団を手にすると、南飛の匂いがした。俺は思わず、すがり付いてしまったんだ。
「……南っ飛」
どうすれば、この溢れる想いを忘れる事が出来るんだろうか? 南飛の匂いがする布団に潜り込んで、俺は一人。南飛に抱き締められてる感覚に、酔いしれていた。
俺は細い糸を必死で切れてしまわない様に、繋ぎ止めようとしているだけかもしれない。もう南飛によって断ち切られてしまったというのに。
この糸の先に、君は笑っていますか?
-18-
今日は、南飛が停学を終えて戻ってくる日。俺は、放課後になっても、寮の部屋に戻れず、園芸部の花壇で花を眺めていた。
「南飛、帰ってくるんじゃないのか?」
「桃先輩……今日も泊めて貰っちゃだめですか?」
桃先輩はなんで、俺の居る場所がわかるだろうか? しゃがみ込む俺の横に立ち、俺を見下ろしている桃先輩を見上げながら、俺は聞いた。
「叶羽がそうしたいなら、俺は構わないが、南飛に会わなくていいのか?」
心配そうな顔付きで、桃先輩は聞いてきた。俺は黙って頷いた。どんな顔で南飛に会っていいのか、俺には解らないんだ。
俺の顔を見たら南飛はまた、謝ってくるから。‘ごめん’の言葉はもう聞きたくないから。俺とのあの行為に、罪悪感を感じて欲しくないんだ。
南飛が寮に帰ってきてから数日、俺は桃先輩の部屋にお世話になっていた。休み時間ごとに、南飛は俺に話し掛けてくるけど、俺は聞こえないふりをしては、南飛から逃げていた。
そんなある日の昼休み、園芸部の花壇に向うと、そこには先客が居ることに気付いた。
「南、飛?」
二つの人影。一つは南飛だという事が解ったけど、なんで南飛が此処に?
「僕、南飛君がずっと好きだったんです」
南飛が告白を受けるのは、これが初めてじゃない。そんなのは解ってるけど、胸が締め付けられた。
「ごめん、俺、今どうしようもなく好きな奴居るから」
いつもは、告白された事に舞い上がって、オーケーを出すのに……。相手は今まで付き合ってきた奴よりも、可愛い部類に入る。年下が好きな南飛のタイプには、ハマってる子だと俺は思うけど。
南飛は断っていた。
なんだろ? この今までにない、虚しさは?
……どうしようもなく好きな奴
俺との行為を切ってしまいたい程、好きな奴なんだろうか? だから、南飛はもう求めないと言ったんだろうか?
俺は、頭が真っ白になり、その場を後にした。
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体育館裏に来ては、しゃがみ込み、がむしゃらに涙を流した。止める事が出来ずに、ただひたすら涙を流した。
どうしようもなく好きな奴。
南飛が言っていた言葉が頭を支配していた。切なくて……、苦しくて……、心が凍えてしまいそうだった。
「……っ、南、飛」
俺が想えば想う程、南飛が遠くに行ってしまいそうでならなかった。
「!?」
その時、足音が聞こえて、その方向に目を向け、俺は自分の目を疑った。
「南……飛」
そこには、南飛が立っていたんだ。
「園芸部の花壇に居ないから………」
ここかなって? と呟きながら、南飛は続けた。
「………」
俺は思わず、目線を反らしてしまった。
「……俺、叶羽にかなり嫌われたみたいだな?」
え? 俺は驚いて顔を上げると、目の前に南飛が近付いて来ていて、目を見開いてしまった。南飛は俺の頬に触れては、涙を拭ってくれた。
「俺、叶羽を泣かせてばっかりだ」
泣かせてばっかり? 俺はいつも、南飛に隠れて、見付からないように涙を流して………た? そんな俺に南飛は気付いていた?
