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4 善計

 翌日の昼、妃は真をたずねてはこなかった。  入り浸っていたわけではないし昨日の件で居心地が悪いのだろうと、さほど気にはしなかった。  かわりに喫煙所で賢一に遭遇した。  喫煙所は数が少ない、妃よりも顔を合わせる確率が高い。  昨日殴り合いをしたというのに、賢一は真の顔を見るなり笑顔で近づいてくる。  ただその笑顔は不穏なもの。 「よぉ。妃はどうだった」  なぜ会話をしかけてくるのかわからない。  恨みがあるのは妃だけで、自分に対してはなんのわだかまりもないということか。  昨日の言葉の意味だけをとらえると推奨と忠告で、善意に聞こえなくもないが、どう考えても善意ではない。 「あんたにああいうこと言われてもしかたないって、たぶんへこんでた」 「いやいや、あのあと妃と寝たのか聞いてんだけどね?」  試してみろと言ったから、試したのかと聞いているのか。 「そんなこと、するわけない」 「ふーん」  そっけなく返して、賢一は黒箱の煙草に火をつけた。  妃によれば悪質だったのは賢一ではなく妃のほうで、真は立場的に被害者に制裁を加えてしてしまっている。  納得がいかないが、謝罪する。 「昨日は事情も知らないで殴って悪かった」  賢一は百回以上妃を抱いて捨てられているらしい、気丈に振る舞ってはいるが精神的に相当な深手を負っているのではないか。  しかし、そのような心配は無用だった。 「俺さぁ、単にあんたと殴り合いしたくてケンカ売ったんだよ? 悪いと思ってんならもっと殴らせてくんない?」 「は?」  真は吸い込んだ煙を肺に入れる前に吐き出した。 「妃に捨てられて恨んでるとか、一緒にいた俺に腹立ったとか、そういうんじゃないの?」 「あぁ、妃はなぁ俺のこと優しいとか言うからどこがだよって、そっちで超ムカついてたけどな。さすがにもうわかっただろ」  言い終えると賢一は満足したようにそしらぬ顔で煙草をふかす。  優しいと称されて憤慨する意味がわからない。  ただ、妃がこの男にひどく恨まれているわけではなさそうで安堵した。  今回、情報不足と想像不可能な思惑から悪手を打ってしまった。  事実誤認のないよう配慮して身勝手な挑発には乗らぬよう警戒しなければと、真は自戒する。  暴力沙汰で妃の体面を傷つけるようなことをしたくない。  そこで賢一が突然、無遠慮にたずねてきた。 「あんた名前なに」 「奈良場だけど」 「妃が寝てんの、俺だけじゃねーぞ。ワケアリだけど縁切るか?」  この男はまた端的に、重いことを言う。  賢一と関係があるだけでも衝撃を受けたというのにそれだけではないと、しかもそれには理由があると、そんな妃を切り捨てるのかと探りを入れてくる。  情報が不足している。  表面だけ見れば妃は不誠実な人間で縁を切るべき。  だがそこになぜか親切に賢一が、なにかがあると教えてくれる。 「いや」  なにかがあるなら捨て置けない。  今妃が自分に見せる姿はまだ常識の範囲内で、それを超えようとするのなら超えないでくれと願いたい。  妃も自分の暴走を止めると言ってくれた。  実際一度、自分を止めた。 「オッケー」  縁は切らないという真の意思を確認すると、賢一は軽く返しながら煙草を吸い殻入れに落とし込む。 「あんた、妃のこと心配してんの?」  真は思わず賢一に問う。  悪質な笑みさえ浮かべなければ外見は至ってまともな人間に見えるのに、この男は妃同様善人なのか悪人なのかわからない。 「あー、よくわかんねーけど本気で惚れてたからな、妃の大事なトモダチ減らしちゃまずいとは思ってる」  面倒そうに言うと、賢一は喫煙所から離れてゆく。  賢一に妃のことを頼まれたような気がした。  妃のほうが自分より精神的に優れた人間で自分になにができるとも思えないが、安易に妃を切らねばよいのだろう。  自分は妃のことをまだよく知らない。  情報不足で悪手を打つことは、良策ではない。

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