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Hakoniwa 27

「甘くて、幸せな味がします」  幸せな味。三上は心の中で繰り返し、再びパンをかじってみる。口にいれたひとかけらのメロンパン。やはり甘い。これまで好んで口にすることのなかった味だ。 (幸せな味、か)  隣に視線を向ければ、頬を膨らませてパンをかじる宮部から甘く柔らかな香りが広がり、冬の空へ溶けこんでいく。もぐもぐと食べ続ける宮部の姿はやはりどこか小動物のようで、そう考えたら思わず笑いが漏れてしまった。気付いた宮部が頬を膨らませたままこちらを向く。 「いまなんか、笑いませんでした?」 「笑ってない」 「口元笑ってますよね?」 「気のせいだろ」  僕の事笑いましたかと詰め寄る宮部の声を聞き流し、三上は空を見上げて深く息を吸い込んだ。  冷え始めた空気の中で、甘い香りは優しく広がる。  安らぐなと、ひとりごちた。 ◇◇◇◇◇  客先との定例会議を終えて三上が得意先のオフィスビルを出た頃、街は夜へと変わっていた。  二月に入り、夜の冷え込みは深まるばかりだ。吐く息は白く、鼻の先が冷たい。腕時計に視線を落とすと時刻は十九時五分。三上は事務所へ直帰をする旨の電話連絡を入れた後、ラインアプリを開いた。宮部からメッセージが届いている。 『今日は残業で遅くなりそうです。先輩達と食べて帰ると思います』  了解の返信を送りアプリを閉じた。  宮部と同居を始めて早1ヶ月。特に約束事を交わしたわけではないけれど、気付けばお互いの帰宅時間を報告し合うようになっている。ある日飲んで遅くに帰宅したら宮部が食事を用意して待っていた事があり、それから連絡を入れるようにしたのだ。それがいつのまにか宮部も帰宅時間を連絡するようになり、現在に至る。  宮部は相変わらず毎晩のように賃貸物件と睨めっこをしているが、未だ三万円台の賃貸物件は見つからないようだ。火事の一件は保険諸々ひと通り処理は済み、あとは新しい住処を探すだけですと意気込んでいる。その姿をみるごとに、妥協せずにじっくり探せと背後から声をかけているが、心の中では見つからなくてもいいだろうと思っている。

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