「ごめんな」
何度目になるか解らない言葉を南飛は口にした。そのまま、南飛は俺を抱き締めてきた。驚いたけど、南飛の暖かい腕の中、俺は安堵を覚えて、無意識に腕を背中に回していた。
その後、南飛は黙って俺の手を引いて歩き続けていた。手を引いているというよりも手をしっかりと繋がれていると言った方が正しいのかもしれない。
「……あのさっ、……手」
南飛の”どうしようもなく好きな奴”に見られたら、南飛が困るだろうし……。 俺は繋がれた手に、目線を落としそう小さい声で告げた。困るの南飛だし……。
「離したらまた、叶羽逃げるから」
南飛は真っ直ぐと、進む方向に目線を向けたままで、微かに笑って言ったんだ。
「もう、逃げないって……」
俺は南飛の横顔を見てから、また視線を下に移してしまう。
「……でも、ダメ。俺がこうしていたいから」
誤解しそうな事を、言わないで欲しい。俺、期待しちゃうじゃん? 南飛は俺の事、好きなのかもって……。ただひたすら歩く、南飛に俺は黙って付いていった。結局、手を繋がれたまま、寮の部屋に二人で帰ってきた。その後は、なんだか恥ずかしくて、南飛と話しもせずに、俺はベットに潜り込んで、寝たふりを決め込んだ。
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夜中にふと目が覚めて、俺は寝たふりが、そのまま寝てしまった事に気が付いた。制服そのままだった。 朦朧とした頭のまま、シャワー室に向かい、シャワーを浴びる事にした。シャワーを浴び終え、脱衣場で寝巻きに着替えて歯ブラシを手にする。
…………
「南飛!?」
「うわっ! 何っ!? 叶羽!」
俺は思わず我を忘れて、寝ている南飛に馬乗りになった。
「花の水くらい替えろよ!?」
脱衣場の花枯れちゃってんじゃん!?
「一応、替えてたぞ?」
何度も目を擦りながら、寝惚けた顔付きで南飛は答えていた。
「朝と夜と一日二回だぞ!?」
「……夜だけ」
かなり、気に入ってた花だったのに……。
「………叶羽?」
「なんだよ!?」
俺を見上げる南飛。南飛を見下ろす俺。あれ? 俺……。
「うわっ!?」
俺は南飛に腕を引かれて、南飛の上に抱きつく形で倒れてしまった。
「叶羽、良い匂い」
「~~っ!?」
ドキッとした! 今、スッゴくドキッとした!?
「……南、飛?」
俺は顔を上げて南飛の顔を見ると
「寝てるし」
南飛はまた眠りに付いていた。………起き上がろうとも、南飛は俺をしっかり抱き締めていて、身動きが取れない。本当に……、期待しちゃうじゃん? 俺。仕方なく、俺は南飛の胸に顔を埋める。南飛の鼓動が安らぎを与えてくれて、俺はそのまま眠りについた。
-21-
「ん?……~~っ!?」
「叶羽、おはよ」
次の日、目を覚ますと視界いっぱいに南飛の顔が広がっていた。布団をちゃんと掛けてくれたみたいで、すっぽりと南飛に抱き締められながら、布団に埋まっていた。
「い、いつ、起きたんだよ!?」
俺は南飛の肩を押しながら、突っ張って言ってのけた。だってなんか、起きてすぐに南飛の顔が至近距離にあるって、ドキッとする。それを証明するように、鼓動も早くなり始める。俺は南飛に気づかれない様に、平常を装う。
「ちょっと、前?」
「……何してたの?」
それでも、南飛は俺を抱き寄せて、更に腕の力を強めた。
「叶羽の顔を見てた」
「~~っ!?」
昨日から、南飛はなんなんだろう? 俺が誤解してしまうような事ばかりを、口走る。
「あっ、赤くなった」
「煩い!?」
俺の頬を触りながら、南飛は言ってきた。
「……さっ、登校の準備しようか?」
南飛が俺から身体を離すと、少し寂しくなった。南飛は俺の頭を撫でてから起き上がり、洗面所に入って行った。その後ろ姿を見てると、抱き付きたくなったが、その衝動を押さえて、俺は南飛の布団に潜り込んだ。
-22-
登校の支度を終えて、朝食をとるため、寮の食堂に向かう。
「あっ……、桃先輩」
