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9 剣呑

 大切であるから(けが)したくないと言われたような気がした。  抱けないのでは意味がないと見限って自分が去ることを、妃は恐れているのだろうか。 「いなくならないから」  去るつもりはない、心配させたくない。  セックスフレンドの部屋で衣類を脱ぎ捨てていた妃に汚れてなどいないとは言えなかった。  汚れていてもかまわない、それでも好きだと思っていた。  妃に歩み寄り、かたわらに腰を落とし安心させるように肩をなでる。  うつむきかすかに震える妃の肩は女とは違って細くはない。  今すぐ妃と寝ることは難しいかも知れないが、抱擁のしかたは女と変わりないだろう。  妃を抱き寄せようと背中に手を回すと、妃は両手で真の胸を押しのけた。  ただ、突き放しながらも完璧に離れてしまわぬよう、真の袖をつかむ。  拒絶されないのなら、そばにいてもよいだろうか。 「妃が吹っ切れるまで、待ってもいい?」  避ける意思を無視して抱くことはできない。  自分を押しつけることは絶対にしないと言ったばかり。 「俺とはできないなら、他のヤツとしてもいいから」 「俺に都合よすぎだ、真の優しいとこ利用するみたいになる」  提案したのは自分、妃が悪いことなどなにもない。 「軽視されてるわけじゃないんだろ。重視しすぎて葛藤してるなら、他のことは気にしない」  袖をつかんだ妃の白い手をからめ取り指先でなでると、妃も自分の指をさらりとなで返した。  その心地よさに、目を細める。  妃はうるんだ瞳をこちらに向け、困惑の表情を見せた。 「真の笑った顔、優しすぎて痛い」  そんな崇高な顔をしただろうかと苦笑すると、妃は痛ましげに控えめな笑みを浮かべた。 「吹っ切れるかわかんないけど、少し、待ってほしい」 ・・・・・・・・・・  大学から市バスで二駅、ガラス張りの外観が近代的な三階建ての図書館。  真は再度頼み込んで妃の参加するボランティアに同行した。  紙芝居制作を共に手伝った女性を含む六名で図書館の一角、カーペット張りの絵本コーナーで読み聞かせなどをおこなうという。  妃は簡単に過去を捨て真に切り替えることをしなかった。  それでも不満はない。  真も妃に対してときおり手やほほに指先でふれるしかしない。  そのとき見つめ返してくる困ったような照れたような上目づかいに確かに妃の好意を感じ、真はそれだけで十分満ち足りた気分になれた。  絵本や紙芝居の準備をしていると、すでに図書館へとおとずれていた子どもたちがちらほらと集まってくる。  絵本と共に木製の玩具も置かれており、妃はさっそく子どもたちと遊び始めた。  積み木を重ねる子どもにはよさげな積み木を集めて渡し、機関車で遊ぶ小さな子どもには線路組みを優しく手伝う。  元々の性格なのか慣れなのか、自分には不可能なことを悠々となす姿が心底慕わしい。  どうしても自分には真似できそうになく放置された玩具の片づけに徹していると、離れた場所に一人で立つ男の子が目に入った。  遊びかたがわからないのか人の多い場所が苦手なのか、その気持ちがわからなくない。  真は誰かが遊び終えた型合わせの玩具を手に少年のもとに寄り、足元に置いて見上げてみた。 「一緒にやらない?」  幼稚園の年少かそれより下か、少年に型を手渡すと、気にはしていたのかすぐに遊びに取りかかってくれた。  小さな達成感を覚える、意思が通じて嬉しいし、妃に少でも近づけた気がした。  少年に目をやりながら再び片づけに徹し、じきに紙芝居がはじまる時間になったが、真が接した少年だけは無言の抵抗で玩具の片づけを許してくれなかった。  周囲を見渡すとみな親とともに片づけをしているが、少年の親が近くにはいないようだった。  途方に暮れているところに、妃が元気に声をかけてくる。 「おもちゃ気に入っちゃったの?」 「ん。親がここにいないみたいなんだけど、いいのかな」  妃はあたりをざっと見て、少年に視線を戻す。  笑顔が引いて、低くつぶやいた。 「託児じゃないからね、そばにいてって、言ってあるはずだよ」  妃に容赦のない部分があることは知っていたが、今までとはやや違った鋭い視線に心が騒いだ。  少年の状況に不安があるのはわかる、だが妃の反応が過剰なように真は感じた。  妃は他の者に少年のことを声がけしてくると言って離れてゆく。  その後も親が現れる気配がない。  他の子どもたちが親のかたわらやひざの上で手遊びをする中、少年はずっと真の横で型合わせの玩具に夢中になっていた。

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