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逢いたかったひと 36
◇◇◇
配属された職場は環境も上司も申し分なく、通勤距離も車で二十分。
全て理想的な社会人スタートだった。
たったひとつを除けば。
「ハル、上がりか? 飲みに行こうぜ」
「車通勤だし、帰る」
「じゃあお前の家に行くかな」
「断る」
「GWだってのに働いたんだ。明日は休みだろ? 息抜きに付き合えよ」
そう、この煩い同期さえいなければ。
嫌々ながらに声のする方へと振り返れば、見知った男の笑顔があった。
「暇でも圭介に付き合う気はない」
「冷たい奴だな、同期入社の仲間じゃないか、仲良くしようぜ」
「何とでも言え」
一番会いたくない奴が同期で同じ職場だなんて、誰かの陰謀としか思えない。いや、誰かの陰謀というより、明らかに圭介の陰謀だ。
思春期時代からの付き合いとはいえ、圭介に対して恋愛感情など沸いた事は一度もないのだが、圭介の方はいつの頃からか、好きだ好きだと煩くてかなわない。
残業を終え、煩い圭介を撒いて帰宅した頃には深夜0時を過ぎていた。
腕時計の日付は三十日。
「四月三十日……」
しんと静まり返った部屋の明かりをつけぬまま、テレビの電源だけをつけ、ソファに身体を沈める。薄暗い明かりが心地良い。
(引っ越しはもう終わったかな)
あの夜以来、省吾とは一切連絡をとっていない。GWに引っ越すと言っていたし、もう名古屋へ引っ越したのかもしれない。
連絡を入れる勇気がないまま、気付けばGWに突入していた。
(でも、今日こそ)
俺はスマートフォンの画面を見つめたまま省吾の姿を思い浮かべた。出会った夜の出来事を思い出し、あの時はとんでもない奴だったと、ひとりで思い出し笑いをしてしまう。そう、始めは頭に来たんだ。なんて自分勝手な奴だと腹を立てた。
(それが、今じゃ……)
会いたい。声が、聞きたい。省吾の笑った顔が見たい。
俺の名前を、呼んでほしい。
我儘な願いは膨らむ一方で、立ち消える事はない。
電話番号の最後の一桁を押せず、はぁと息を吐いたその時、スマートフォンが短い着信音をたて、ライン通知が表示された。
『引越し完了。疲れた』
それは省吾からのメッセージで、突然の、そして余りにも短い近況報告に俺は全身の力が抜け、ずるずるとソファに横たわった。
短い文を何度も読み返すうちに、笑いが込み上げてくる。
こんなに短い一文で、あの夜から今日までの時間を、省吾は軽々と飛び越えて着地した。
「はは……」
声に出して笑った後、あんなに躊躇っていた事が嘘のように、俺は省吾に電話をかけていた。
呼出し音が響く。
1回。
2回。
3回。
『はい』
心臓が激しく音をたてる。
久々に聞いた省吾の声は、やっぱり無愛想なままだった。
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