南飛は桃先輩の姿を捉えて、食堂に向かう足を止めていた。隣で南飛の横顔を見ていると、肩を押された。如何にも、桃先輩の所に行けと言わんばかりに。その行動に俺は、南飛に目線を向ける。
「ほらっ………桃先輩の所に行きな?」
「……え? なんで?」
それでも南飛は、俺を桃先輩の元に行かせようとする。俺が感じた事は勘違いではなかった。俺は南飛の行動が解らずに、聞き返したけど、南飛は何も答えずに、俺を桃先輩の方へ押し出した。南飛が何を考えてるのか解らない……。
「……俺は邪魔しないから」
それだけ言って、違う席に座りに行ってしまった。
「叶羽? どうした?」
「……桃先輩、よく解らない」
南飛は他の友達の所に混ざって朝食を始めていた。呆然と南飛を見ていると、桃先輩は俺の頭を撫でてきた。
「部屋に戻ったんだろ?」
「………すみません、何も言わないで」
「ん? 仲直り出来たならそれでいい」
仲直り? 南飛はいつも通り接してくれてる……。けど、よく解らない。期待させる様な事を言ったり、こうやって突き放したり。それに、切れた糸を南飛は決して繋げようとしない。 南飛のこの行動はなんなんだろ?
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結局、桃先輩と朝食を食べて学園に向かった。朝食を食べ終えた頃には、南飛は先に登校したみたいで、既に姿がなかった。教室に入ると、いつもの南飛の姿があった。
「なんで置いてったんだよ?」
「だって、桃先輩と来るだろ?」
成り行きで一緒に登校したけど、なんか決まってるみたいな言い方止めて欲しい。
「南飛が先に行ったからだろ?」
「一緒とかって俺、無理だって?」
一緒………無理? 俺と一緒に登校するのは、無理って事? それは、俺を否定しているって事? ヤバイ……。昨日の数々の南飛の態度で、勝手に期待してた分。今のはちょっと……。 ヤバイ。
目頭が熱くなるのを、必死で俺は堪えて、下を向いた。下を向ければ、余計に涙が溜まる。
「………叶羽?」
俺の頬を南飛が撫でようとしてきたが、無意識で俺は後退り、それを避けてしまった。
「叶羽?」
「………ごめっ」
溜まった涙が堪えられずに、頬を伝うに気付き、俺は慌てて南飛の元を離れた。泣いている理由を聞かれたくない。泣いている事に気付かれたくない。教室の入り口に俺は急いで駆け出した。
「叶羽!?」
南飛の呼び止める声が聞こえたけど、俺は振り向かず教室を飛び出し、登校してくる他の生徒たちを掻き分けて、廊下を無我夢中で走りだした。
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朝のHRの時間にはまだ早く、廊下は登校してきた生徒達が居た。そんな中、俺は、教室に向かう生徒とは逆方向に走り続けた。生徒と生徒の間を通り抜けて走り続けた。
「待て! 叶羽! どうしたんだよ!?」
「な、なんでもない!!」
頬を伝った涙を、走りながら腕で擦りつけ拭う。
「じゃあ、なんで逃げるんだよ!?」
「み、南飛が追い掛けるからだろっ!?」
そんな俺を南飛は、迷いなく追いかけてくる。第一校舎を出て、渡り廊下を更に走り続けた。南飛は足が速いから、俺との距離が段々と縮まっていく。渡り廊下は風が吹き抜け、俺の頬を撫でてきた。
「叶羽がっ! 泣くからだろっ!?」
「そんなんっ!? ほっとけよ!」
第二校舎に入り、階段で三階に登る。南飛の走る息づかいが、段々と近付いてくる。近付いてくる息遣いが、南飛との距離が縮まっていることを知らせる。
「ほっとけるかっ!」
「南飛は関係ないから、ほっとけっ!」
お願いだから、もうこれ以上、南飛の前で泣きたくないから……。階段から三階の廊下に出ると、近付いていた南飛の息づかいが遠くになり、俺は思わず足を止め振り向いていた。
「みな……と?」
振り向くと南飛は、俺から5メートルくらい離れた廊下の端で立ち尽くしていた。眉間に皺を寄せて、どう表現していいのか解らない表情で、俺を見据えていた。悲しげで、切なげで、苦しんでるような、そんな表情。なんで? 南飛……、そんな顔、してんだよ?
