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第5話 プレッシャー

 友人の展典(ひろふみ)から飲みに行こうと誘われた。  彼は年齢的には一年先輩だったが、年上だなんて思ったことはない。展典も尚志を年下のようには扱わない。大学も違うが、以前友人と行ったライブハウスで知り合って仲良くなった。気さくな男だ。 「そういやひーくんってさ、ゲイだよね」  日本酒を飲みながら、展典はいきなりそんなことを言った。考えてみれば展典も「ひーくん」ではあるのだが、それよりもキャッチーな呼び名がある為か、そう呼ばれたことはないらしい。  あまりに脈絡のない言葉に、尚志は少し不審な顔をした。しかし隠しているわけでもない。あっさりと認めた。 「わりぃか」 「悪いなんて言ってないって。ほらあ、せっかく俺と同じ年になったんだから、飲んで飲んで。今夜は俺の奢りだよん」  尚志はこの四月に20歳の誕生日を迎えたばかりだった。まだ今年の誕生日が来ていない展典とも、一ヶ月だけ同い年になる。もしかして誕生日を祝う為に飲みに誘ってくれたのだろうか。  しかし展典が口にしているような日本酒は飲んだことがない。なんとなく匂いが苦手だったので、酎ハイを頼んだ。 「意外とテンテン、酒強いよな」  テンテン、というのは展典のことだ。名前の漢字を音読みにしただけだが、可愛らしい響きで尚志は気に入っていた。 「いやあ、うちの兄貴のが強いよー。すごいザルなの」  楽しそうに笑みを浮かべながら、強度のブラコンであるらしい展典は焼き鳥をつまむ。  展典の兄のことは知っている。ちょっと尚志好みの可愛らしい男だ。展典はその兄に面差しが似ているが、可愛いかと言われたら、そうでもない。人当たりの良い好青年といった感じだ。背丈も尚志と同じくらいにあるし、小さめの可愛い男が好みの尚志にしてみれば、あまり恋愛対象とは言えない。絶対無理、というわけではないが、展典も別に好きな人がいるみたいだったし、単なる友人だ。  別にそんな関係じゃなくても、彼とは仲良くやってゆけた。どこか捉えどころのない雰囲気が好きだった。 「この前、ゲイなのに女の子とデートしてただろ」 「……はあ?」  いきなり何を言い出すのかと、尚志は胡乱な声を上げる。デートなんてしていない。誰かと見間違ったのではないか。 「髪の長い、背の小さい子。ああいうロリっぽいのならいけるわけ?」  しかし言われて思い当たる。 (ああ……未雨のことか)  ロリっぽい。……確かにそんな感じだ。服装はそういう系統ではなかったが、顔の造りが幼い。まあ、可愛いと思う。  しかし女に興味はなかった。興味を持ったことが、なかった。誰が尚志をこんなふうにしたわけでもない。元々だ。  だから女と寝たことはないし、試したこともない。デッサンの勉強で裸婦を目の前にしても、何の感慨も湧かない。それはただの「人体」でしかない。勿論勉強をしている対象に肉欲など向けることは不真面目だと思うから、それがたとえどんなに好みの男の裸体だったとしても、描いている時は何も思わないようにしている。いかに忠実に人体をトレースすることが出来るか、それだけを考える。  だけど……、  女性をモデルに描いている時でも、ふと「これは恋ではないのか」と思うことがある。勿論それは描き終えた時にあっさりと掻き消えてしまう感情ではあるのだが、あれはなんなのだろうか。  それは肉欲とは一切関わりのない所にある、精神的な問題なのかもしれない。  未雨を描いてみたいような気もしていたが……。その時にも同じように感じるのだろうか。  それはともかく、展典にロリコンだと思われるのは癪だったので、一応誤解は解いておくことにした。 「それ焼肉食ってた時か? あれ別に、デートじゃないから。どこで見てた?」 「俺、あそこの厨房でバイトしてんの」 「へぇ……声かけてくれたら良かったのに」 「邪魔したら悪いかと思ってさあ」  邪魔じゃないのに。未雨と自分はそんな関係ではない。ただ、絵のお礼に食事に誘われただけ。  ……絵。  未雨の為に、何を描けというのか。  数日前、図書館で未雨の作品を見つけた。  あまり行く機会のない図書館で、尚志はうろうろと彷徨っていた。どこに何があるかなんてよく知らない。とりあえず小説の置いてある棚の「た」行を探して、高天原未雨の本を探し当てるのに5分ほどかかった。  表紙を見て、止まる。 「……この絵は……」  図書館は静かだった。尚志の傍で何かを探していたブレザー姿の女子高生がちらりとこちらを見た。図書館に似合わないピアスだらけの男に釘付けだ。だが尚志はそんな視線に構うことなく、その表紙を見つめていた。  見たことある絵だと気づいた。  黒川瑞保。  著名な画家だ。  隣にあった本も手に取る。……これも、そうだ。彼の絵だ。  もしかして、と思って絵本も探す。小説のコーナーにはなかったので、場所を移って見つけ出す。 (黒川瑞保だ)  少なからず、尚志は困惑した。  彼を知っている。本人は知らないが、絵をよく知っていた。  彼の絵が好きだった。  よく行く美術館にも、瑞保の作品は何点か飾られている。しかし本を読まない尚志は、瑞保がこんな仕事をしていたとは知らなかった。少しは興味を持てば良かった。 (……えーと、つまり、なんだ)  絵本を持って、尚志はしばし呆然とする。  瑞保の代わりをやれと言うのか? まだ一介の美大生でしかない自分に?  無理だ。  絶対無理だ。ありえない。  尚志は自分の絵に自信は持っているが、自意識過剰ではない。瑞保と比べたら、自分は全然未熟だ。それなのに未雨は、尚志に何を求めるというのか。確か手垢のついていない人間が欲しかったとか言った。その条件に自分は当てはまるかもしれない。……だけど。  そもそもどうして今回、瑞保は未雨の仕事を請けられなかったのだろう。こんなにたくさん、彼女の為に絵を描いている彼が、どうして?  また未雨の顔が浮かんだ。  何かを隠したような、表情。あれはなんだったのか。未雨と瑞保の間に、何があったのか。  知らずに、手に汗を握っていた。 「ひーくん、どうかした?」  少し自分の世界に入ってしまった尚志に、展典が二杯目のグラスを片手に不思議そうな視線を投げかけた。

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