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第9話 咲くことのない花
心なんて求めてない。
水を与えても、そこに花が咲くことはない。
実を結ぶことも、永遠にない。
未雨に服を選んでやりながら、聞かされた主題。
実ることのない愛情の物語。
そういう話を書きたいのだと未雨が言った。
どうしてそんな話を書くのかと聞いたら、これは瑞保へのメッセージなのだと、自嘲気味に呟いた。
……『高天原未雨』。
降らない雨。乾ききった神様の住む場所。
どことなく、水を湛えている『黒川瑞保』と逆の方向にあるような名前だと思った。彼らが一緒にいる時、そこはきっと中和されて心地よい空間だったに違いない。けれど未雨は瑞保と一緒にいることを拒んだ。
未雨は、彼を大切に思っているのか。それとも、疎ましく思っているのか。
――彼に何を伝えたいのだろうか。
尚志にはわからなかった。
「やっぱこっちのが可愛いよな。似合う似合う」
試着室で尚志好みのロリータ服に着替えさせて、スーツ姿の違和感から抜け出せた。それが商売ではあるが、店員も素直に褒めちぎっていた。実際愛らしかった。
「……そう?」
鏡の前でくるんと回る。小さい体。幼い顔。ふわふわのロリータ服。これでツインテールでもしたら完璧だ。尚志はロリコンではないが、こういう格好は何故か大好きだった。女というより、お人形っぽくていいのかもしれない。
「絵本だけど、主人公って女だよな?」
「そうよ」
「あんたに、モデルやってほしい。その恰好で」
「未雨って呼んで」
「……未雨に、やってほしい」
言い直した尚志に、未雨は少し考えるように鏡に映る自分と尚志を見比べていたが、「ふぅん」とつまらなそうに呟いて振り返った。
「いいけどね。それが描く条件?」
「条件っていうか、メッセージなんだろ? だったら未雨がモデルやった方がいい」
「私これでも忙しいの。どれくらい拘束されるのかしら?」
「何枚か描かせてもらってイメージ掴めれば、あとはこっちで仕上げることは出来るから、そんなに時間は取らせない……と思うけどな」
とりあえずあとでミーティングしましょうと言われて、未雨は何着か選んだ服の代金を現金で支払った。結構こういった服は値段もするのだが、未雨の財布をちらっと見ると、万札が一杯入っていた。
「現金主義なの」
尚志の視線に気づいて、未雨は財布をバッグに仕舞った。
「……ええと、なんか。無駄遣いさせたみたいで」
「別に。私結構稼いでるのよ。でも使い道はあんまりなくて」
「趣味とかないん」
「私は書くことしか興味ないの。あとは、……そうね。柴田くんみたいな人材を探すのが趣味かな」
にっと不敵に笑って、未雨は店の袋を至極当然のように尚志に手渡した。尚志が知っている女はあまりこんな表情をしない。こんなに可愛いのに実際はすごく冷めているし、あまり女を感じさせない。色気がない。
「夕食、ごちそうするから。行きましょうか」
荷物持ちをさせられながら、こんな姿を誰かに見られたら嫌だなあと、顔を微妙にしかめた。また展典あたりがどこかで見ていないことを祈った。
「車運転出来る?」
夜景が綺麗なレストランで食事をしながら、ぽつりと未雨が言った。
普段尚志はバイクに乗っているが、普免もちゃんと持っている。高3の夏休みに速攻で取った。けれどやはり二輪の方が好きで、あまり乗らない。
「出来るけど、何」
「ワイン飲んでもいいかな」
(似合わねえ……)
口に出したわけではなかったが、顔に出たらしい。未雨は何か言いたそうにちらりと尚志を見たが、結局はワインを注文した。未成年だと思われて店員が拒否するかとも思ったが、特に何も言われなかった。
「ねえ、柴田くんの趣味は何?」
さっき趣味について話題を振ったことを思い出したらしい。深い赤色をした液体に口をつけながら、未雨がこちらをじっと見つめた。
「自分を磨くこと」
「ああ……逞しいよね、体。……腹筋割れてたりするの?」
「見る?」
シャツをめくろうとした尚志に、未雨は静かに制止した。
「こんなとこで何する気よ。そんなにデリカシーないと、女の子に嫌われるわ」
「いや、見たそうだったから」
しかし未雨の制止も尤もだったので、尚志は素直にシャツから手を離した。
「別に見たくないから」
冷たく言い放ってから、未雨は「ピアスも趣味でしょ?」と付け加えた。
「まあね。……俺もし絵で食ってけなかったら、ピアススタジオで働くのもいいかなーって思ってんだよね」
「絵で食べてく自信ないんだ?」
「…………」
思わずむっとした尚志を見て、彼女は小さく笑いグラスを置いた。
なんだかガキ扱いされているような気がした。実際まだハタチで、もしかしたら未雨にとってはガキなのかもしれないが、なんとなく悔しい気分になる。なんでこんなに落ち着いているんだろう。未雨の冷静な仮面を剥がしたくなる衝動に駆られた。
「黒川さんとは、どういう関係だったんだ?」
多分、あまり聞くのは良くない質問だと思った。
未雨は不意の質問に顔色を変えることもなく、視線を夜景に逸らした。
大きな瞳を彩る睫は長い。化粧自体は薄くて控えめだ。柔らかそうな唇が、ピンクのグロスで濡れたように見える。
可愛い横顔はしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついて目を伏せた。
「話すことなど何もない」
文章を読んだみたいな科白を言って、またグラスに口をつけた。
未雨はよく、わからない。言いたくないにしても、こんなふうに返されるとは思わなかった。本当に生身の女なのか? などと思いさえした。どこか変わっている。
結局尚志がチョコレート色の車を運転して、店をあとにした。
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