「そうだよな? ……俺は、関係ないよな?」
南飛? 南飛の小さい声は、誰も居ない第三校舎では、容易く俺へと届いた。
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南飛は下を俯いたまま、更に話し続けた。
「……でも俺は、叶羽が好きだから、泣いてたら話し聞いてあげたいし、笑ってて欲しい」
「は? ……今、何て言った?」
俺、聞き間違えたかな? 南飛、今俺の事……。
「いや、いいって、無理しなくても、俺なんかより、桃先輩に聞いてもらった方が良いだろ?」
「なんで、桃先輩が出てくんだよ!?」
少しずつ走ってきた廊下を戻り、俺は南飛に近付いて行く。
「俺が停学で実家に居る間から昨日まで、桃先輩の部屋に泊まってたんだろ?」
「違っ!?」
俺は首を横に振り、否定した。桃先輩の部屋に泊まっていたのは、南飛が停学になった日と、南飛の顔が見ずらくて、実家から帰って来てからだから。停学中は、南飛と俺の部屋に居た。
「いいよ、隠さなくて」
「隠すも何も!」
「叶羽が桃先輩を好きなのは、前々から気付いてたから」
ちょっと!? 勝手に話し進めんなよ!? どうやったら、そういう勘違いになるんだ。俺は否定しようと頭を左右に振り続ける。それでも、南飛は話を止めなかった。
「卑怯な手を使って、振られたなんて嘘まで付いて、叶羽を抱かせてもらって悪かった」
「南飛!!」
「その後、桃先輩に泣きながら、相談してんのも知ってたけど……、叶羽を手放せなっ!?」
俺は南飛に駆け寄って、頬を両手で包み、話を続ける南飛の唇自身の唇を寄せた。
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唇を離すと、間近で目線が絡み合った。ジッと見つめた南飛の瞳の中には、確かに俺が映っていた。
「え? 叶羽?」
「一番最初に言ったやつ、もう一回言って?」
南飛の頬を両手で包み込んだまま、顔を覗き込み俺は言った。やっと南飛は、俺の話を聞いてくれる状態に入ってくれた。突然の事で驚いた表情を浮かべているが、俺の問いに瞼を瞬かせていた。
「……笑って、欲しい?」
「その前」
俺が首を振りそう言うと、やっと俺が言わんとしている事に、気付いてくれたのか南飛は目元を緩め笑顔になった。
「俺は叶羽が好きだ」
南飛は呟くように、俺の目をしっかり見て言うと、どちらからとも言わずに唇同士を触れさせた。何度か南飛とは、唇を重ねてきたけど、今が一番、幸せを感じたんだ。南飛は俺の顎を掴み、唇を開けさせると、口の中に舌を入れて、絡ませてきた。
「俺も……、南飛が好き」
唇が離れたから、俺は南飛の目を見て言うと、また角度を変えて唇を重ねきた。その後も、俺達は何度も何度も唇を重ねた。俺が南飛の背中に腕を回すと、南飛は俺の後頭部と腰に手を当てて、更に強く抱き寄せた。予鈴が鳴り終わっているのにも、気付かずに、夢中で唇を重ねていた。
俺達はやっぱり切れない糸で繋がっている。
それは、決して誰にも切ることの出来ない糸だ。
俺と君との ‘切れない糸’
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