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身悶えるほどに甘やかしたい<前編> 2
「そうか」
顔を上げると、三上さんは何か考えるような表情でキャベツの千切りを頬張り、サクサクと音を立てて咀嚼している。美味しそうな音を立てるなあと眺めながら、自分も生姜焼きを口に入れた時、三上さんが突然声を上げた。
「うん、そうだな。丁度土曜日だし、温泉にでも行くか」
どこがいいかなどと話を進める三上さんを見つめながら、手からすり抜けた箸が床に落ちて転がった。
◇◇◇
三上さんと初めての旅行。行き先は箱根湯本温泉。
前日から目が冴えて全然眠れなくて、何度も確認したけれどもう一度荷物を確認しようと起き上がったところで隣の三上さんに抱き寄せられ、もういいから寝ろと怒られた。
それでもなかなか寝付けなくて、眠りについたのは多分明け方近かった。
当日は朝から暑い程の快晴で、梅雨明け宣言も秒読み段階。
三上さんは黒チノパンに白Tシャツと紺地のリネンシャツを併せたスタイルで、僕はストライプのTシャツにハーフパンツとスニーカー。白いパーカーを併せたら子供っぽいかと悩んでいたら、似合っていると褒められたので、腰に巻いてマンションをあとにした。
東京で暮らし始めて一年が過ぎたけれど、会社と自宅の往復以外で出歩く事が少ない僕にとって、休日の新宿駅は巨大な迷路だ。
人波を掻き分けて進む三上さんの背中についていくので精一杯で、周りを見ている余裕なんてない。華やかな花屋の店頭が目に入り、ほんの少し眺めた一瞬で、三上さんの背中を見失ってしまった。
(三上さんがいない……!!)
あわわと周りを見渡しても、背の低い自分の目線では人混み以外何も見えない。立ち止まってしまったせいで、何人もの人にぶつかり、邪魔だとか、舌打ちも聞こえた。
「す、すみません」
謝罪しながらとりあえず前に進もうと歩き始めた時、横からぐいと腕を掴まれた。驚いて振り返ると、周りより頭ひとつ分背の高い三上さんが、眉間に皺をよせた表情で僕を見下ろしていた。
「いきなり消えるんじゃない」
低い声で唸られて、すすすみませんと声を上げた。僕からしたら突然消えてしまったのは三上さんなのですが……などとは口が裂けても言えない。
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