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3 嘲弄
一瞬、判然としない衝撃を受けた。
目の前の男が直近に妃と密に交わっていたということが、どういうことなのか理解できない。
ただ、『試す』という言葉に苛立った。
使い古しをくれてやるとでも言いたげな、明らかな侮辱。
「賢一、ふざけんなよ」
妃の言葉にかぶせるように、真は男の胸ぐらをつかみかかっていた。
「おまえ、人前でそういうこと言っていいと思ってんの?」
妃と男の間には微妙な空気、その関係は男の虚言ではないのかも知れない。
それを自分に向かって下品に明かす必要があるのか。
そして周囲には喫煙中の男女が両手で足りぬほど群がっている、耳を傾ける者がいないとも限らない。
だが締め上げた男は言動をあらためるということをしなかった。
いっそう悪質に、愉快そうに、面と向かって言い放つ。
「あんたのために言ってんだよ? こいつ百回以上犯してやったのに、全然俺のものになんないからね? 遊びじゃねーなら、こいつと付き合うのやめとけよ」
拳は男の頬を強打した。
男は踏みとどまり、腹立たしい笑みのままで真の胸ぐらをつかみ返す。
そして同様に拳を振り上げ真の頬を打ち、続け様に脇腹に強烈な蹴りを入れる。
真が二、三歩引き下がり体勢を立て直したそのすきに、異物が男との間を遮断した。
邪魔だと押しのけようとしたそれが妃だと気づくと、急に周囲が鮮明に見えた。
自分たちをとらえる多すぎる視線。
スマートフォンを向ける者も目に入る。
やってしまった。
こちらからは間に入った妃の表情がうかがえない。
「賢一、謝る、ごめん」
余裕の笑みを浮かべたままの男に、妃は真摯な声音で謝罪する。
侮辱されたのは妃のほうだというのになぜこんな無礼極まりない男に謝罪などするのかと、苛立ちはおさまらず妃の行動までカンに触る。
男は制止していた妃の手を振り払い、真に目もくれずに喫煙所を去る。
真は男とは逆方向にその場を離れた。
あてもなく、男を殴った場所からとにかく離れる。
別の喫煙所を見つけ、足を向ける。
吸えずに終わった電子煙草を捨てたとき、妃の存在に気がついた。
「真、ごめん」
「妃は別に」
男が最悪だっただけ。
口に出すのも腹立たしい。
それでも妃はわびるように言う。
「俺が悪いから」
「なにが」
妃はあの男に最高に不愉快な思いをさせられただけ。
問いの答えなどないはずだった。
「俺が賢一のこと、さんざん遊んで捨てたから、あれぐらい言われてもしかたない」
二人に関係があったとして、賢一という男が何度も力でねじ伏せたのだとしか思っていなかった。
だが、そうではなかった。
「巻き込んでごめん」
「サークル無理だ。俺、行かないから」
電子煙草の充電ランプに目を落とす。
「わかった」
妃が去ろうとする気配に、真はあせりを感じて呼び止める。
「妃」
振り向いた妃はやはり、悲しそうな顔をしていた。
「それでもあいつが最悪なのは変わりないし、なんかあったら全部殴った俺の責任。妃は悪くない」
気がたかぶっていて状況の整理ができていないが、妃が責任を感じて自分のもとを去っていくことは避けたかった。
「妃はサークル行けよ。俺、タバコ吸ったら帰るから」
「うん」
妃が素直にうなずき喫煙所を出るまでを確認してから、電子煙草をセットする。
粗暴な自分を、妃は見損なってしまっただろうか。
自宅アパートまでの帰路。
賢一の強烈な言葉がどうしてもよみがえる。
『その気がなくても抱ける』
確かにあの淡い色をした繊細で凛々しい妃は、触れれば甘い反応を示しそうだ。
賢一は何度もそのような妃を見てきたのだろうか。
いや、賢一のことなどどうでもよい。
自分もおそらく、妃を抱ける。
妃を抱いて捨てられたとして、あの男のように恨みがましく妃をおとしめたりはしない。
妃はゆがんだ部分があったとしてもまっとうな人間であると、自分は承知している。
抱けるか抱けないかという判断が妃に対する信頼の水準になっていると気づき、真は考えることをやめた。
そもそも愛情もなしに遊びで抱くようなことなどしない。
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